※写真および文章はベラルーシの部屋ブログの記事からの転載です
7月9日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村での第62回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
今回はビタペクト2を12個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
これで今までに配布したビタペクト2は合計1259個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1010部となりました。
今回で通算71回目のビタペクト2の配布となりました。のべ人数になりますが、現時点で1259人分のビタペクト2、そして1010家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。
ビタペクト2の成分や、これまでの配布運動について詳しくはこちらからご覧ください。
「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳しくはこちらをご覧ください。
SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。
(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)
(家族A)モギリョフ州バブルイスク市から来たおばあちゃんと子ども達10人。このおばあちゃん一家は子ども村で滞在するのは3回目です。
2005年の1回目の滞在の様子はチロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村
第30回の(家族B)をご覧下さい。
2006年の2回目の滞在の様子はチロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村
第44回」の(家族A)をご覧下さい。
1回目の滞在のときは孫1人、2回目の滞在のときは孫2人だったおばあちゃんですが、今回は孫3人に増えていました!(^^)
今回も自分の子どもや孫、親戚の子どもや近所に住む子ども、そして養女まで連れてきていました。この家族には8個のビタペクト2を渡しました。結果で言うと、2005年の1個、2006年の3個と比べると、ビタペクト2を渡す個数が増えてしまい、残念です。渡さなかったのはおばちゃん(13ベクレル)と生後8ヶ月の孫娘(0ベクレル)だけでした。
この家族はおばあちゃんが子どもや孫や養女やらを連れてきていて、お互いの関係がややこしいので、整理してご報告します。放射能測定結果は2005年→2006年→2007年の推移を表しています。
・おばあちゃん 14ベクレル → 8ベクレル → 13ベクレル (一度もビタペクト2を飲んでいません。)
・17歳の末娘 0ベクレル → 12ベクレル → 15ベクレル (今回初めてビタペクト2を渡しました。)
・7歳の孫(男の子)32ベクレル → (入院したため測定なし)→25ベクレル(2005年と今回ビタペクト2を配布しました。)
この男の子は2005年の滞在のときは元気だったのに、2006年の滞在直前に悪性腫瘍が見つかり、緊急入院。重篤状態が続いていましたが、持ちこたえてその後退院し、今回は検査を受けるためSOS子ども村に滞在しています。
・5歳の孫娘 18ベクレル(2006年に初滞在)→ 24ベクレル (2006年と今回ビタペクト2を渡しました。)
・生後8ヶ月の孫娘 0ベクレル(今回初滞在。)
・8歳の親戚の女の子 23ベクレル(今回初滞在。ビタペクト2を渡しました。両親が離婚し、母親に引き取られたものの、その母親は外国へ出稼ぎに行ったきり何年も帰って来ないため、おばあちゃんが近いうちに、養女として引き取る予定だそうです。生まれつき障害があります。詳しくは後述。)
・15歳の養女 22ベクレル(今回初滞在。ビタペクト2を渡しました。)
・16歳の近所に住む男の子。20ベクレル(2006年に初滞在)→ 28ベクレル (2006年と今回ビタペクト2を渡しました。今回は年齢制限のため来ていないおばあちゃんの長男と同じ足の病気にかかっており、2回目の滞在となりました。2006年の滞在後、ミンスクの病院で手術を受け、ずいぶんよくなったということでした。本当によかったです。)
・15歳の近所に住む女の子。14ベクレル(今回初滞在。ビタペクト2を渡しました。)
・14歳の近所に住む男の子。19ベクレル(今回初滞在。ビタペクト2を渡しました。)
今回は保養に来ていない長男は足に障害があり、2005年には車椅子生活をしていたのが、SOS子ども村に滞在中、松葉杖で歩けるようになり、2006年には松葉杖も手放しました。
しかし、障害は一生治ることはないそうで、座ったままでできる職業を選び、今はコンピュータのプログラマーを目指して、専門学校に入学したそうです。
本当に偉いですよね〜〜〜
ビタペクト2を配る活動をしていて、はやりうれしく感じるのは子ども達の成長ですよね。
しかし、この家族は前回、前々回の測定に比べて、放射能値が全員少しずつですが上がっていて残念でした。1年い1〜2回ぐらいビタペクト2を飲むほうがいいのかもしれません。
(家族B)
この家族もモギリョフ州バブルイスク市から来ていました。お母さんと娘1人。養女1人と2人の子どもを引率してきていました。
この家族には4個のビタペクト2を渡しました。飲まなくていいのはお母さんだけで、子ども4人に1個ずつ渡しました。
それぞれの体内放射能値はこのとおりです。
・母親 14ベクレル
・13歳の娘 25ベクレル
・10歳の養女 29ベクレル
・9歳の女の子 27ベクレル
・12歳の女の子 25ベクレル
話がややこしくなるのですが、この10歳の養女と(家族A)の15歳の養女は実の姉妹です。
別々に引き取られ、その家族が両方とも、SOS子ども村へいっしょに保養へ来た形です。
しかし、この2家族は近所に住んでいて、姉妹同志会うこともあるし、学校もいっしょだそうです。
それにしても本人たちはどんな気持ちなんでしょうね。私には想像がつきません。
13歳の娘は障害者です。
(家族A)の8歳の女の子と同じ障害を持っています。どういう障害なのかというと、排尿と排便異常の病気です。
生まれつき膀胱と直腸に異常があり、簡単に説明すると常に「流れっぱなし」なのだそうです。
こんな病気があるなんて初めて知りました。幼少のころは分からないし、幼稚園ぐらいの年齢になっても「おもらしの多い子だな。」と思われるだけですみますが、小学生以上の年齢でこんな病気だと本当にかわいそうです。中学生になってもずっとオムツして登校ですよ〜。心の狭い同級生にからかわれそうで、話を聞いていて気の毒で仕方ありませんでした。
何でも直腸を鍛える器具が開発されているそうですが、簡単に治る病気ではなさそうです。
本当に世の中にはいろんな病気があって、いろんな人がいると思いました。
画像は記念撮影したときのようすです。(うちの子も写っています。)
今回も子ども達に折り紙や、折り紙の作り方のコピー、自分で作る竹とんぼ、絵葉書やシールなどをプレゼントしました。
3回目の滞在となる(家族A)の子ども達は折り紙は得意だと言っていました。
「折り鶴も簡単にできた。」
と話していました。
最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙用の紙、竹とんぼ、絵葉書やシールなど子どもたちへのプレゼントを寄付してくださった方々、また交通費を寄付してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
多くの方々に支えられて、この活動が続いています。ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。