日本の歌をベラルーシ語で〜「月と日」プロジェクト

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□2004年
「さくら」
インタビュー
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9月発売前
□CD完成、コンサート
はじめに
・コンサートレポート(1) (2)
(3) (4)
□「月と日」
・スタッフ紹介
(1) (2)
ジャケットデザイン
収録曲と歌詞カード
トーダル君について
WZ−オルキエストラについて
CD解説日本語訳
□収録詩訳
1.「十字路」
2.「天使たち」
3.「秩序」
4.「正方形」
5.「亜麻」
6.「祈りの試み」
7.「夕べ」
8.「葉」
9.「私たちのビリニュス」
10.「一つの祖国」
□収録曲解説
1.「さくら」
2.「朧月夜」
3.「茶摘み」
4.「浜辺の歌」
5.「われは海の子」
6.「紅葉」
7.「村祭」
8.「十五夜お月さん」
9.「冬の夜」
10.「故郷」
思い出のエピソード
 

■ 「月と日」収録曲解説

5.「われは海の子」

 詩情あふれた大変美しい曲になりました。ベラルーシ人の間でも人気のある曲の一つです。
 「浜辺の歌」の解説にも書きましたが、ベラルーシ人にとって海は未知なる世界です。それがこの曲の中ですばらしく表現されたため、海への憧れを感じさせる歌になっています。

 私はどうしても「われは海の子」が男の子に思えてなりません。そのため、ロシア語訳のときに「僕は海の息子」と翻訳し、その後「海の息子」と決定されました。
「この曲は女性ではなく、絶対トーダル君が歌ってくださいね。」
と注文した曲でもあります。
 しかし男らしい歌ではなく、情緒あふれる繊細な曲が生まれたと思います。
 その理由は歌詞の翻訳作業にもあったと思います。
 原詩をご覧ください。
「われは海の子」は歌詞が7番まであるんです。ご存知でしたか?

 戦前、この7番の歌詞が重視され、「われは海の子」は海軍の歌ということで、学校で歌うことを奨励された歌だったそうです。しかし、戦後はこの7番の歌詞は音楽の教科書の中で墨で塗られ、歌われることもなくなりました。軍国主義の歌だから、という理由です。
 私も7番の歌詞は正直言っていらないと思います。
 1番の歌詞で海の子の住んでいる場所が紹介され、2番で誕生の様子、そして3番で少し大きくなった海の子が岸辺に立つ様子が描かれます。そして4番でついに海へと漕ぎ出し・・・と一人の人間の成長が歌われています。名作だと私は思います。
 ところが、5番の歌詞を読むと、「海の子も大人になっちゃんたんだなあ。」という印象を受け、6番では氷山や竜巻まで現れ「海洋アドベンチャー」になってしまいます。

 考えた結果、わざと5番以降の歌詞を私は翻訳しませんでした。1番から4番までの歌詞だけをトーダル君に渡しました。
 海の子は海の子のままのほうがいいのではないか? と思ったからです。少しずつ大きくなってついに海へ漕ぎ出した、というところで、やめておくほうが、これから海の子がどんな風に成長するのか、聞く人の想像をかき立てたり、自分の人生やわが子の成長を重ね合わせたりすることができるのではないか? そんな気がしました。

 5番以降の歌詞を知らないカモツキーさんは、4番までの歌詞を読んで、詩情あふれる世界を思い描いたと思います。
 もし「鐵より堅きかひなあり」とか「波にただよふ氷山も、來たらば來たれ、恐れんや」なんて歌詞を読んだとしたら、「氷山? 何でまた突然・・・。」と面食らったと思います。
 そして、編曲ももっと勇ましいものになっていたかもしれません。実際この曲を聴いていると、編曲が4番までの歌詞の内容にしっくり合っています。しかし、そのままで5番以降の歌詞を歌うと、全く合いません。

・・・・・・・・・

「われは海の子」(「海の息子」)

松林が丘に沿って水際に迫る
白い泡で波は岸辺に跡を残す
ほら、あそこに囲炉裏の煙がたなびく小さな家がある
僕は海の息子、僕はここに住んでいる、あれは僕の家...

