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SOS子ども村
第12回
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2004年1月6日にビタペクト2と「放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村での第12回目の配布を実施しました。
今回はビタペクト2を4個、「放射能と栄養」のコピーを11部を渡しました。
これで今まで配布したビタペクト2は合計425個、「放射能と栄養」のコピーは393部となりました。
(のべ人数、そして単純計算ですが、これで425人分のビタペクト2、そして393家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。)
今回もお話をうかがいました。
いつもは2家族が保養に来るのですが、今回は子どもが11人いる、というお母さんとお父さん、その長女が生んだ孫2人、次女が産んだ孫1人という、3世代家族が来ていました。
11人の子どものうち、大学生の3女は試験中で、来ておらず、両親と子ども10人、孫3人の15人が保養中。(おじと甥の年齢差が4歳しかありませんでした。)(^^;)
お正月をSOS子ども村で迎えました。
この一家はチェルノブイリ原発から約50キロ離れたチェチェルスク地区の出身です。事故当時風下に当たったこの地区から、1989年にブダ・コシェリョフ地区にあるクルィフスク村に強制移住させられました。移住前は広い家に住んでいたのです
が、移住後の家は小さく、3部屋しかないそうです。
(今は長女と次女が結婚して、それぞれの家に住んでおり、三女は学生寮で暮らしています。それにしても10人が3部屋で暮らしているわけですね。)
家は狭いですが、2ヘクタールの畑があり、みんなで畑仕事をして、農作物は自分達で賄っているそうです。
お父さんはコルホーズで家畜の飼育係をしており、お母さんは専業主婦。生活は大変そうでしたが、しっかりしたご両親で、子ども達はすくすく育っているようでし
た。(子どもの数が少なくても、親がアル中だったり、しっかりしていないと悲惨です。)
ただ子どものうち、6歳の子が水頭症で、10歳の子が腎臓の位置がおかしいそうです。
月に3、4回発作が起こるため、水頭症の子どもに手術をうけさせるべきかどうか今悩んでいるそうです。 21ベクレル。
10歳の子のほうは腎臓の機能自体には問題はないそうですが、スポーツは禁止。扁桃腺炎や風邪をけっしてひいてはいけない、と医者から言われているそうです。でもこんなに兄弟が多くて「風邪を絶対引くな。」と言われても・・・。そんなの無理じゃないか、と思いました。
この二人の子ども以外は、比較的元気なようでしたが、それでもよく風邪を引くので困っている、という両親の話でした。
今回ビタペクト2を4個渡しましたが、渡したのは、母親(14ベクレル) 男子14歳 (14ベクレル) 男子8歳 (16ベクレル) 水頭症の子 6歳 (21ベクレル) ・・・です。
この他、女子1歳が30ベクレルあったのですが、ビタペクト2の対象年齢は3歳以上なので、渡していません。
3歳以下の子どもでもあげられるようなビタペクト2を、ベルラド研究所に作ってほしいものです。
この他、両親は田舎に住んでいて、病院が近くにないことに不安を感じていることを話してくれました。家からブダ・コシェリョフ地区の病院まで18キロ、ゴメリ州の病院まで35キロもあるそうです。子どもが急病になったとき救急車を呼ぶのが難しい、ということでした。
ミンスクのような都会でも救急車を呼んでも、30分ぐらいかかったりしますので、田舎では呼んでから来るのに何時間かかるやら分かりません。
大きい村になると診療所が設けられているのですが、小さい村の場合、それもなく、病気になったら、家から一番近い大きい村の診療所に患者を連れて行くことになっています。
しかし、患者を運ぶのに車(あるいは馬車)を持っていればそれでいいのですが、それがなければ、さらに医療機関へ患者を連れて行くのが困難となります。
・・・だんだん書いていて気分が重くなってしまいました。日本で言うところの無医村や、医者のいない孤島で病人やけが人が出た場合・・・といった状況と同じでしょうか。
画像は保養先の施設(といってもレンガ作りのコテージ風の家なのですが)内の部屋の様子です。さすがに今回はちょっと定員オーバー気味ですね。お母さんは赤ちゃんのおしめを取替え中。
子ども達は
「生まれて初めて家族旅行ができた。」
と喜んでいましたが・・・。(^^;)
最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、またバザーなどで諸経費(折り紙用の紙や、交通費など)を捻出してくださった皆様、竹とんぼを手作りで1本1本作ってくださった方に、この場を借りてお礼申し上げます。
by 辰巳雅子
2004/1
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