CD「月と日」は発案してから5年経って完成しました。今までの道のりを振り返るとき、いつもある晴れた日のことを思い出します。
2005年の春。冬が終わってようやく暖かくなった土曜日の朝のことでした。
仕事が休みで、家にいたときトーダル君から電話がかかってきました。
2004年1月に「さくら」は完成していたものの、その後なかなか進展がありませんでした。しかし、ようやく5月3日に10曲のうち完成した6曲がコンサートで披露されることになり、CDの製作が軌道に乗り始めたころでした。
「そろそろCDのジャケットデザインとか考えなくちゃ。タイトルを日本語で印刷した紙、手元にあるよね? 今家にいる? 1時間半後ぐらいに家まで取りに行くよ。」
とトーダル君に言われました。
「他にも曲について聞きたいことがあるし・・・。」
私は自宅までの道順を伝えました。
急にお客さんが来ることになったので、私は慌ててしまいました。トーダル君が来たら、お茶の一杯も出さないといけないだろう、と思いましたが、こういうときに限って紅茶といっしょに出すお菓子が家に全くないことに気がつきました。
そこで急いで買いに行こうとしたのですが、3歳の娘が「いっしょにお散歩に行きたい。」と言うので、買い物に連れて行きました。
クッキーを買い、すぐに帰ろうと思ったのですが、家の入り口のそばにある滑り台を見ると、娘は走り出し、滑り台によじ登りました。
土曜日だったので、近所の小さい子どもたちが騒ぎながら、明るい日差しの中、滑り台で遊んでいました。
「もうすぐお客さんが来るから、家に帰りますよ!」
と叫んでも、やっと春が来て思いっきり外で遊べるようになって、はしゃぐ娘の耳には届きません。
しかたないので、そばのベンチに座って、そこでトーダル君が来るのを待つことにしました。ベンチは家の入り口のそばにあるので、トーダル君がやって来たら、必ず分かるのです。
しばらくしてトーダル君が来ました。しかし、前回会ったときとは別人のような姿に変身していたので、すぐに分かりませんでした。
そのときのトーダル君は髪の毛を金髪に染め、とてもおしゃれにカットしていました。そしてサングラスをかけていたので、首から上を見ると何だかフランス人のサッカー選手のように見えました。
そして赤と青に色分けされたジャージと、水色のやたらポケットのたくさんついたジーパン、スニーカー、そして黒のカバンを斜めがけにした姿は二十歳ぐらいに見えました。
トーダル君は手を振る私の姿に気がつくと、ベンチのほうへやってきました。
「こんにちは。」
そういってサングラスを外しました。私はどうしてこんなところにいるのかを説明しました。そして何度も何度も「お客さんが来たよ! 帰っていっしょにクッキーを食べよう。」と娘に言ったのですが、他の子どもといっしょに滑り台に夢中になっている娘は、全く言うことを聞きません。
「どうもすみません。」
周りは遊びに興じる子どもの嬌声や、お母さんたちのおしゃべりで騒がしく、まじめな仕事の話をするような雰囲気ではありませんでした。でも仕方ないので、トーダル君とベンチに座って話をすることにしました。
「CDのことだけど、秋に出ますよ。10曲のうち6曲は完成しました。あと4曲ですが8月中には録音します。」
「うわあ、楽しみです。」
「ほら、これ。翻訳は全てできています。」
トーダル君は黒いカバンから、ベラルーシ語訳が印刷された紙を出して見せてくれました。ベラルーシ語の歌詞の横に、トーダル君がコードを手書きで書き込んでいるのが分かりました。
このように最初は普通の仕事の話をしていたのですが、トーダル君は急にこんなことを言い出しました。
「あの10曲の歌だけど、本当に日本で有名な歌?」
「そうですよ。だって学校でみんな習いますから。」
「日本人なら誰でも知っているような?」
「そうです。」
私があの10曲の歌を全然知らない人がいたら、それは日本人ではない、とまで言い切ると、トーダル君は「ふ〜ん。」と言いました。
「あの、前にもらったテープねえ。楽譜といっしょに。」
私はずっと前に10曲の楽譜、歌詞のロシア語訳、そして日本文化情報センターにあるCDやカセットテープの中からこの10曲を探し出し、曲順も合わせてダビングしたテープをトーダル君に渡していました。
「あのテープ聞いたけどねえ。子どもが歌っているのを。」
確かにセンターにあるのは正統派日本の歌ばかりで、童謡の専門歌手が歌っているのもあれば、何とか児童合唱団が歌っているCDもありました。
「あの子どもたちが歌っている日本の歌を聞いていると、何だかどれもこれも、天皇陛下に捧げる歌に聞こえるんだよね。」
「はあ?」
「そうじゃないの?」
「ち、違いますよう。」
後になってトーダル君はある雑誌のインタビューで、この日本の子どもたちの歌の印象を「何だか変で、それでいて感動的だった。」と話しています。
「本当に日本人なら誰でも知っている歌ばかりなんだよね?」
「そうです。」
すると、トーダル君はこちらの目を見て言いました。
「ね、10曲のうち1曲はラップに編曲したいんだけど、マサコ、怒らない?」
私は内心驚きつつも
「もちろんいいですよ。好きなように作ってください。」
と答えました。
