2002年に、汚染地域であるゴメリ州ブラーギン地区フラコビッチ村にある幼稚園へ、2回に分けて放射能を体外に排出する働きを持つ健康食品「ビタペクト2」を、約30人の園児を対象に、無料配布しましたが、この幼稚園を含む、フラコビッチ村の小中学校に対して、別の救援団体がビタペクト2の配布を行うことが決まりましたので、チロ基金としては今後、他の援助の手が届いていない子ども達へ配布することに決定しました。
そこで、3月2日SOS子ども村でひな祭りの出張講演に行ったとき、同時にこの村の一角で療養中のチェルノブイリ被災児に配布してきました。
SOS子ども村は私立系の孤児院なのですが、チェルノブイリ被災児救援活動も同時に行っています。
【詳しくはSOS子ども村(日本文化情報センター内
へ】
孤児院としての施設は13家族が13棟の家で暮らしているのですが、村内にある別の3棟の家にはチェルノブイリ被災児が放射能汚染地域から母親、あるいは付き添いといっしょに、この村へやってきます。
具体的には、例えば今回SOS子ども村を訪れたときは
1) かなり病状の進んでいる子ども達12人が自分の母親12人とともに、この村に滞在中。24人が2棟の家に分かれて寝起きしていました。この子ども達は朝起きると、母親に付き添われて村のすぐ隣にある腫瘍学センターへ検査や治療を受けに行きます。入院の必要はありませんが、1日に午前と午後と注射を打つ必要などがあるため、毎日通院しています。主に地元の病院では薬や検査機械の不足などで、受けられない治療を受けに来ている、といった状況です。夜は家でお母さんや他の子ども達とゆっくり療養しています。滞在期間は子どもの症状により様々です。
2)残りの1棟には、比較的症状の軽い子ども達数名が、汚染地域からやってきて保養生活を送っています。2人のお母さんが自分の子ども数名を含む計9人の子どもをつれてきていました。こうして約21日間保養生活を送ります。必要な場合やはり隣にある腫瘍学センターへ行って検査を受けます。またこの子ども達はビタペクト2を開発・販売している研究所「ベルラド」へ行き、体内の放射能値を測定しています。
・・・という構成になっていました。
したがって、21人の子どもと14人のお母さん計35名が滞在中でした。それで各人に35個のビタペクト2と、『放射能と栄養』のコピーをお母さんたちに1部ずつ、計14部渡してきました。
(でも、たぶんこのお母さん達、自分の分は飲まないでしょうね〜。絶対子どもやその兄弟にあげてしまいそう。それはそれでいいのですが・・・。)
幸い2)のほうのグループのお母さんと子ども達に直接会って、話を聞く機会に恵まれました。
1人のお母さんはゴメリ州モズィリ地区から3人の自分の子どもを連れて来ていました。もう1人のお母さんはブレスト州ピンスク地区から3人の自分の子どもと、3人の近所に住む子ども、計6人を連れてきていました。
前者の母子は、4人とも何かの病気を抱えています。特に息子さん(9歳)の体調が悪く、4歳のときに甲状腺の異常が発見され、その後免疫力の低下が見られ、いろいろ治療を受けたけれど、5年経過した今も改善のようすがほとんどない・・・ということでした。上の娘さん(高校生)は甲状腺ではなく、盲腸の手術を日本人医師菅谷昭先生にしてもらったそうです。(そうか、管谷先生って盲腸の手術もしていたんだ〜。)どうも甲状腺の異常で、先生が当時働いていた病院に検査に行っていたところ、急にそこで盲腸になって、執刀してもらったそうです。
それから後者のグループですが、お母さんは比較的健康ですが、子ども達みんなそれぞれ病気を抱えています。特にこのお母さんの子ども二人が、病名不明の足の病気にかかっています。このお母さんは5人の子どもがいます。上から順に22歳、18歳、12歳、10歳、7歳です。このうち下の3人を連れて来ていました。
上の子二人は比較的健康だそうです。(チェルノブイリ原発事故発生前に生まれた子ども)一番下の子どもも体が弱いのですが、まだましなほうだそうです。(チェルノブイリ原発事故発生後10年目に生まれた子ども)病状がひどいのは12歳の女の子と10歳の男の子です。(チェルノブイリ原発事故発生後、5年後と7年後に生まれた子ども)
