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SOS子ども村
第13回
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2004年1月21日にビタペクト2と「放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村での第13回目の配布を実施しました。
今回はビタペクト2を11個、「放射能と栄養」のコピーを12部を渡しました。
これで今まで配布したビタペクト2は合計436個、「放射能と栄養」のコピーは405部となりました。
(のべ人数、そして単純計算ですが、これで436人分のビタペクト2、そして405家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。)
今回はゴメリ市から2家族が来ていました。
家族(A)のお母さんに話を伺いました。4人の子ども(7歳、11歳、14歳、15歳)を抱えていますが、お父さんが2年前に事故死。
自分の子ども4人に加え、ゴメリ市多子家庭協会から頼まれて、他の家族の2人の子どもも連れてきました。
お母さんは高学歴者にもかかわらず、現在無職。もし働くと母子家庭手当の額が減らされるそうで、下手に給料の安いところに就職すると、かえって収入が減ってしまうそうです。今高収入の就職先を探していますが、まだ見つかっていません。
多子家庭協会に入会するには1年間の入会金を約14$払わないといけないそうで、それすら払えず、入会していない多子家庭がたくさんあるそうです。
入会してどんな特典があったかというと、子供用の服を3回ほどもらったこと、そしてこのSOS子ども村への保養に行けたことぐらいだそうで、今年の会費をはらうかどうか、決めかねているそうです。
お母さんは放射能に対する知識を持つことは大切、と語り、もうきのこは食べないようにしている、個人で放射能測定器を買って、食品の放射能値を計りたいが、どれぐらいの価格なのか? といった質問をしました。
これに対しては、SOS子ども村で働いている看護士リリヤ・アファナシエヴナさんが
「ゴメリ市の衛生局で、食料品を持っていくと、放射能を測定してくれる有料サービスをしているから、それを利用するほうが安上がりですよ。」
と答えていました。1回300ルーブル(約15円)ほどで、食品の検査をしてくれるそうです。
家族(B)のお母さんからも話を伺いました。5人の子ども(4歳から10歳)がおり、お母さんは無職。お父さんの収入だけで暮らしています。
お母さんは働いていたときもあったのですが、仕事に出ると子どもがしょっちゅう病気になって、仕事を休むことが多くなり、結局やめてしまいました。
お父さんの給料は多くなく、子どもが多いため、子どものために冬、果物を買うとすぐなくなるため、ほとんど買っていません。キャベツやおかゆなどが普段の食事で、子どもの背がなかなか伸びず、爪も伸びるのが遅いそうです。
6人家族が2部屋の家に住んでおり、多子家庭協会にも入っていますが、服などをもらったことと、そしてこのSOS子ども村への保養に行けたことぐらいが、入会してよかったことだそうです。
5人の子どものうちアメリカへ子どもが一人保養に行ったことがあるそうですが、それ以外に外国からの援助は受けていません。保養のおかげで、その間その子どもは身長も伸び、元気になって帰って来たそうですが、他の子どもは・・・
今回はビタペクト2を11個渡してきましたが、50ベクレルを最高に15ベクレルまでの放射能値だった子どもに渡してきました。
今回は放射能の話より、貧困がテーマの話になってしまいました。(そのため具体的にどの子どもが何ベクレルだった、という話が出なかったのですが、保養に来ていたのは子ども11人とお母さん2人だったので、結局ほぼ全員に平均より高い放射能値があったということになります。)
多子家庭、と一口に言っても、いろいろです。今回のケースのように都会に住んでいると自分の畑がなくて、食費だけに収入が消えてしまい、衣服が買えない、ということになってしまいます。
また片親か、あるいはどちらかの親が無職か、といったことでも、その家庭の経済状況が変わってきています。
子どもを4人抱えていて、しかもお父さんがいない、という家庭でも、ベラルーシは日本より職場で女性が出世できる社会なので、会社の重役となって、バリバリ稼いで、子ども達を全員何不自由なく、育てているしっかりしたお母さんもいますしね・・・。
でも困っている人は本当に困っている、ということがよく分かりました。経済的にも苦しく、さらに放射能で子どもが病気がち・・・といったことが重なると大変です。
多くの貧困家庭の話を聞いていると、大概、食料は自分達で調達。それができない(畑を持っていない)と、収入を食費か衣服に使うかどちらかの選択にせまられ、結局食費を選び、「子どもに着せる服がなくて困っている」ことが最大の悩みのようでした。
SOS子ども村側の話によると、昔は西ヨーロッパの国から、古着が山のように送られてきたいたそうです。それを1家族に1箱ぐらいの割合で、どんどんあげていました。
ところが、衛生上の問題から
「新品はいいが古着を海外から搬入してはいけない。」
とベラルーシの法律が変わり、その後、外国から古着をもらうことはなくなってしまいました。困ったものですねえ。どうしてこんな法律を作ったのでしょうか。
そのようなわけで、日本からも古着の援助物資を送ることはできなくなったようです。一体どうしたらよいのでしょうか?
最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、またバザーなどで諸経費(折り紙用の紙や、交通費など)を捻出してくださった皆様、この場を借りてお礼申し上げます。
画像のように、子ども達は夢中で折り紙を作っていました。初めて作るには難しい鶴も、あっという間に折ってしまい、手先の器用な子どもたちばかりで、感心しました。
by 辰巳雅子
2004/1
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