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SOS子ども村
第27回
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2004年12月16日にビタペクト2と「放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村での第27回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
今回はビタペクト2を8個、「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。 これで今までに配布したビタペクト2は合計807個、「放射能と栄養」のコピーは628部となりました。
これで通算33回目のビタペクト2の配布となりました。 のべ人数、そして単純計算ですが、現時点で807人分のビタペクト2、そして628家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。
(ビタペクト2の成分や、これまでの配布運動について詳しくはこちらをご覧ください。) http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html
(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳しくはこちらをご覧ください。) http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html
さて、今回も保養のため、SOS子ども村を訪れていた2家族からお話をうかがいました。 (家族A) お母さんとその5人の子どもと1人の養子がゴメリ州ポトケビッチから来ていました。 お母さんの口から一番に出たのは 「うちの子どもたちは日本人の血を引いているんです。」 まあ、なんておもしろい、と詳しく話を聞くと・・・この5人のお父さんの4代前が日本人だったそうです。 つまり、この子どもたちは日系5世、ということですね。(と言っても日本人の血はもうわずかしか流れていませんが・・・。)
ご先祖の日本人は、ロシア帝国の皇帝がエリザベータ女帝だったころ(とうことは18世紀後半?)当時の日本政府(江戸幕府?)から送られた使節団の一人として(えええ???)ロシアを訪問し、帰国した他の日本人と別れてロシアに残ってロシア人女性と結婚し、その後ベラルーシへ移った・・・ということでした。 でも18世紀後半、江戸幕府が日本人の使節団をロシアに送った、ということは歴史の事実として記録されていないので、これは間違いで、おそらくは漂流民だったのではないでしょうか? ちょうどその時期にロシアに漂流した日本人がいないか調べたところ・・・ありました。奥州多賀丸の乗組員です。でも彼らの多くはイルクーツクにあった日本語学校の教師になったらしいので、遠く離れたベラルーシにやってくるのはちょっと無理があるような気がします。 ・・・と思っていたのですが、こんなサイトを発見しました。 http://www.hoppou.go.jp/gakusyu/watashitachi/aomori/aomori.htm http://www.hoppou.go.jp/gakusyu/watashitachi/iwate/iwate.htm http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaempfer/mapsuv200/200nin/gaikoku/aa-212.htm
これによれば、彼らの子孫がベラルーシにやって来たとしても不思議はありませんね。 「そのご先祖のお名前は何というのですか?」 と尋ねましたが 「発音が難しくて、誰も覚えていません。でもその人にはあだ名があって『親切なマザイ』と呼ばれていたそうです。」 ・・・これだけでは一体誰が誰なのか確定できませんが、それにしてもすごい話です。 お母さんは 「日本人の血を引く夫は、やはり顔立ちが東洋風です。一目で分かります。でも子どもたちはもうあまり日本人のようには見えません。でもこの子とこの子は父親似なので、ほら、ちょっとアジアっぽい顔をしているでしょう?」 と話していました。確かにその子達はちょっと目の当たりなどが東洋系でした。
4世に当たるお父さんは神父をしているそうです。何だかとても不思議な感じがしました。 この一家はブレスト州ピンスク地区の出身で、そこにある教会でお父さんは神父として務めていたのですが、1995年にゴメリ州ブラーギン地区にある教会に「転勤」するように言われ、引越ししました。 ピンスク地区もあまり放射能値が低くないのですが、ブラーギンはもっとチェルノブイリ原発に近く、放射能値が高い場所です。そんなところへ幼い子どもも連れて、引っ越さないといけないなんて、不運かも、と思ったのですが、教会からの支持に神父様が逆らうわけにもいかず、2000年までの5年間家族で暮らしていたそうです。 その後ゴメリ州ポトケビッチにある教会へまた転勤となり、現在はそこで暮らしているそうです。
体内の放射能値を調べたところ、5人兄弟のうち上の3人(10歳〜14歳)に21ベクレルから26ベクレルの値が出たため、一つずつビタペクト2を渡しておきました。 このうち14歳の女の子(26ベクレル)は甲状腺肥大が見られ、これ以上大きくなったら手術しないといけないだろうと、お母さんは大変心配していました。 また10歳の男の子(21ベクレル)は神経系統に異常があり、慢性頭痛、鼻血がよく出る、手足が震える、などの症状に悩まされているそうです。 医者は治療のプログラムにそって一定期間入院することを勧めており、たぶん近いうちにそうするだろう、というお母さんのお話でした。 このように何らかの症状が出てしまうと、ビタペクト2を飲んでも病気自体は治らない、と職員のリリヤさんが話していましたが、再発の防止には役立つのではないか、と思いました。
(家族B) 4人の子どもを持つお母さんが2人の親戚の子供をつれて、ゴメリ州ペトリコフ地区から訪れていました。 最年少の2歳の子どもは5ベクレルという検査結果で、最も値が低かったのですが、残り5人の子ども(11歳から15歳)全員に1個ずつビタペクト2を渡しました。その中で最も値が高かった子どもが29ベクレル、低い子どもで20ベクレルでした。 子どもたちはみんな元気だということですが、この中で最も放射能値が高かった11歳の男の子(29ベクレル)に、白い痣が顔ができていました。
3年前の8歳のときに突然左目の下の頬に白い痣が現れ、どんどん広がっていきました。そして、今年の夏には、左目のまつ毛まで色が抜けて真っ白になってしまいました。 痣が広がる、というのは理解できるのですが、どうしてまつ毛まで色が抜けて白くなるのか、全く分かりません。 医者は「これはチェルノブイリの放射能のせいです。」 と説明したそうです。痛みや痒みがあるわけでもないので、現在放置しています。 医者からはよい塗り薬があるが、13歳になるまで使わないほうがよい、それまでに痣が自然に治らなければ、その塗り薬(ステロイド薬?)を使用してみましょう、と言われたそうです。 これはいわゆる「白なまず」(尋常性白斑)だと思うのですが、調べたところ、「治りにくい」「レーザー治療で治る」などといろいろ言われています。「免疫の異常で発生する?」とも言われていますが、放射能の影響かどうかはっきりしません。
家族は「大きくなれば自然に治るよ。」と男の子を励ましていましたが、そうなることを祈ります。男の子でも顔に痣があってじろじろ見られたり、まつ毛が片方だけ真っ白というのも、目立ってしまってじろじろ見られたりするのは、いやだろうなあ、と思います。 いつものように子どもたちに折り紙を渡したところ、とても喜んでいました。何でも日系一家のほうは、絵や工作が大好きという芸術一家だそうです。 画像はみんなで記念撮影をしたところです。もうすぐお正月とクリスマスなので、みんなできれいに飾り付けをしたそうです。楽しそうですね。(^^) ただこの中に関係ない子ども(うちの子)が1名写っています。(この中に日系人が6人も写っている・・・)(^^;)
最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙用の紙を寄付してくださった方、またバザーなどで交通費など諸経費を捻出してくださった皆様に、この場を借りてお礼申し上げます。多くの方々に支えられて、この活動が続いています。本当にありがとうございました。
by 辰巳雅子
2004/12
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→NEXT(2005年の活動はベラルーシの部屋レポートに不定期掲載中)
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