2004年「ビタペクト2」&『放射能と栄養』無料支給・配布運動

2004年活動記録
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ビタペクト2について
成分
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SOS子ども村

第21回

 2004年7月22日にビタペクト2と「放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村での第21回目の配布を実施しました。

 今回はビタペクト2を5個、「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで通算26回目のビタペクト2の配布となり、配布したビタペクト2は合計533個、「放射能と栄養」のコピーは568部となりました。
 のべ人数、そして単純計算ですが、これで533人分のビタペクト2、そして568家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(ビタペクト2の成分や、これまでの配布運動について詳しくはこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html

(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳しくはこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


 今回も保養にきていた2家族からお話をうかがいました。
 
(家族A)

 ゴメリ州ジトコビッチ地区から来た、お母さんと6人の子どもたち。この地区の中心地ジトコビッチ市は数年前、放射能汚染地区指定から外されましたが、同地区内にはまだ汚染地域が残っています。
 
 体内放射能度は、お母さんが24ベクレル、6人の子どものうち3人が20〜23ベクレルで、この家族には合計4個を配布しました。
 お母さんのお話によると子どもたちに特に健康上の問題はないそうです。

 健康の話よりも、今年1月火事に合い、大変な苦労をしているという話をしてくれました。
 真冬の1月、暖房システムの以上から出火し、家が全焼したそうです。
 家族は全員逃げ出し、怪我はなかったのが不幸中の幸いでしたが、家具や衣類も全て燃えてしまいました。
 ベラルーシには火災保険というものがありません。あったとしても、インフレが続いているため、保険をかける人はほとんどいないと思います。
 火災保険制度がない代わり、その地域の役所やコルホーズが、家屋などを提供することになっています。
 実際、今まで火事にあった人は、すぐに新しい家をもらっていました。

 ところがベラルーシの経済状況が悪くになるにつれ、このシステムがうまく施行されなくなってきたことが分かりました。
 この一家にはコルローズから納屋が支給されました。そして家事から半年経った今でも8人家族が納屋で寝起きしています。

 コルホーズからは、次の給料日が来るまで、野菜や果物などをもらったそうですが、冬なのに服はもらえず、大変な状態で何とか春を迎えたそうです。
 この火事がショックで、お父さんはアル中になってしまいました。(お父さん、一家の主なんだから、こういうときこそ、しっかりしてよ! と言いたくなりますが・・・。SOS子ども村の職員さんも、お母さんと子どもたちの前で、お父さんに対する文句をさんざん言っていました・・・。)

 コルホーズからは家を支給することができないので、焼け跡に家を立て直すと、約束したそうですが、いつ完成するのか、今のところ全く分かりません。とにかく冬になるまでに何とか立て直してほしいものです。

 この家族はこのような住環境にあるため、優先されてこのSOS子ども村に保養に行くことができたそうです。
 しかし、ここでの保養期間は3週間と決まっており、この後また、納屋の家に戻らないといけないのかと思うと、話を聞いていた私も暗くなってしまいました。
 SOS子ども村の職員さんたちは、いろいろ手を尽くして、子どもたちの夏服を集めてきて、この家族に渡していました。
 偶然私は、自分と子どもの古着を持って行っていたのですが、運の悪いことに、ここの家族は男の子ばっかり(しかも私の子どもより年齢が上)で、役に立ちませんでした。
 しかし、職員さんたちは、次に保養に来る家族に小さな子どもや、女の子(私の体型とちょうど合うのは中学生ぐらいでしょうか。)が来ることもあるから、と言って預かってくれることになりました。

 SOS子ども村に滞在中は、楽しいプログラムも用意されていて、子どもたちには笑顔が見られましたが、お母さんはずっと悲しそうな顔をしていて、見ていてつらかったです。
  

(家族B)

 もう一つの家族はゴメリ州トゥーロフ地区から来ていました。この地区も放射能汚染地域には入っていません。
 トゥーロフは有名なベラルーシの古代都市なのですが、現在は小さな町となっています。
 しかし、歴史がある場所、ということで、近年中に市に昇格するという話があり、住民は暮らしがよくなるかもしれない、と期待しているそうです。 

 さて、この家族の子どもは4人ですが、近所に住む子ども3人も連れてきていました。
 この近所の子どものうち1人だけが22ベクレルと測定され、ビタペクト2を1個配布しておきました。
 あとの子どもたちは全員0ベクレルで、どうして、1人の女の子だけが高い値が出たのか、よく分かりません。
 この子どもには特に健康上の問題はないそうです。

 その連れてきた近所の子ども3人の話から先にします。
 この3人の子どもは4人兄弟のうちの3人で、この子どもたちのお母さんは現在双子を妊娠中だそうです。つまり5人目と6人目の子どもがもうすぐ生まれるということです。お母さんは身重のため、子どもたちをSOS子ども村へ連れて行くことができませんでした。
 このお母さんは孤児院育ちだそうで、生活に困っていても助けてくれる親戚もいないそうです。
 今は6人家族で借家住まいをしており、貧困家庭として登録されています。
 4人の子どものうち1人は偶然、チェルノブイリ被災児として、アイルランドへ保養へ行くことになり、残り3人を近所に住む家族Bのお母さんが連れてきた・・・といったいきさつでした。

 家族Bのお母さんからは、とんでもない話を聞きました。
 トゥーロフ地区全体で水道の水にA型肝炎のウイルスが混入し、地区全体でA型肝炎が大流行したそうです。A型肝炎に以前かかっていたことがある、といった抗体保有者以外の人はほとんど発症してしまったそうです。
 この家族では半年前、父をのぞくお母さんと4人の子ども全員が肝炎にかかり、入院しました。
 薬が高く、家族も多いので、祖母が飼っていた牛を1頭売ってお金にし、薬代に充てたそうです。
 今でも肝炎にかかっている住人がたくさんいるそうです。
 お父さんは以前A型肝炎にかかったことがるため、大丈夫だったそうです。
 しかし、お父さんは脊髄の病気で長い間、闘病生活をしており、10年前モスクワの病院に入院しましたが、完治しませんでした。現在は胃炎も患っており、食事制限があって、お母さんは大変苦労しているそうです。

 今回は、聞いていてつらい話が多く、私も暗くなってしまいました。
 幸い折り紙とぶんぶんごま、押し花のシールなど日本のおもちゃを子どもたちに渡したところ、子どもたちの目が輝いて、それを見て少しほっとすることができました。
 火事や病気など、事前に防ぐことができたかもしれない災難に遭っている、子どもたち・・・。
 大人も子どもも、いつどんなことに遭遇するか、誰にも分かりません。明日と言う日が少しでもよくなるよう祈りつつ、SOS子ども村を後にしました。

 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、また諸経費を捻出してくださった皆様、日本のおもちゃを手作りで作ってくださった皆様に、この場を借りてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

 画像は子どもたちのようすです。
 こんな大変な苦労をしているのに、お客さん(私)のためにお茶とお菓子を出してくれたりして、何だか申し訳なかったです。
by 辰巳雅子
2004/7

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