2005年5月3日
「日本の歌がベラルーシ語に翻訳されました!」から1年以上過ぎて、ようやく夢が本格的に実現化してきました。
2004年1月30日、日本の歌「さくら」がベラルーシ語に翻訳されミンスク市内のコンサート会場で発表されたのですが、それに新しく5曲が追加され、5月3日ベラルーシ作家協会会館ホールにて上演されました。
編曲はトーダル。(本名はズィミツェル・バイツュシュケビッチ)演奏はトーダルがリーダーのグループWZ-オルキエストラでした。日本語の歌詞はTが日本語からロシア語へ、そしてロシア語からベラルーシ語へは詩人でシンガーソングライターのアレーシ・カモツキーが翻訳しました。
前回は「さくら」1曲だけでしたが、今回は「朧月夜」「茶摘」「十五夜お月さん」「冬の夜」「故郷」の5曲も新たに加わりました。
ベラルーシ語に翻訳する予定の曲はあと4曲です。(「浜辺の歌」「われは海の子」「紅葉」「村祭り」)
全10曲が完成するのは9月の予定で、CD化も計画中です。
今回発表された6曲は、トーダル君のコンサートの最初に演奏されました。あとはトーダル君の自分の歌が演奏されましたが、いや〜盛り上がっていましたねえ。
会場は300人ほどが収容できるホールでしたが、ほぼ満席。前回のトーダル君のコンサートのときも驚いていたのですが、観客の年齢層がとても広いのです。文字通り老若男女が集まっているのです。
画像は最後のアンコールのようす。みんな立ち上がって一緒に歌っています。
さて、今回の「日本の歌プロジェクト」と平行して「マヤコフスキー・プロジェクト」も行っているトーダル君が坊主頭で登場。(後者のほうのCDジャケット用の写真撮影のため、マヤコフスキーと同じように髪の毛を剃ってしまったのだそうです。ちなみにマヤコフスキーについてと、坊主頭の画像はこちらです。)
http://www.tabiken.com/history/doc/R/R193C100.HTM
「今回の上演で日本の歌に対する観客の反応が見たい。」
と事前に話していたトーダル君でしたが、私ももちろん興味がありました。
日本の歌の上演の間、お客さんたちは静まり返って聴いていました。みなさん真剣な様子でした。拍手も大きく、反応はよかったと思います。耳をそばだてる、というのか、未知の音楽を聴いているという姿勢が感じられました。
観衆のみなさん、本当にありがとうございます!
編曲についてですが、言葉ではうまく言い表せません。日本の歌なのだけれど、そうではない、不思議な世界に浸れます。
ちなみに一番大受けしていたのは「茶摘」でした。
なぜかというと、間奏の部分で突如、舞台のそでからラッパーおじさんが登場!
そしてベラルーシ語でラップを歌い始めたのです・・・!
ついにベラルーシ・ラップになってしまった日本の歌「茶摘」・・・
賛否両論あるかと思いますが、ぜひCD化して、日本人の皆様にも聴いていただきたいです。
他の曲について簡単にコメントしますと・・・
「さくら」 ・・・というだけで、ベラルーシ人は「おお、日本の歌。」と思うらしく、とても受けがよかったです。クセニヤ・ミンチャンカの歌声が暖かくてとてもいいですね。ちなみにクセニヤさんがボーカルを担当しているのはこの曲だけで、他の曲は全てトーダル君が歌っています。
「朧月夜」 日本人が想起する「朧月夜」の枠を超越するアレンジです。
「十五夜お月さん」 聴いていて、私は涙を禁じえませんでした。この歌をトーダル君は「ベラルーシ民謡にそっくり。」と言っているのですが、そうなの?! 音楽のど素人の私には分かりませんが、そういうことだそうです。
「冬の夜」 歌詞の「とろろ、とろろ」の部分がベラルーシ語になるとこのように変化するのか、と勉強になりました。
「故郷」 ・・・国境を越えましたね。
残りの4曲の完成が待ち遠しいです。(個人的には「村祭り」の「ドンドンひゃらら〜」をトーダル君がどのように料理するのか楽しみです。)
チロ基金としては、CDが完成したら、基金の予算で100枚ほど購入し、ベラルーシ国内の学校などに寄贈する予定です。日本の歌をベラルーシ語で歌う人が将来増えたら、うれしいな・・・というのが目下の夢です。