この二人は生まれたとき、すでに足の指と足の裏全体が腫れた状態でした。それが痛くて二人とも長い間歩くことができず、今でもそれが治っていません。少しでも固いものに触れると、破れて膿が出て、出血することもあります。それで家では必ず柔らかいスリッパを履き、通学時には分厚い靴下を何枚も履いて、底の厚いスニーカーを履いているそうですが、冬場ブーツが履けないので通学もままならないそうです。1ヶ月に半分しか学校に行けません。指先が腫れているので、常に指の間に綿をはさんで、触れ合わないようにしているそうです。特に12歳の女の子の状態が悪く、夜中足が痛んで眠ることもできず、毎晩冷水に足をつけて冷やしているそうです。さらにこの子は脈拍が不安定で、心臓の具合も悪いそうです。(これで状態が軽いほうの2グループに入れられているのが不思議。)
この12歳の女の子は、保養運動で2年前アイルランドへ、他の子ども達と行ったそうです。そのときスリッパを履いて行ったので、ホームステイ先のお母さんが、不思議に思って通訳を呼び、理由を尋ねました。それで、すぐ病院に連れて行かれ、治療を受けたところ生まれて始めて治って、普通の靴を履いて帰国したそうです。
ところが、時間が経つにつれてまた同じように腫れてきて、結局元どおりに・・・。昨年アイルランドの里親さんがベラルーシに来たときに、塗り薬を置いていったのですが、これを塗ると足の痛みが治まるそうで、1日3回塗っているそうです。
アイルランドの医者は治療できたのに、どうしてベラルーシの医者は「病名不明」としか判断してくれないのか、よく分かりません。
それから、これは父親からの遺伝病だそうです。父親も子どものとき、こういう膿がよく足にできていて、大変だったそうです。しかし、現在は父親にはそういう病状が出ていないそうなので、「お子さん達も大人になったら、治るんじゃないですか?」と励ましたのですが、父親が子どもだったときの症状と比べると格段に子どもたちの状態は悪く、お母さんは悲観的になっていました。(まあ、確かに生まれてから10年も12年もずっと、二人の子どもの足が膿んでいたら、お母さんも疲労しきってしまいますよね・・・。)
お母さんはこの塗り薬を買おうと、ベラルーシのあちこちの薬局で探したのですが、どこにもなかったそうです。私も見せてもらったのですが、イギリス製の薬でした。 たぶん、特別に取り寄せないと、ベラルーシでは入手できないのでしょう。この一家のすぐ近くにこの子ども達の父方のいとこが二人住んでいますが、その子どもたちも全く同じ症状で、とても苦しんでいるそうです。
私の素人判断ですが、父方の家系にもともと、足の皮膚が膿みやすい体質が伝わっていて、そこへチェルノブイリ事故の放射能の影響も加わり、発症の程度がひどく出てしまったケースではないかと思われます。塗り薬より、手術など根本的治療が必要なのではないか、とも思ったのですが、お母さんは「病名も分からないから、手術もできない、と医者に言われた。」と言っていました。
とりあえず、この塗り薬が手に入らないかどうか、調べてみます。もし、買えるようであればチロ基金から、いとこ2人の分も合わせて購入し、この家族に渡したい、と考えています。(イギリス製じゃなしに、ドイツ製で同じ効用のある塗り薬がないかなあ・・・それなら取り寄せも少しは簡単になるだろうなあ・・・と今思っているところです。あと、異様に高かったらどうしよう・・・と言う点も心配です。この塗り薬について、何か分かったら、このレポートでご報告します。)
【チェルノブイリ被災児マリーナさんとウラジーミル君の治療支援活動としてまとめました。】
それから、この二人のお母さんに『放射能と栄養』のコピーを1部ずつ渡しておきましたが、大変感謝していました。たまに「こういう調理法をすれば、汚染された食品の放射能値が下がりますよ。」と言ってコピーを渡そうとしても
「今さらもう遅い。」
「わざわざ水につけたりするの、面倒くさい。」
「味がまずくなるから、いやだ。」と言って、受け取ろうとしない人もいます。
