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SOS子ども村
第24回
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2004年9月28日にビタペクト2と「放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村での第24回目の配布を実施いたしました。
今回はビタペクト2を3個、「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。 これで今まで配布したビタペクト2は合計550個、「放射能と栄養」のコピーは598部となりました。
これで通算29回目のビタペクト2の配布となりました。 のべ人数、そして単純計算ですが、これで550人分のビタペクト2、そして598家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。
(ビタペクト2の成分や、これまでの配布運動について詳しくはこちらをご覧ください。) http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html
(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳しくはこちらをご覧ください。) http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html
今回は1家族だけが保養に来ていました。 この家族はゴメリ州ペトリコフ地区から来ており、お母さんとその4人の子どもたち、さらに4人の甥っ子や姪っ子を連れてきていました。 このうち女の子3人(16歳22ベクレル、15歳21ベクレル、10歳27ベクレル)に一つずつビタペクト2を渡しました。
子どもたちに何か健康上の問題がないか尋ねたところ、これといった持病などはないが、子どもたち全員が風邪を引きやすく、また引くとなかなか治らないそうです。 これは放射能の影響だと思います。 風邪を引きやすい、風邪が長引く、といった子どもたちはベラルーシでは激増しています。
4人兄弟のうち、末っ子は今4歳なのですが、この子を妊娠したとき、お母さんは産休を取りました。当時お母さんはソフホーズで働いていたのですが、産休中に人員整理が行われ、リストラされてしまいました。今も再就職できないままでいます。 お父さんはカリンコビッチ市で消防士をしていましたが、子どもが多いのに家が狭かったため、住宅がもらえるよう申請したところ、ペトリコフ地区の元軍人専用の住居が、一般人向けに払い下げされることになり、それをもらいました。 しかし、引っ越したために、職場が遠くなって通勤が無理になったため、消防士をやめて、ペトリコフ地区で職を探し始めました。しかし、4ヶ月間仕事が見つからず、この家族は現金収入皆無の状態で暮らしていたそうです。
幸いペトリコフは母親の生まれ故郷で、両親が住んでおり、その両親が所有する畑をみんなで耕して、野菜を作って食べていたそうです。 最近になって多子家庭協会に入会することを思いつき、入会したものの、これといった援助はもらえなかったのですが、突然SOS子ども村への保養に行くことを勧められ、やってきたそうです。よかったですね。
それにしても、子どもが4人もいて現金収入がゼロ、というのは大丈夫なのでしょうか? お母さんは「親の畑があるから食べるものには困らない。」と微笑んでいましたが、実際は・・・? 今回もぶんぶんゴマ、折り紙用の紙と折り紙の作り方などを持っていきました。 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーす るために必要な経費を寄付してくださった方々、またバザーなどで諸経費を捻出してくださった皆様、ぶんぶんごまを手作りで作ってくださった皆様に、この場を借りてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
by 辰巳雅子
2004/9
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