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SOS子ども村
第40回
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12月23日にビタペクト2と「放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村での第40回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
今回もビタペクト2を2個、「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。 これで今までに配布したビタペクト2は合計931個、「放射能と栄養」のコピーは790部となりました。
今回で通算46回目のビタペクト2の配布となりました。 のべ人数、そして単純計算ですが、現時点で931人分のビタペクト2、そして790家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。
ビタペクト2の成分や、これまでの配布運動について詳しくはこちらからご覧ください。
「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳しくはこちらをご覧ください。
SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。
今回も保養に来ていた家族からお話をうかがいました。
(家族A) 今回はこの家族の子ども2人に1個ずつビタペクト2を渡しました。 ミンスク州クルプスキー地区から来た家族です。 ビタペクト2を渡したのは10歳の男の子(26ベクレル)と8歳の女の子(28ベクレル)でした。 この一家には7人の子どもがいますが、実子は1人だけで、6人は養子です。6人のうち3人は兄弟で3人そろって引き取られました。 特に子ども達に持病などはないそうです。 発病してからではビタペクト2は効き目がないことがほとんどなので、早めに体の中にたまった放射能を体外に出すほうがいいです。ああ、間に合ったな、と思えます。
もう一つの家族は、放射能値は全員ゼロでした。 しかし、この家族も養子をたくさん引き取った家庭でしたので、ご紹介します。
(家族B)
モギリョフ州オシポビッチ市から来た家族です。普通ミンスク州よりモギリョフ州のほうが放射能汚染地として知られていますが、この家族は放射能値ゼロ、健康なのが自慢という家族でした。 7人の子どもがいますが、5人は養子です。
現在このような家族が増えてきており、ベラルーシ全土で約200家族いるそうです。
これを「家庭タイプ孤児院」と呼んでおり、1家族につき5人以上の養子をもらうとそういう家庭と国から認定されます。
また多子家庭としても認定され、児童手当を一人につき月に約6000円(2005年12月のレートで換算)もらえます。さらに広い住居も支給されます。 二親そろっていなくても、「家庭タイプ孤児院」と認められますが、男親だけの場合は認められません。 こういう例はあまりないと思いますが、例えば独身の女の人が5人養子をもらえば、「家庭タイプ孤児院」と認定される、ということです。
どうしてこのような家庭が増えてきたかというと、まず孤児の増加が原因です。 そして孤児院の運営のため使われる経費と、家庭タイプ孤児院の家庭に住居を与え、子どもに児童手当を支給するための予算とを比べると、5倍の開きがあるからなのです。 国としては予算のかかる孤児院を孤児の数が増えているにもかかわらず、縮小させる方向を進めており、家庭タイプ孤児院の増加を奨励しています。 (国営テレビのCMで奨励しています。) そのうちベラルーシに孤児院という施設そのものがなくなるかもしれません。 結局は国の財政に余裕がないというのが一番の原因ですが、養親となってくれる心の広い一般市民に孤児の養育を丸投げしてしまっているような感もあります。 もっとも、養子になった子ども達は、孤児院で暮らすより、血がつながってなくてもお父さんやお母さんと呼べる存在を身近に感じながら育つほうがずっといいでしょう。実際に子ども達はみんな「今のほうがいい。」と話していました。 それにしても養親であるお母さんたち、すごいですよね。心が広いですよ。私にはとても真似できません。
今回も子どもたちには折り紙用の紙や、折り紙の作り方のコピー、絵葉書などをプレゼントしました。 画像は大きいクリスマスツリーの前で記念撮影したものです。ツリー用の飾りではなくて、本物のぬいぐるみをそのまま飾ってたりして、何だかダイナミックでした。
最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙用の紙など子どもたちへのプレゼントを寄付してくださった方、またバザーなどで交通費など諸経費を捻出してくださった皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。私はもちろん、ベラルーシの子どもたち、お母さんたち、SOS子ども村の職員の方々も大変皆様に感謝しております。本当にありがとうございました。
今年も最後の配布となりました。 ご寄付が続く限り、来年もまたビタペクト2の配布活動を続けていこうと思っています。どうか今後も引き続き暖かくお見守りください。
辰巳雅子
Date:2005/12/25
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