チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村第9回」で、ビタペクト2を配った家族で、ミンスク出身の家族がいました。
オリガさんとその子どもたちなのですが、2004年4月、改めてビタペクト2を配りましたので、経緯を詳しくご報告いたします。
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オリガさんは当時(2003年11月)3人の子どもがおり、また妊娠中でした。
その後4人目の子ども(三男)が2004年末に生まれ、現在6人家族でミンスク市内で暮らしています。
出産直前に、オリガさんが
「『放射能と栄養』のコピーをもっともらえますか? もらえたら近所の人に配りたい。」
と電話してきたので、20部をコピーして自宅のほうに行きました。
そのときオリガさんがいろいろ話をしてくれたのですが、まとめるとこうなります。
オリガさんは高等教育を受け、ドイツ語とフランス語ができ、以前はベラルーシでも有数の大企業、長距離輸送業会社で、秘書の仕事をしていました。給料はいいほうで、生活も安定していました。
ご主人はレストランで調理師をしていましたが、2番目の子どもが1歳になったとき、脳卒中で倒れ、倒れたときに頭をアスファルトにぶつけ、頭蓋骨の一部がずれてしまい、大手術を受けました。
その治療費を出すために、2部屋のアパートと家具を売り、1部屋のアパートを買って引越しをしました。浮いたお金を夫の治療費に充てたのですが、現在も後遺症が残り、定期的に入院しないといけないそうです。貯金はすでに全部なくなってしまいました。
発病後、夫は失業。第3級身体障害者と認められ、障害者年金を受け取っています。家でできる仕事はないか、身体障害者協会に問い合わせたところ、コンセントやプラグの組み立て作業の仕事をもらうことができました。しかし、小さい子どもが家の中にいると、子どもが部品を触ったり、飲み込む恐れがあるため、仕事がはかどらず困っているそうです。
現在の収入は夫の障害者年金、電気器具組み立ての内職の収入、オリガさんの育児手当ぐらい。
1部屋しかない家で、2段ベッドに上の子ども二人が寝て、夫婦がソファーベッドに寝て、3番目の子どもがベビーベッドで寝ていました。4番目の子どもが生まれた後は、家の中でも乳母車に寝かせていました。
洗濯機はなく、二人の子どものおしめを全部手で洗っています。
バスタブの中におしめが大量に浮かんでいました。おしめが汚れると、とりあえず洗濯石鹸を溶かした水の中につけておき、夜中、子どもたちが寝いている間にまとめて洗って、家中に干しています。乾かないときもあるので、大量のおしめや着替えが置いてありました。(私の子どものお古の服をあげたら、喜んでいました。)
ほとんど一日中バスタブが汚れたおむつやベビー服に占領されているので、上の子どもたちがお風呂に入ることもままならず、オリガさんは夜の睡眠時間は2時間しかなく(昼間、細切れに寝ているそうですが)お母さんの健康状態がどうかならないか心配です。
こんな状態なのに、オリガさんはドイツ語とフランス語の翻訳の内職をしているそうです。
・・・とまあ、聞いているだけで、疲れてくるような内容の話でした。
子どもたちの健康も大事ですが、お母さんが倒れてしまったら、いったいこの家族はどうなってしまうのかと、想像するのも怖いぐらいです。
あまりにもオリガさんが大変なので、二人の子どもの紙おむつをチロ基金が買ってあげました。オリガさんは
「やっとまとまって寝ることができる。」
と大喜びしていました。
しかし、ベラルーシは紙おむつを国内で生産しておらず、市場に出回っているものは全て輸入品です。価格はとても高く、二人分の紙おむつを日本円にして4688円分購入したのですが、10日分の数にしかなりませんでした。
この紙おむつがなくなったら、また元通り手でおしめを洗わなくてはいけません。
オリガさんはとても喜んでいましたが、大きな助けにはならず、自分の力の少なさを感じました。紙おむつのような消耗品を買い続けるのもチロ基金には限界があります。
8歳の長男が買い物をしたり、おしめを換えたり一生懸命お手伝いをしているので、えらいなあ、と思いました。
子どもがたくさんいると大変ですが、大きくなったみんながお母さん孝行をするようになれば、どんなにうれしく頼もしいことだろうと、そんなことをいろいろと考えてしまいました。
さてオリガさん自身も4人姉妹の長女で3人の妹さんがいるのですが、末の18歳の妹さんについて、オリガさんから話を聞きました。
妹さんはチェルノブイリ原発事故発生直前に生まれたのですが、子どものときからいろいろな病気を繰り返し、4人姉妹のうち一人だけ極端に体が弱いそうです。また子どものときから髪の毛
がひどく薄くてほとんど伸びず、また歯がぼろぼろで黄色く、「おばあさんのような歯」だそうです。
