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SOS子ども村
第19回
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2004年6月9日にビタペクト2と「放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村での第19回目の配布を実施しました。
今回はビタペクト2を7個、「放射能と栄養」のコピーを30部渡しました。このうち20部は保養ではなく療養のため滞在している子どもたちの保護者を対象に配布されました。
これで通算24回目のビタペクト2の配布となり、配布したビタペクト2は合計518個、「放射能と栄養」のコピーは550部となりました。 のべ人数、そして単純計算ですが、これで518人分のビタペクト2、そして550家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。
今回も保養にきていた2家族からお話をうかがいました。 このうち1家族はブレストから来たお母さんと3人の子どもたちで、今回2回目の保養のため来ていました。前回滞在していた2003年5月29日に、すでにビタペクト2を渡しています。
詳しくは「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村
第4回にてご報告していますが、簡単にもう一度ご紹介すると・・・
3人の子どもたちは背骨に異常が見つかり、休学するよう言われた。 お母さんは甲状腺の肥大、腎臓結石が見つかった。 チェルノブイリ原発事故発生当時ブレストで働いていたが、3年後放射能汚染地域であるゴメリ州ジロービン市の授業も同じ建物内でできる孤児院で働いていた。現在はブレスト在住。
さて、今回お話を伺うと、子どもたちは以前と比べてずいぶん元気になったそうです。健康状態について、とくにこれといった問題は今はないそうです。 前回渡したビタペクト2については、子どもたちは嫌がることなく、ちゃんと飲んだそうです。 それから約1年経って再び、SOS子ども村へ保養に来たわけですが、体内放射能の測定を再度行いました。
お母さんと末っ子の女の子は0ベクレルの結果が出ましたが、長女は21ベクレル、長男は15ベクレル、という結果でした。
そのためこの2人の子どもにはビタペクト2を渡しておきました。 お母さんは前回の滞在のときに渡した「放射能と栄養」のコピーを読んで、食事の調理方法を工夫するようにしているそうですが、同じ家庭で暮らす子どもに体内放射能値のバラつきが出てくるのか、よく分かりません。残念なことです。 このお母さんは3人の自分の子どものほか、同じブレストに住む4人の子どもを連れてきていました。 そのうち3人の体内放射能値が高く、ビタペクト2を渡しておきました。このうち2人は双子の女の子ですが、1人は血液の状態が悪く、4年間の入院生活を送ったことがある子どもだそうです。この女の子の体内放射能は17ベクレルでした。
さて、もう1つの家族はモズィリ市から来た家族でした。4人の自分の子どもと近所に住む2人の子どもを1人のお母さんが連れてきていました。 このお母さんと4人の子どもたちの体内放射能値は0〜10ベクレルで、少なかったのですが、連れてきていた2人の子どもは24ベクレルと17ベクレルでしたので、それぞれビタペクト2を渡しておきました。 この6人の子どもたちの健康状態についてですが、特に目立った病気などにはかかったことはないそうです。 健康でよかったです。(^^)
さて、今回も子どもたちに日本の文化について楽しく知ってもらおうと、いろいろおもちゃを持って行きました。 今回は折り紙のほか、剣玉や逆さ独楽、風車、ぶんぶんごまなどを持って行きました。 これらの伝統玩具は全て、日本人の方々から寄贈していただいたものです。 さらには風車をベラルーシの子どもたちに作ってもらおうと、これも寄贈していただいた材料(羽根になる色紙や、竹ひご、穴に通す針金や飾りになるビーズなど)も持って行きました。 子どもたちはSOS子ども村で3週間滞在しますが、自分の家を離れても、折り紙をしたり、風車を作ったりして、きっと退屈することはないだろうなあ、と思いました。 剣玉と逆さ独楽が、数が少ないため、SOS子ども村自体への寄贈となり、これからここで滞在する子どもたちが順番に遊ぶことになります。
画像は日本のおもちゃで遊ぶ子どもたちです。逆さ独楽は回っているうちに独楽がひとりでにひっくり返って、さらに回り続けるので、「手品みたい!」とベラルーシの子どもたちは驚いていました。 剣玉は1人の女の子が生まれて初めて挑戦したとは思えないほど、上手でみんなから感心されていました。
こんなふうに楽しく日本の文化を知ってもらう機会ができて、本当によかったと思っています。 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、また諸経費を捻出してくださった皆様、ぶんぶんごまや風車を手作りで作ってくださった皆様、剣玉や逆さ独楽を寄贈してくださった方にこの場を借りてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
by 辰巳雅子
2004/6
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