2005年「ビタペクト2」&『放射能と栄養』無料支給・配布運動

2005年活動記録
*SOS子ども村*
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ビタペクト2について
成分
外観と摂取方法
 

 


SOS子ども村

第30回


 4月13日にビタペクト2と「放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村での第30回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はビタペクト2を3個、「放射能と栄養」のコピーを15部渡しました。
これで今までに配布したビタペクト2は合計819個、「放射能と栄養」のコピーは661部となりました。

 これで通算36回目のビタペクト2の配布となりました。
 のべ人数、そして単純計算ですが、現時点で819人分のビタペクト2、そして661家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

ビタペクト2の成分や、これまでの配布運動について詳しくはこちらからご覧ください。
「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳しくはこちらをご覧ください。
SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。



 前回の配布から時間が空いてしまいましたが、3月に保養に来た子供たちは、放射能値が低く、安全圏内であったことから、ビタペクト2配布はありませんでした。
 このようにビタペクト2を全く配らなくてもよくなる日が来てほしいものですね。

 さて、今回は3家族が保養のためSOS子ども村を訪れていました。そこで、1家族5部ずつ、ということで、「放射能と栄養」のコピーも今回は計15部渡しておきました。

  
(家族A)

 ミンスク州ボロジン市から来た家族。子どもは3人で、ビタペクト2を2個渡しました。
 ボロジンはチェルノブイリ原発事故の影響の大きいゴメリ州とは、ミンスクから見て全く反対方向にある町です。
 放射能汚染地域を示した地図を見ると、ゴメリ州やモギリョフ州とは違って、チェルノブイリ原発から遠く離れているにもかかわらず、放射能に汚染されている場所があります。ボロジンもそのような地域にあり、子どもたちが日本など海外での保養に招待されています。
 この家族はもともとミンスクで暮らしており、3人の子どもはみんなミンスクの生まれです。4年前にボロジンへ引越しました。10歳の長男、6歳の長女、4歳の次女がいるのですが、それぞれ、6歳、2歳、0歳のときに汚染地域へ引っ越したことになります。(ミンスクが全く放射能に汚染されていない、と断言はできないのですが。)
 今回、体内放射能値を調べた結果、長男が0ベクレル、長女が33ベクレル、次女が31ベクレルでした。女の子2人に1個ずつビタペクト2を配布しました。

 健康状態についてですが、長女はダウン症のため、障害児専用の幼稚園に通っているそうです。ダウン症の子供は生まれつき合併症を持っていることが多いのですが、この子も心臓疾患を抱えており、お母さんは心配しているようでした。しかし、最近その障害児専用の幼稚園ができたことを、とても喜んでいました。幼稚園といっても、18歳になるまで無料で通えるそうです。専門家による指導を毎日受けることができれば、今は障害児でも、成長したとき、立派な社会人にきっとなれるでしょうね。
 ちなみにダウン症の発生と、妊娠中の放射線の関係は、ないというのが、最近の専門家による見解です。この子がダウン症になったことと、チェルノブイリ原発事故も無関係だと思います。
 その子の妹にもビタペクト2を渡しましたが、お母さんの話によると、大した病気はしたことがなく、健康、ということでした。
 
 
(家族B)
 モギリョフ州バブルイスク市から来たおばあちゃんと子ども3人と孫1人。
 子どもたちは放射能値はゼロか、ほとんどなかったのですが、4歳の孫の男の子だけ32ベクレルでした。3世代そろって、一つの家に住み、同じ物を食べているそうです。
 この男の子に1個ビタペクト2を渡しました。
 おばあちゃんの話では、この子は病気はしたことがなく、元気だそうです。
 問題なのは、16歳の長男です。今回の測定の結果、0ベクレルだったのですが、この子は障害児です。
 とても元気な子どもだったのに、7歳のとき、2回続けてインフルエンザに罹り、その後アデノイドを取る手術をしました。
 はっきりとは医者でも分からないそうなのですが、そのときの細菌が体のどこかに残り、足の筋肉がどんどん弱くなっていって、歩けなくなったそうです。障害児認定を受け、車椅子に乗る生活が続きました。
 ミンスクの病院で2回手術を受け、症状は改善したのですが、保養に行くほうがいいと言われて、家族でSOS子ども村へやってきました。
 そしてSOS子ども村へ来てから、どんどん足の具合がよくなってきて、ついにこの間車椅子なしで生活できるようになったそうです。
 私が会ったときは松葉杖を2本ついていましたが、お母さんも兄弟たちも「良くなった。」と大喜びしていました。
 今まで子供向けの国内にある療養所に行かせたいと、親が申し込んでも
「車椅子の子どもは無理。そのための設備が施設内に整っていません。」
といった理由で、どこにも行くことができなかったそうです。
 しかし、SOS子ども村は障害児も受け入れる施設であるため、今回初めて、家族で保養に来ました。また長期間入院していた病院とは違って、お母さんの手料理が食べられますから、本人もまずはストレス解消に役立ったようです。
 本当によかったですね! 
 それにしても、身体障害者協会などが各地域にあるのに、何もしてくれないのでしょうかねえ? と思いましたが、経済難で大した援助は受けられないのだそうです。
 もっと障害児が無理なく、宿泊できるような施設がたくさんできたらいいのに・・・と思いました。

  
(家族C)
 ゴメリ州ペトリコフ地区コノビッチ村から来た家族です。この家族は全員、放射能値が20ベクレル以下で、安全圏内でしたので、ビタペクト2は渡していません。しかし、せっかくなのでご紹介します。
 子どもは2人(双子)ですが、親戚の子ども2人の合計4人の子どもが保養に来ていました。
 双子は今7歳ですが、貧血がひどく、親戚の男の子1歳7か月は、背骨が歪んでおり、鍼治療を受けたそうです。7歳の親戚の女の子は喘息を持っています。
 ・・・何だか、ビタペクトをあげた放射能値が高い子どもより、体調が悪そう・・・。
 何かしてあげたいのですが、どうしたらいいのか分かりません。(私ができるのはビタペクト2を配ることぐらいです・・・。)
 
 子どもたちには今回も折り紙用の紙や、折り紙の作り方のコピー、紙風船、日本の絵葉書などをプレゼントしました。
 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙用の紙など子どもたちへのプレゼントを寄付してくださった方、またバザーなどで交通費など諸経費を捻出してくださった皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。私はもちろん、ベラルーシ人のお母さんたち、SOS子ども村の職員の方々も大変皆様に感謝しております。

辰巳雅子
Date:2005/04/15

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