するとトーダル君はちょっと安心したように
「もう1曲はジャズにしようと思っているんだけど、本当にいい?」
とききました。
「いいですよ。」
「日本人に怒られないかな?」
「そんなことないですよ。あのですね、これは日本の歌だけど、ベラルーシで作るものなんです。日本人が編曲するようにしてほしい、と思ったことはありません。逆に日本の歌だけど、編曲は日本らしくなければないほどいいです。純粋に日本らしい歌にしたいのなら、日本人の作曲家に頼みますよ。ベラルーシの作曲家に頼んでいるんですから、何も気にせず、好きなようにしてください。」
と私は力説しました。さらには編曲だけではなく、歌詞の内容も多少変えてしまってもいいことや、1曲ぐらいラブソングにしてしまってもいい、といった話もしました。結局は詩人のカモツキーさんの魔法のような手腕で、元の詩がベラルーシ語に上手に翻訳され、ラブソングなどへの変形は行われませんでしたが。
「とにかく全てお任せしますから。自由にやってください。どのように編曲するか、その決定権は私にではなく、あなたにある。」
「分かりました。」
話がまとまったので、私は安心しました。トーダル君もそうだったでしょう。
私はもう一度、娘を呼びましたが、どうしても滑り台から離れようとしないので、何度もトーダル君に謝り、ベンチに座って待っていてもらって、タイトルなどを日本語で打ち出した紙を取りに家へ一度戻りました。
大急ぎで戻って見ると、走り回る小さい子どもや立ち話に興じているお母さんたちの中にまじって、タバコを吸っているトーダル君が周りからとても浮き上がって見えました。
「どうもすみません。お待たせしました。」
「ああ。ありがとう。今からCDのデザインをする人に会う約束になっているんだ。」
私は紙を渡し、デザイナーさんが間違えないように、
「この3文字は1曲目のタイトルで、その横のは2曲目。縦に読んでください、縦に。そう右から左へ。持つときに紙の上下を間違えないでくださいよ。」
とトーダル君に説明しました。
「この曲順は変えちゃだめ?」
「季節がごちゃまぜにならなければいいですけど・・・。でも1曲目は『さくら』がいいし、そしたら次は自動的に『朧月夜』になっちゃうでしょ? 『茶摘み』は初夏の歌だから春と夏の歌の間に入れないと。えーと、それから・・・。」
「う〜ん、じゃあ、曲順は変えなくていいか・・・。」
明るい日が射すベンチに座りながら、トーダル君とこのような話し合いをしたのです。
さらにトーダル君はこんなことを言いました。
「この日本の歌ねえ、あんまり日本の歌に聞こえないな。」
「ほとんどの歌が20世紀初頭に作られていますからね。そのときには西洋の音階だとか作曲法とかが日本にも入っていたんです。」
「それだけじゃなくてね。この日本の歌、ベラルーシの民謡に似ているんだ。」
私はびっくりしてしまいました。
「本当ですか?」
「メロディーとか『十五夜お月さん』なんてそっくりなのがあるよ。」
そして、トーダル君はベンチに座りながら、「十五夜お月さん」の冒頭を歌いだしました・・・
・・・・・・
「・・・ほらね、こういうところがベラルーシの民謡みたいなんだよねえ。」
と歌い終わってトーダル君は言いましたが、私は心底聞き惚れてしまって頭がぼうっとしてしまい、「よく分かりませんが、そうなのかも。」と何だか要領を得ない返事しかできませんでした。
その後、トーダル君と私は握手をして別れました。
買いに行ったクッキーは・・・
「家で食べてください。」とトーダル君に渡そうとしましたが、
「最近太ってきたので、甘いものは食べないようにしているんです。」
と言われてしまいました。
一体何のために買いに行ったのやら分かりません。そうだったら、クッキーなんて買いに行かず、家でトーダル君が来るのを待っていたのに・・・。
でもトーダル君は
「でも、デザイナーさんはクッキーが好きだと思うから、もらって行きますよ。」
とクッキーの箱を受け取ってくれました。
後から考えれば、やっぱりクッキーを買いに行ってよかったんです。家の中ではなく、ベンチに座って話したことがいい思い出になりましたから。
明るい春の光。暖かいそよ風。トーダル君の金色の髪の毛。
そのときには、まだ生まれていなかったCDのことを真剣に話し合ったこと。
でも何だか会話の内容がおかしかったこと。
子どもたちの甲高い声。そしてトーダル君の歌声。
2人で並んで座ったベンチのそばを、毎日通ります。ペンキが剥げかかった黄色いベンチを見るたびに、あの日のことを思い出します。CD「月と日」はもちろん、その日1日の話し合いだけで、できたのではありません。でも、長かった道のりの中で、最も鮮明に思い出すのがあの日のことなのです。
画像は2005年秋のよく晴れた日に撮影しました。
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トーダル&WZ-オルキエストラについて、詳しくは以下のリンク先からご覧ください
・「Tのベラルーシ音楽コラム」 バラード 季節の香り
(ベラルーシの部屋内にある紹介ページにあるトーダル&WZ-オルキエストラのCD紹介ページ)
・トーダル君の公式サイト
辰巳雅子
Date:2005/10/29