2007年「ビタペクト2」&『放射能と栄養』無料支給・配布運動

2007年活動記録
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ビタペクト2について
成分
外観と摂取方法
 

 


SOS子ども村

第61回

 6月21日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村での第61回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はビタペクト2を10個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2は合計1247個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1000部となりました。
  
 今回で通算70回目のビタペクト2の配布となりました。
 のべ人数になりますが、現時点で1247人分のビタペクト2、そして1000家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー配布もついに1000部となりました。感無量ですね。しかし、放射能汚染地域の家庭全部は無理でも、少しでも多くの家庭に配布していきたいと思います。(あと何十万部コピーすればいいのか・・・と思いますが。)

ビタペクト2の成分や、これまでの配布運動について詳しくはこちらからご覧ください。
「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳しくはこちらをご覧ください。
SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。
(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)


 今回も保養に来ていた家族からお話をうかがいました。

(家族A)

 ゴメリから来た家族。お母さんが4人の実子と、2人の子どもを引率して来ていました。この家族には5個のビタペクト2を渡しました。それぞれの体内放射能値はこのとおりです。

母親    13ベクレル 
長男16歳 13ベクレル
長女13歳 10ベクレル
次女11歳 22ベクレル
三女10歳 15ベクレル
男子14歳 23ベクレル 
男子11歳 15ベクレル

 このうち母親と10ベクレルだった長女以外の5人にビタペクト2を渡しました。
 この家族がSOS子ども村に滞在するのは初めてですが、引率されて来た男の子2人は2002年に自分の家族とともにSOS子ども村に滞在したそうです。チロ基金は2003年からSOS子ども村でビタペクト2の配布活動を始めたため、そのときの体内放射能値の記録はありません。しかし、子ども達の話によると、放射能値が20ベクレル以上だったため、ビタペクト2を滞在中に飲んだ、ということでした。

 おそらくそのとき、ビタペクト2の効果があったと思いますが、しかし5年も経っているので、また放射能値が溜まったのだろうと思います。
 
 この家族のお母さんは看護婦をしており、ビタペクト2の成分を尋ねたり、私やSOS子ども村のリリヤ先生の話を細かくメモしながら聞いていました。また「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーも熱心に読み、「ゴメリ市では有名な放射能汚染地域ということで、私の周囲の医療従事者にはこのような情報に関心を持っている人がたくさんいます。そのような人たちにこのコピーをぜひ読んでもらいたい。」
と話してくれました。
 お母さんが看護婦とあって、家族の健康管理はばっちりなようで、甲状腺がやや大きくなっている子どももいましたが、比較的健康状態は良好、とのお話でした。
 1人女の子がSOS子ども村へ来てから骨折してしまいましたが、骨が折れやすくなるのも放射能の影響だとリリヤ先生は話していました。カルシウムが骨の中にたまらず、代わりに放射能が蓄積され、いわゆる骨粗しょう症のような状態になるのだそうです。病気ではなく怪我に分類されてしまいますが、このような放射能障害もあるのですね。


(家族B)
 
 ノボポーロツクから来た家族。お母さんが3人の実子と2人の男の子の兄弟を引率して来ていました。この家族にも5個のビタペクト2を渡しました。
 それぞれの体内放射能値はこのとおりです。

母親    13ベクレル
長女13歳 27ベクレル
次女 9歳 32ベクレル
長男 5歳 31ベクレル
男子10歳 30ベクレル
男子 9歳 32ベクレル

 このうち母親以外の子ども5人にビタペクト2を1個ずつ渡しました。
 放射能汚染地域で有名なゴメリより、チェルノブイリ原発から離れているノボポーロツク(ビテプスク州)のほうが高い測定結果が出て、お母さんもびっくりしていました。
 引率してきていた兄弟はかなり経済的に貧しい家庭の子どもだそうで、やはり2002年にSOS子ども村に滞在したことがあるそうです。そのときビタペクト2を飲んだと話していましたが、詳しい結果の記録はありません。
 どちらにせよ、5年経過して再び放射能がたまっていることが分かりました。しかしゴメリから来た2人で同様に5年前にビタペクト2を飲んだ子ども達に比べると、より多い放射能が測定されています。ノボポーロツクは放射能汚染地域には指定されていませんし、されたこともありません。
 非放射能汚染地域だからといって全く安心できない、と改めて感じました。
 お母さんの話では、子ども達は風邪をひきやすく、貧血気味だ、ということでした。

 今回も子ども達に折り紙や、折り紙の作り方のコピー、自分で作る竹とんぼ、日本製のシールなどをプレゼントしました。自分で作ることができるのが楽しいようすで、子ども達は興味深々でした。

 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙用の紙、竹とんぼ、シールなど子どもたちへのプレゼントを寄付してくださった方々、また交通費を寄付してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。

 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。ベラルーシの子どもたちもSOS子ども村の職員の方々も大変皆様に感謝しております。本当にありがとうございました。今後もご支援をよろしくお願いいたします。
 
辰巳雅子
Date:2007/07/04(Wed)

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