2003年「ビタペクト2」無料支給運動

2003年活動記録
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ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村

第4回

 5月26日にビタペクト2と「放射能と栄養」のコピー無料配布運動としてSOS子ども村での第4回目の配布を実施しましたのでご報告いたします。

 渡した個数は保養に来ていた子ども8人分でした。本当はお母さんたち3人分も渡したかったのですが、ビタペクト2の購入が間に合いませんでした。
 以前ビタペクト2を開発販売しているベルラド研究所にきいたところ
「今は大量生産できる機械を設置したから、いつでも好きなだけ購入できますよ。」
ということだったので、安心しきっていたら、それでも製造が追いつかないほど、現在はビタペクト2の需要が増えているそうです。
「水曜日以降なら購入できますよ。」
と言われたのですが、今SOS子ども村で保養のため滞在している子供たちは火曜日に帰ってしまうのです。
 幸い前回の残り8個が手元にあったので、それを8人の子供たちに渡してきました。
 お母さん達の分はなくて残念でした。これからはビタペクト2の購入の時期など早めするよう注意します。

 さて今回もお母さんたち(3人のうち2人。)からお話をうかがうことができました。
 一人のお母さん(ブレスト州・36歳)には3人の息子さんがいます。
 長男(15歳)は生まれつきの心臓の欠陥があり、それからアデノイドの除去手術を2回受けたところ聴覚障害を起してしまいました。
 次男(10歳)も生まれつきの心臓の欠陥があり、三男(3歳)は体が弱いそうです。
 お母さん自身は健康だったのですが、長男出産後、体調が悪くなり、8年前に胆嚢の手術を受け、一生薬を飲みつづけないといけません。

 もう一人のお母さん(ブレスト市・35歳)も3人の子どもがいますが、全員背骨に異常が見つかり、学校に通って、イスに座りつづけるのはよくないため、1年間休学するように言われたそうです。ベッドにしく特別なマットを買うようにも勧められました。
 お母さん自身は甲状腺が肥大し、早めに手術するよう言われたそうです。さらに腎臓結石も見つかりました。

 このお母さんは学校の先生です。チェルノブイリ事故発生時には、ブレストで働いていたのですが、3年後、放射能汚染地域であるゴメリ州ジロービン市の授業も同じ建物内でできる孤児院から
「教師達が移住してしまい、人手が足りない。しかし孤児は孤児院にたくさんいる。代用教員として、働いてほしい。」
と言われて、ジロービンへ引っ越しました。
 その後ブレストに帰ってきたのですが、お母さんは甲状腺が肥大し、子ども二人は背骨の病気になってしまいました。
 3番目の子どもには異常はなかったのですが、今回SOS子ども村で保養中に病院で診てもらったところ、この子どもにも異常が見つかり、進行しないうちに早めに治療を受けるように言われたそうです。
 このお母さんは
「当時、汚染地域に住むことがそんなに危険なことだとは知りませんでした。もしこうなると分かっていたら、ジロービンには行きませんでした。全ては無知だったのが原因です。ここで滞在中、いろんなことをお医者さんたちや、ベルラド研究所の人たちから教えてもらいました。チロ基金からもらった『放射能と栄養』のコピーも同じ
ように健康になれる方法を教えてくれるはずです。これを後でゆっくり読んで学びたいと思っています。」
と話していました。

 今回保養に来ていた8人の子どもたちは全員ベルラド研究所で、体内の放射能値を測定しましたが、体重1キロあたり5〜25ベクレルと開きがありました。5ベクレルの子どもはビタペクト2は飲まなくてもいいと思ったので、代わりにお母さんが飲んでください、と言っておきました。
 今回ビタペクト2の数が少なくて残念でした。でも、幸いブレストは都会なので、研究所の分所(って言うのかな?)があり、そこでビタペクトが入手できるそうです。

 さらに前述のお母さん(胆嚢の手術を受けた人)から事故発生当時のお話をうかがうこともできました。
「事故が起こった日はとても天気がよく、4月なのに真夏のような暑さで、肩が出る夏服を着て、外出しました。家に帰ると、首と肩にしみが一面にできていました。今までこんな日焼けをしたことはなかったので驚きましたが、そのうち普通の日焼けのように消えるだろう、と思っていました。でも未だに消えずに残っています。事故当時、私は19歳でした。」
 頼んでそのしみを写真に撮らせてもらいました。(ちょっと分かりにくいのですが)当時もこんな感じの夏服を着ていたそうです。


 今回はSOS子ども村の職員で、保養に来ている家族のお世話をしているターニャさん(26歳)からもお話をうかがいました。彼女も被曝者です。
 ターニャさんはラトビアの生まれです。9歳のときお父さんの転勤でベラルーシに引っ越すことになりました。ゴメリ州バブルイスク市に引っ越して2週間後、チェルノブイリ原発事故が起こり、被曝してしまいました。
 ターニャさんのお父さんはもともと色が黒く、日に焼けたことが一度もなかったそうです。
 ところが事故が起こった日、お父さんは生まれて初めて日焼けを起し、肌が変色し、痛みを感じたそうです。
 またターニャさんは、家の近所にあったりんごの木が、事故発生後3−7日で、葉が全て丸まって枯れてしまったのを覚えていました。
 ターニャさんは昨年ベルラド研究所で体内の放射能値を測定したところ、体重1キロあたり28ベクレルであることが分かり、ビタペクト2を飲み始めました。
 半年後、再び測定すると、放射能値はゼロ。今は汚染地域に住んでいないせいもあり、今のところゼロの値を保っているそうです。
 ターニャさんのお話では
「将来もっといい薬が開発されるかもしれないけれど、今のところベラルーシでは、ビタペクト2ほど効果のある放射能排出食品はありません。」
ということでした。

 こういった被曝者の方々のお話を聞くたびに、事故の影響の大きさ、特に人数的に、そして長期的に続く問題について、自分の微力さを感じます。どうしたら、もっと多くの人が早く健康になれるのでしょうか?
 しかし、微力ながらもチロ基金はできることをこれからも続けようと考えています。  
 今後も少しずつですがビタペクト2と「放射能と栄養」のコピーの配布を継続していこうと思っています。
 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった皆様、またバザーなどで基金の活動費を捻出してくださった皆様にこの場を借りてお礼申し上げます。  →NEXT
辰巳雅子
          Date:2003/05/29(Thu)