2005年「ビタペクト2」&『放射能と栄養』無料支給・配布運動

2005年活動記録
*SOS子ども村*
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成分
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SOS子ども村

第31回


 5月20日にビタペクト2と「放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村での第31回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はビタペクト2を8個、「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2は合計827個、「放射能と栄養」のコピーは671部となりました。

 これで通算37回目のビタペクト2の配布となりました。
 のべ人数、そして単純計算ですが、現時点で827人分のビタペクト2、そして671家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

ビタペクト2の成分や、これまでの配布運動について詳しくはこちらからご覧ください。
「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳しくはこちらをご覧ください。
SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。

 今回も保養に来ていた2家族からお話をうかがいました。両家族ともゴメリ州カリンコビッチ市から来ていました。


(家族A)

 子どもは4人で、ビタペクト2を2個渡しました。渡したのは12歳の双子の兄弟。21ベクレルと24ベクレルでした。健康状態はよいそうです。
 そのほかの子どもたちもみんな元気でしたが、お父さんが関節や背骨が痛む病気に罹り、現在定職に就いていないそうです。2部屋の長屋作りの家に6人で暮らしており、暖房は薪や木炭。水道もなかったのですが、自分たちでパイプを通して引いてきたそうです。別の家に引っ越したいと希望していますが、難しそうです。
 今、ベラルーシではローンを組んで家を買うことが可能になっています。しかし、この家族にとってはそれも難しいと判断され、今のところめどは立っていません。
 多子家庭協会に所属していますが、そのおかげでSOS子ども村に保養に行くことができたとお母さんは、大変喜んでいました。


(家族B)

 現在4人の子どもと1人の養子の5人の子どもがいます。そのうち2人は年齢制限のため保養には来られませんでした。
 その代わり元里子を連れてきていました。これは里子として一緒に暮らしていた子どもが、現在は別の養親に引き取られ、暮らしているのですが、一緒に保養に連れてきたのです。
 何だか複雑ですけど、つまり、実子2人と養子1人、元里子6人の合計9人が来ていました。
 この家族には6個のビタペクト2を渡しました。20〜28ベクレルの放射能値でした。
 この中であまり体が丈夫でない、とお母さんに言われたのは10歳の男の子(養子)1人だけでした。風邪をしょっちゅう引くそうです。他の子どもたちは比較的元気で、特に問題ないということでした。
 しかし、この家族もお父さんが喘息持ちだそうで、子どもより稼ぎ手であるお父さんの健康状態がよくなく、お母さんは心配していました。確かにお父さんが病気だと、子どもの数が多いのに、経済的に大変ですよね。
 ただこの家は2頭の牛、3頭の豚、さらには鶏や七面鳥を飼っており、広い畑もあって、食費にはあまり困っていないようでした。
 お母さんは「乳搾りをせずにのんびりする生活なんて、今までなかった。」と話していました。SOS子ども村へ来て、やっと骨休めしているようでした。子どもたちも家の手伝いをするよい子どもたちだそうです。
 「放射能と栄養」のコピーも子どもたちに配りましたが、子どもたちは家に帰ったらそれぞれの養親に見せる、と話していました。

 子どもたちには今回も折り紙用の紙や、折り紙の作り方のコピー、紙風船、絵葉書などをプレゼントしました。特に紙風船が大人気です。遊べるからかな? バレーボールをして遊んでいました。(^^;)

 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙用の紙など子どもたちへのプレゼントを寄付してくださった方、またバザーなどで交通費など諸経費を捻出してくださった皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。私はもちろん、ベラルーシ人のお母さんたち、SOS子ども村の職員の方々も大変皆様に感謝しております。

 ところで、チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村第18回」で、もう一つSOS子ども村がベラルーシ国内にできることになったのが、ベラルーシ政府から多額の税金を支払うよう要求され、開村ができないままになっている、という話がありました。
 1年経って、ようやく、マリーナ・ゴールカという、ミンスクから車で40分ほどのところに、第2のSOS子ども村が開村しました。新しくベラルーシの孤児たちが、100人ほどこの村で暮らすことになります。
 5月21日が開村式だったのですが、それに合わせて、オーストリアからSOS子ども村の理事長が、ベラルーシに来ました。20日にはボロブリャヌィにある第1のSOS子ども村を訪問したのですが、ちょうど私がビタペクト2を渡しているときに、視察に訪れ、お知り合いになることができました。理事長は私の顔を見て
「なぜここに東洋人が?」
という反応でしたけどね・・・。(^^;)

 理事長自ら、SOS子ども村の出身(つまり孤児)だそうですが、45年間もSOS子ども村で働き続け、初代の理事(創立者)が亡くなった後、2代目の理事として就任したそうです。
 そして、ベラルーシ国内にSOS子ども村を設立し、孤児の救済に尽力した、という功績が認められ、ベラルーシ政府からフランツィスク・スカリナ勲章を受章しました。その授賞式も20日に行われ、テレビのニュースでも報道されました。
 1年前、多額の税金云々の揉め事があったとは思えないですね。
 でもまあ、よかったよかった。
 さらに第3のSOS子ども村を建設する計画もあるようです。この調子で(ベラルーシ政府ももっと協力して)どんどんSOS子ども村を作ってほしいものです。

辰巳雅子
Date:2005/05/27

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