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ピンスク地区ソシノ村 第2回 その3
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ちょっと暗いのですが画像は体育館での体育の授業の様子です。 日本と違って、お揃いの体操着がないんですよね。
ハンドリコ校長先生のお話によると、この学校は1968年に創立されましたが、当時は1年生から8年生までが通う学校として建てられたので、11年生まで通うことになった現在ではやや狭いそうです。 ただ生徒数は年々減少しています。入学や転入する子どもの数より、卒業する子どもや転校する子どもの数のほうが多いそうです。 放射能と関係があるのかどうかは分かりませんが、不妊症の若い夫婦が以前よりずっと多くなっている、ということでした。 ソシノ村は国が指定する放射能汚染地域の中には入っていません。しかし、この村の近くの森で採れるあるキノコの放射能汚染度は、標準レベルの2倍になっているそうです。 村の人はこのキノコは食べないのですが、ピンスク市からキノコ採りに来た人々がたくさん採って行くそうです。 こういう話を聞くにつけ、「国が指定する放射能汚染地域であるか否か」というのは意味のないことのように思えます。
昨年もビタペクト2を配布した幼稚園は雨漏りのため、全面的に改修工事を行っており、休園中でした。しかし、園児の数は58人だと教えてもらったので、60個のビタペクト2とパンフレットのコピーを渡しておきました。 2個多めに渡したビタペクト2は職員の方の試飲用となります。 ただこの幼稚園は保育園も兼ねており、ビタペクト2が飲めない3歳以下の子どもも通園しています。そのため、実際には58人の子どもが飲むことにはならないと思います。 このあたりの詳細が、休園中のためはっきりしませんでしたが、ご了承ください。 幼稚園は近日中に開園するそうなので、その後、該当する年齢の園児たちにビタペクト2が配布される予定です。
その後、村の診療所へ行き、オリガ先生にお会いして、血圧計を寄贈しました。診療所に血圧計という基本的な医療器具がないというのは、日本では考えられないことです。 オリガ先生はとても感謝していました。 また診療所には10個のビタペクト2とパンフレットのコピーを渡しました。 診療所には村民全員のカルテがあり、その中で特にビタペクト2を飲むとよいと考えられる成人にオリガ先生から配られることになりました。
画像は血圧計を手にした診療所内でのオリガ先生です。 日本の方々に大変感謝しており、お礼の言葉を伝えてほしい、ということでした。
予算の問題があり、できるかどうか分かりませんが、来年もまたソシノ村でビタペクト2の配布をしたいと思っています。 後日、マリーナさんとウラジーミル君のお母さんに電話で聞いたところ、子どもたちはちゃんと学校からビタペクト2を一つずつもらってきて、毎日飲んでいる、ということでした。 去年は飲まなかったという子どもたちも、学校で先生から話を聞き、飲むようになったそうです。(いやいやかもしれませんが・・・。)
最後になりましたが、ビタペクト2の購入費と交通費を寄付してくださった日本ユーラシア協会大阪府連合の会員の方々、またマリーナさんの薬代や血圧計の購入のため寄付してくださった方、ビタペクト2のパンフレットのコピーにかかる経費を寄付してくださった方、折り紙用の紙などにかかった諸経費を捻出してくださった方々に、この場を借りてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。 皆様がいなければ、ソシノ村への援助活動を続けることはできませんでした。 ソシノ村の子どもたちの体から放射能が消え、健康な生活が送れるよう、心から祈っています。
by 辰巳雅子
2004/11
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