妹さんは放射能を測定しておらず、病気と放射能の因果関係がよく分かりませんでしたが、私とオリガさんの勧めにしたがってベルラド研究所に行き、放射能測定をしました。
その結果37ベクレルの結果が出て、ビタペクト2を妹さんにも飲んでもらうことにしました。そして、その後再測定をしてもらい、結果を教えてもらうという条件で、測定費用をチロ基金が負担することになりました。
その後オリガさんから電話がかかってきました。
「妹はビタペクト2を飲み始めたが、半分飲んだところで、鼻の手術を受けることになり、入院した。退院後残りを飲むから、再測定に行くのは予定より、後になるので、待ってほしい。」
そこで、しばらく待っていたのですが、何の連絡もなく、心配していました。
ようやくオリガさんと連絡を取ったところ、とんでもないことになっていました。
・・・妹は退院して、ビタペクト2を最後まで飲んだ。ところが前からぼろぼろだった歯が、突然次々と抜け始め、今2本しか残っていない。
医者に行くと歯茎に残った神経などを全部除去して、入れ歯を作らないといけない。
しかし、60歳以上だと割引制度があり、非常に安く入れ歯を作ることができるが、18歳なので制度の範疇から外れるため、500ドルはかかるだろう。
と言われ、そんなお金がないので、歯が抜けたまま・・・。
毎日泣いて学校に行きたがらず、ベルラド研究所にも行きたくない、どこにも行きたくない、と家に閉じこもっている・・・
確かに年頃の女の子ですから、そんなにたくさん歯が抜けた状態で人前に出るのはいやだろうと、気持ちは分かります。
3月13日オリガさん宅に行っていろいろと相談しました。(このとき追加のビタペクト2を5個と「放射能と栄養」のコピー5部を渡しました。)
その結果、オリガさんと、4人の子どもたち、この18歳の妹さんと、27歳の妹さんとで、大勢でベルラド研究所へ再測定(27歳の妹さんは初測定)に行けば、本人は人前でしゃべらなくていいし、オリガさんたちも飲んだビタペクト2が効いたのか分かるからいいのでは・・・ということになりました。
そして3月22日、測定の予約をベルラド研究所に入れて、全員集合・・・のはずが末の妹さんだけ、待ち合わせ場所に来ません。仕方ないので、オリガさんと3人の子ども(末っ子ちゃんは生後2ヶ月で、測定不可能)と27歳の妹さんが測定しました。
その結果は・・・
長男(8歳)24ベクレル → 0ベクレル
長女(4歳)21ベクレル → 0ベクレル
次男(1歳)40ベクレル → 0ベクレル
オリガさん 12ベクレル → 0ベクレル
27歳の妹さん 初測定 0ベクレル
全員ゼロ! オリガさんたちはもちろん、ビタペクト2を開発したベルラド研究所の職員さんたちも、喜んでいました。
やはりこのように結果がでると、ビタペクト2の効果が実感でき、またビタペクト2を飲んだ人たちも、これで放射能がなくなったことが分かった、とはっきり確認ができ、安心です。
ところで18歳の妹さんですが、行方不明(^^;)の原因が後で分かりました。
妹さんはバスに乗って、オリガさん宅へ向かっていたのですが、疲れて途中で寝てしまい、集合時間までに間に合わなかったそうです。この妹さんは体が弱いせいか、バスなどに乗るとそれだけで疲れて、眠りこんでしまうことが多いそうです。
仕方がないので、後日改めてこの妹さんの測定結果をご報告します。
さて、オリガさん一家の放射能の測定回数は以下のようになります。
オリガさんの18歳の妹さん初測定分
オリガさんと子ども3人の再測定分
オリガさんの27歳の妹さんの初測定分
オリガさんの18歳の妹さんの再測定分(これについては上記の理由でまだ行っていません。)
合計大人3人でのべ4回分、子ども3人でのべ3回分
費用は全員で21500ルーブル(日本円に直して1344円)となり、チロ基金が費用を負担しました。
また27歳の妹さんの二人の子どもさんの分と、オリガさんのお母さんの分として、3個のビタペクト2を渡しました。
2回に分けて渡したビタペクト2の数は合計8個、放射能と栄養のコピーは25部になりました。
これで今までに配布したビタペクト2は合計465個、「放射能と栄養」のコピーは451部となりました。
(これで通算19回目のビタペクト2の配布となりました。)
のべ人数、そして単純計算ですが、これで465人分のビタペクト2、そして451家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。
最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった皆様、またバザーなどで基金の活動費を捻出してくださった皆様に、この場を借りてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
by 辰巳雅子
2004/4
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