生まれたその日から海といっしょに生きてきた
朝は海が僕を目覚めさせ、夜は夢をくれた
知恵深い大洋が波音で、おとぎ話を聞かせてくれたよ
その海の気を胸いっぱいに吸い込んだよ、僕は...

海の香りは蜜の花の香り
松林は僕の後ろで、僕の歌を聞いた
風と一緒に声を上げて、海を見ながら
海のために歌を歌ったよ...

舟にのって、櫓を手に取れば
波の中の海の道をたくみに切り開く
まるで花が僕の心にまた咲いたよう
僕は海の息子、ここを歩き回る、自分の庭のように...

・・・・・・・・・

 原詩とほとんど変わらない翻訳ができたと思います。3番はちょっと違うようなところもありますが、この歌をステージで歌っているトーダル君が「海の息子」に見えてきます。そしてその前に座っている観客は海の中にいて、その歌声を聴いているような気持ちになります。・・・と書くとWZ-オルキエストラの皆さんから
「それじゃあ、何だい、私たちは風かい。それとも松の木か?」
と文句を言われそうですが・・・。
 
 ともかく、4番までですが、原詩が持つ内容を損なわず、美しいベラルーシ語翻訳ができ、私はカモツキーさんを尊敬します。トーダル君の編曲も日本人が持つ「われは海の子」のイメージとは少し違う世界を作ったと思います。
 
 ところで「われは海の子」の作詞者と作曲者ですが、5年前にこの企画が上がったときに調べましたが「作詞作曲者不詳」でした。それで「ああ、よかった。著作権の問題はなし。」と安心した記憶があります。そのためCDジャケットにも「作詞作曲者不詳」と掲載しました。
 ところが、今年の8月になって、偶然私は「われは海の子」の作詞者は宮原晃一郎という人らしい、と知りました。どうも現在はそれが確定しているようなのです。「朧月夜」の作詞作曲者も長い間、分からなかったのですが、これも作詞は高野辰之、作曲は岡野貞一で後から確定しています。
 「われは海の子」の作詞者は宮原晃一郎、と知ったときはショックで倒れそうになりました。1ヵ月後の9月にはCD「月と日」が発売されるのに、今さらジャケットの印刷も直せないし、それより、著作権はどうしたらいいのか? 著作権協会に著作権使用料を払わないと、このCDの発売はできないのか? とパニックになりました。
 が、その後、宮原晃一郎の著作権もすでに切れていることが分かり、胸をなで下ろした次第です。
 このような事情があり、CDジャケットには宮原晃一郎の名前が記されていませんが、ご了承ください。

・・・・・・・・・

「われは海の子」 作詞作曲者不詳 (作詞:宮原晃一郎)

1 われは海の子、白浪の
  さわぐいそべの松原に、
  煙たなびくとまやこそ、
  わがなつかしき住みかなれ。

2 生まれて潮にゆあみして、
  波を子守の歌と聞き、
  千里寄せくる海の氣を
  吸ひて童となりにけり。

3 高く鼻つくいその香に、
  不斷の花のかをりあり。
  なぎさの松に吹く風を、
  いみじき樂とわれは聞く。

4 丈餘のろかいあやつりて、
  ゆくて定めぬ波まくら、
  ももひろちひろ海の底、
  遊びなれたる庭廣し。

5 いくとせここにきたへたる
  鐵より堅きかひなあり。
  吹く潮風にKみたる
  はだは赤銅さながらに。

6 波にただよふ氷山も、
  來たらば來たれ、恐れんや。
  海卷きあぐる龍卷も、
  起らば起れ、おどろかじ。

7 いで大船を乗り出して、
  われは拾はん海の富。
  いで、軍艦に乗り組みて、
  われは護らん海のふ國。

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 トーダル&WZ-オルキエストラについて、詳しくは以下のリンク先からご覧ください
・「Tのベラルーシ音楽コラム」  バラード 季節の香り
(ベラルーシの部屋内にある紹介ページにあるトーダル&WZ-オルキエストラのCD紹介ページ)
・トーダル君の公式サイト

辰巳雅子
Date:2005/10/27