2007年「ビタペクト2」&『放射能と栄養』無料支給・配布運動

2007年活動記録
*SOS子ども村*
-- No.53
-- No.54
-- No.55
-- No.56
-- No.57
-- No.58
-- No.59
-- No.60
-- No.61
-- No.62
-- No.63
-- No.64
-- No.65
-- No.66
-- No.67
-- No.68
-- No.69
*マリーナさん一家*
-- No.1
-- 2006年
-- 2005年
-- 2004年
-- 2003年
-- 2002年
ビタペクト2について
成分
外観と摂取方法
 

 


SOS子ども村

第69回

※写真および文章はベラルーシの部屋ブログの記事からの転載です

 12月21日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村での第69回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はビタペクト2を8個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2は合計1430個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1070部となりました。
  
 今回で通算79回目のビタペクト2の配布となりました。
 のべ人数になりますが、現時点で1430人分のビタペクト2、そして1070家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。


ビタペクト2の成分や、これまでの配布運動について詳しくはこちらからご覧ください。
「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳しくはこちらをご覧ください。
SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。
(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)


 今回も保養のため滞在した家族にお話をうかがいました。今回は18人全員が親戚という家族。しかも全員一組の夫婦の子どもと孫という大家族でした。
 説明すると、この夫婦に15人の子どもが生まれ、そのうち9人の子どもが結婚。14人の孫が生まれました。(これからも数が増えると思うとすごいです。15人の子どもを生んで育てたお母さんは「母親英雄」の称号を与えられ、勲章を持っているそうです。)
 結婚した9人の子どものうち2人(姉妹同士)が自分の子どもや弟や妹や甥っ子、姪っ子16人を連れて来ていました。
 全部で18人中、ビタペクト2を渡したのは8人です。
 出身地は、全員ゴメリ州で、ジトコビッチ地区、モズィリ、ジャコビッチから来ていました。

 それぞれの体内放射能値はこのとおりでした。 

母親1(姉)16ベクレル
母親2(妹)25ベクレル

母親1の長女(12歳)28ベクレル
母親1の次女 (8歳) 0ベクレル
母親2の長女 (6歳) 0ベクレル
母親2の次女(生後6ヶ月)0ベクレル

母親1と2の妹(16歳)15ベクレル
母親1と2の弟(15歳)20ベクレル
母親1と2の妹(14歳)30ベクレル
母親1と2の妹(10歳)31ベクレル
母親1と2の妹 (5歳) 0ベクレル

母親1と2の甥(11歳)47ベクレル
母親1と2の甥(10歳) 0ベクレル
母親1と2の姪(10歳) 0ベクレル
母親1と2の甥 (8歳) 0ベクレル
母親1と2の甥 (6歳) 0ベクレル
母親1と2の姪 (4歳) 0ベクレル
母親1と2の姪 (2歳) 0ベクレル

 このうち0ベクレルではなかった8人にビタペクト2を渡しました。
 子どもたちの健康状態を尋ねると母親1の長女(12歳・28ベクレル)と母親1の次女(8歳・0ベクレル)の甲状腺が腫れているそうです。長女は2年前の夏休みにドイツへ保養へ行ったそうですが、結局また放射能が蓄積されています。
 次女のほうは体内放射能はないものの、まぶたがよく痙攣するのが悩みだと話していました。
 まぶたの筋肉を鍛える運動をすれば、治るそうで、保養滞在中に専門の病院へ行って医師の指導を受けたいとお母さんは話していました。
 
 他の子どもたちには特別な持病などはないそうです。
 全員血のつながりがあるせいか、とてもみんな仲がよく、和気藹々の様子でした。
 それにしても、15人の子どものお母さん、立派です。こんなことを言っては何ですが、子どもが多いと経済的に苦しくなったり、細かいところまで子ども一人一人に目が行き届かず、それが子どもたちの服装などに出てしまうことが多いのですが、今回出会った子どもたちはみんなこざっぱりとしていて、お母さんの愛情が表れていました。 
(上記の表を作成していて気がついたのですが、このお母さんの末っ子が5歳なのに12歳の孫もいるんですよ。すごい。ある意味うらやましい。)

 今回も子ども達に折り紙や、折り紙の作り方のコピー、自分で作る竹とんぼ、お正月が近いのでお年玉袋(中身はお金が入っていなくてごめんなさい。)お母さんにはお正月用の祝い箸をプレゼントしました。
 日本ではどのようにお正月をお祝いするのか、みんな興味深々で質問してきました。

 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙など子どもたちへのプレゼントを寄付してくださった方々、またバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。
 今年も無事この活動を続けることができましたが、来年もまたできるかぎり続けていきたいと考えています。どうぞ来年もよろしくお願いいたします。

辰巳雅子
Date:2007/12/28

 →NEXT (2008年)