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■ 「月と日」収録曲解説
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9.「冬の夜」
悲しい「十五夜お月さん」の後、この「冬の夜」を聞くとほっとしますね。家庭の温かさが歌われていますから救われます。曲順をこのようにしてよかったです。
降る雪を表しているような、またちらちらと燃えるいろりの火のような、美しいクセニヤさんの歌声、暖かいトーダル君の声とクラリネットが構成する、すばらしい作品が生まれたと思います。
冬が長いベラルーシなので、冬の歌はお手の物だったのかもしれません。日本の歌ですが、ベラルーシの歌のようにも思えます。いろりはベラルーシにはありませんが、ペチカがあるので、ベラルーシ人にも受け入れられやすい歌だと思います。
・・・・・・・・・
「冬の夜」(いろり火のそばで)
冬の夜、いろり火のそばで
お母さんは縫い物をしながら
子どもたちのために歌を歌ってくれた
春はもうすぐ。遊びも楽しくなるよ
子どもたちは、いつまでもそれを聞いている
そして暖かい日の光がさす日が来るのを
指を折って数えている
いろり火が暖かい炎で暖めてくれるので
窓の外に雪が積もっているのが信じられないぐらい
冬の夜、いろり火のそばで
お父さんは縄をないながら
子どもたちに本よりもおもしろい
兵士だったときのいくさの話をしてくれた
子どもたちは、いつまでもそれを聞いている
そして自分も強くなったように感じて
お父さんを手助けしなくてはと
こぶしを握りしめる
いろり火が暖かい炎で暖めてくれるので
窓の外に雪が積もっているのが信じられないぐらい
・・・・・・・・・
この曲は原詩とほとんど変わらない翻訳になっています。
ただ、原詩の最後には「外は吹雪」という言葉が出ていますが、カモツキーさんは暖かい室内のことを歌った後、いきなり「吹雪」という寒々しい言葉が出てくるのは不自然と思ったのか、
「窓の外に雪が積もっているのが信じられないぐらい」という、この曲が持つぬくもりを損なわない表現に変えています。こうすると、吹雪ではなく、静かに雪が降っている光景が浮かんできます。
そのような情景のイメージを大切にした編曲がされていると思いました。
また「とろとろ」といういろり火が燃える擬態語は、ベラルーシ語では削除されています。しかし、前奏や間奏の部分で、ラリラリラリラリラララ〜ララ〜という代わりとも取れる美しいメロディーが歌われます。
2番の歌詞はベラルーシでは第2次世界大戦の話に感じられるでしょうね。原詩のほうの「過ぎしいくさ」がどの戦争のことを指しているのか、はっきりと分かりませんが、この歌は1912年に発表されたので、日清戦争(1894〜1895)か日露戦争(1904〜1905)だと考えられているようです。
しかし、ベラルーシ人がすぐに想起するのは、第2次世界大戦です。ベラルーシ人は第2次世界大戦中に4人に1人が亡くなる、という人的損害を受けた国で、戦争に参加して、帰還した兵士が自分の子どもに手柄話をするというのは、ベラルーシではよくあることでした。その話が「本よりもおもしろい」と感じた子どももたくさんいたでしょう。
「そして自分も強くなったように感じて、お父さんを手助けしなくては」という部分ですが、多少原詩にはない教訓臭さが出ているようにも感じられます。しかし、実際にお父さんの戦争の話を聞いて、親を助けよう、と考える子どもがベラルーシにはたくさんいたのかもしれません。
ちょうどカモツキーさんが子どもだったころ、戦争の話を語る親の世代がいたのだろうと、思います。2番の歌詞の内容はカモツキーさんが自分の子ども時代を思い起こしながら、翻訳作業をされたのでしょう。
第2次世界大戦では日本は敗戦国だったので、今さら「戦争の手柄話」を歌う曲を子どもに教えなくてもいいのではないか、という見解がこの曲に関して、現在の日本にはあるそうですが、逆に大被害を受けながらも、戦勝国になったベラルーシ(当時はソ連ですが。)で受け入れられやすい歌になっているのが、少し皮肉というか不思議です。
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「冬の夜」 作詞作曲者不詳
1 ともしび近く 衣(きぬ)縫う母は
春の遊びの 楽しさ語る
居並ぶ子供は 指を折りつつ
日数かぞえて 喜び勇む
いろり火はとろとろ 外は吹雪
2 囲炉裏のはたに 縄なう父は
過ぎしいくさの 手柄を語る
居並ぶ子供は ねむさ忘れて
耳を傾け こぶしを握る
いろり火はとろとろ 外は吹雪
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トーダル&WZ-オルキエストラについて、詳しくは以下のリンク先からご覧ください
・「Tのベラルーシ音楽コラム」 バラード 季節の香り
(ベラルーシの部屋内にある紹介ページにあるトーダル&WZ-オルキエストラのCD紹介ページ)
・トーダル君の公式サイト
辰巳雅子
Date:2005/10/28
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