トーダル&WZ-オルキエストラについて、詳しくは以下のリンク先からご覧ください
・トーダル&WZ-オルキエストラ (公式サイト ベラルーシ語)
・「Tのベラルーシ音楽コラム」 バラード 季節の香り
(ベラルーシの部屋内にある紹介ページにあるトーダル&WZ-オルキエストラのCD紹介ページ)
プロジェクトの成り立ちについて
さて、このプロジェクトについてご説明します。
思い起こせば5年前・・・
日本人なら誰でも知っている日本の歌をベラルーシの民族楽器で演奏してCDにし、ベラルーシの人々に日本の文化を知ってもらおうと思い立ちました。
ベラルーシ音楽コラムにも登場するプロデューサー氏に打診したところ、「とてもいいアイデアだ。やってみよう!」ということになりました。
そこで、選曲作業に入ったのですが、一番大変だったのが、著作権の問題。主な日本の歌の作曲家をリストアップし、その後作曲家の没年リストを作成しました。(没年一覧表なんて、見ているだけで暗くなるような表でしたが・・・。)
こうして何とか作曲家の著作権が切れている(没後50年以上経過している)曲を20曲選びました。
プロデューサー氏は一人のベラルーシ人作曲家を紹介してくれ、その人がベラルーシ民族楽器を使った編曲を担当することになったのです。
ところが、肝心の演奏してくれるグループが見つからず(よく考えてみればそれが普通の反応かも。こういうベラルーシ民謡を扱っているグループは、自分たちの演奏曲のほうがよっぽど大事、あるいは他の国の曲には関心がない、あるいは他のことまでする余裕がないのかもしれません。)結局、このプロジェクトは消えてしまったのです。
すっかり諦めていた私にある日プロデューサー氏が、
「あのプロジェクトだけど、民族楽器にこだわらずに、歌詞もベラルーシ語に翻訳して、アレンジも現代風にし、ベラルーシ人の若い人でも歌えるような編曲にしたらどうか?」
と打診してきました。
確かに楽器だけのインストゥルメンタルだと、バックミュージックにはいいけど、もっと歌の持つ内容を前面に出すほうがいいかも、と思い、OKを出しました。
また、1つの曲につき1人のミュージシャンが担当するほうが、それぞれのミュージシャンに負担がかからず、よいのではないか、というプロデューサー氏の意見でした。
そこで何人かのベラルーシ人ミュージシャンが候補に挙がったのですが、プロデューサー氏が最初に打診したのがトーダル君でした。しかし、その話を聞いたトーダル君は
「それは、おもしろい。ぜひ自分に全曲担当させてほしい。」
と申し出て、結局トーダル君が全て担当することになったのです。
次に私が行った作業は先に挙がっていた日本の曲、20曲の作詞者たちの没年リスト作りでした。(これも暗い作業でしたねえ。)
こうして歌詞のほうも著作権の問題がない曲、10曲を絞り込みました。
(著作権が生きている曲でも、著作権料を払ってCD収録すればいいのでは? という案もあったのですが、調べたところ手続きなどが面倒くさくて、この案は放棄しました。)
選ばれた10曲のうち「紅葉」以外の9曲の歌詞は私が日本語からロシア語に翻訳しました。
どうして10曲全部担当してないのかというと、「紅葉」は私がベラルーシ大学で働いていたとき、翻訳の練習として、当時日本語を教えていた学生たちにロシア語に訳させたものだったのです。そして参加した学生全員が審査員になって投票し、最も優れた翻訳を選ぶというコンクールを授業中に行いました。
その結果、選ばれた最優秀の翻訳を今回加えて全10曲にし、ロシア語からベラルーシ語への翻訳担当であるカモツキーさんに渡しました。
こうして、プロジェクトは発想してから5年目にようやく、完成に近づきつつあります・・・。
ちなみにこのプロジェクト「月と日」と言います。それはどうしてなのか・・・その他いろいろ、また改めて詳しくご報告しますね。
その前にトーダル君インタビューを公開したいと考えていますので、もうしばらくお待ち下さい。 →NEXT
辰巳雅子
Date:2005/05/12
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