しかし、この二人のお母さんは、「これで安心して子どもたちに食事を与えることができる。汚染地域に住むのももう怖くないわ。」と喜んでくれました。
それから、この9人の子どもは、SOS子ども村に滞在中、ベルラド研究所に行って、全員放射能の値を測定してもらっていました。
そのうち6人分のデータを目にすることができましたが、前述の12歳の女の子は体重1キロあたり30ベクレル、10歳の男の子は20ベクレル、この二人の7歳の妹は35ベクレルで、最も数値が高かったです。あとの3人はそれぞれ28ベクレル、20ベクレル、18ベクレルでした。 研究所側の見解では、「20ベクレル以上の場合はビタペクト2を飲むこと」だったそうで、それぞれビタペクト2を1個ずつもらっていました。(測定などの費用はSOS子ども村が出資。)
研究所からすでにきちんと説明を受けていたので、私から「これは体にいいものですよ。」と力説しなくてもすんだので、助かりました。それで、またチロ基金から全員1個ずつもらえたので、お母さんたちは「追加でもらえて助かりました。今研究所からもらったのを飲んでいるけれど、一ヶ月でなくなってしまう。明日汚染地域にある家に帰らないといけない。いただいたのは引き続き自宅で飲ませます。」と言ってくれました。(家で留守番をしている兄弟の分も、あげればよかった・・・と後から少し反省しました。もうちょっと多めに持参すればよかったです。)
問題のビタペクト2の味のほうですが、「苦い」「まずい」「飲めない」ということはないそうです。
ただ、やはりきれいに溶けず、口の中がざらざらして、小さい子どもは喜んでは飲みたがらない、大きい子どもは飲めば元気になれる、と思って文句も言わず飲んでいるそうです。それで、必ずしも水に溶かして飲まないといけない、というわけではなく、ヨーグルトに混ぜたり、スープに入れたり、焼いたお肉の上にふりかけたりして食べても効果は同じですよ、伝えておきました。これなら、ビタペクト2が入っているかどうかも分からず、小さい子どもも自然に食べられますよね。お母さんたちも、それなら簡単ね、と言っていました。(おまけに子ども達には、折り紙とツルの作り方、日本を紹介するパンフレットをプレゼントしました。)
報告は以上ですが、振り返ってみて、直接被災者の話が聞けたのはとてもよいことだったと思います。顔と顔が見える活動を続けていきたいと思っています。
前述の1)のほうの子ども達は、長期滞在が多く、顔ぶれはあまり変わらないようですが、2)のほうの保養に来ている子ども達は3週間ずつのプログラムと決められており、定期的に次々と違う子どもがやってきます。次の子ども達が来るのは3月6日で、27日まで滞在する予定だそうです。
次のビタペクト2配布は3月25日ごろを考えています。今回は日曜日だったので、担当責任者の方が休みでお会いできなかったのですが、翌日、お礼の電話がかかってきました。次回はもう少しきちんとしたデータ(いつからこのプログラムが始まり、今まで何人の家族が滞在したのか・・・など)を教えていただけることになっています。それも全て、このレポートでご紹介します。
最後になりましたが、1個約400円のビタペクト2購入のため、善意の募金をしてくださった方々、バザーでの収益金を増やすため、奔走してくださった方々、またバザーなどでご理解、ご賛同してくださり、ベラルーシ民芸品を購入してくださった方々に、この場をお借りし、厚くお礼申し上げます。
今回知り合った二人のお母さんからも、日本人のみなさん支援してくださってありがとう、とてもうれしかったです、と伝えてください、と頼まれました。どうぞ今後とも宜しくお願い申し上げます。
(SOS子ども村で13人のお母さん達を補佐し、孤児たちに刺繍を教えているL.B.さん、いつもいつも窓口役をしてくださって本当にありがとうございます。 L.B.さんがいなければ、ひな祭りもビタペクト2も、チロ基金はSOS子ども村では何もできませんでした。)
2003/3 辰巳雅子
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