チェルノブイリ被災児マリーナさんとウラジーミル君の治療支援活動

第1回 (1/2)    2003年5月

マリーナさんとウラジーミル君

 チロ基金の活動報告「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村第1回」でご紹介した、両足に難病をかかえた姉弟マリーナさん(12歳)とウラジーミル君(10歳)が、ミンスクに訪れ一日かけて精密検査を受けました。
 チロ基金はこの2人がお母さんと、ミンスクの病院に来られるように、交通費、滞在諸経費(食費)などを負担し、また薬代などを援助しました。(日本円に換算して合計7139円でした。)

 マリーナさんとウラジーミル君はブレスト州ピンスク地区にある村に住んでいます。チェルノブイリ原発事故発生後、5年後と7年後に生まれました。
 この二人は生まれたとき、すでに足の指と足の裏全体が腫れた状態でした。それが痛くて二人とも長い間歩くことができず、今でも少しでも固いものに触れると、皮膚が破れて膿が出て、出血することがあります。指先が腫れているので、常に指の間に綿をはさんで、触れ合わないようにしているそうです。(詳しくは「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村第1回」を参照ください。)

 画像はミンスク到着後、市内移動用の車の中で停車して休んでいるところです。

画像のように普通の靴を履くことができず、つま先の開いたつっかけのような履物を履いていました。

マリーナさんとウラジーミル君

 特にマリーナさんの状態が悪く、夜中足が痛んで眠ることもできず、毎晩冷水に足をつけて冷やしているそうです。
 さらにこの子は脈拍が不安定で、心臓の具合も悪いそうです。運動をするとすぐに息が切れ、そして胸とわき腹が痛くなり、学校の体育の授業はいつも休んでいます。そして血圧が低くて、しょっちゅう眠気がし、意識の混濁や気絶してしまうこともあるそうです。

 もう10年以上この病気と闘っているわけですが、あちこちの病院に行っても「病名不明」としか診断してもらえず、
「病名も分からないので、治療方法も分かりません。」
と医者に言われ続け、初めてお会いしたとき、お母さんは疲れきっている状態でした。

 マリーナさんは、2年前アイルランドへ他のチェルノブイリ被災児と保養に行きました。そこで治療を受けたところ生まれて始めてこの病気が治って、普通の靴を履いて帰国したそうです。
 ところが、時間が経つにつれて、結局元どおりになってしまいました。
 昨年アイランドの里親さんがベラルーシに来たときに、塗り薬を置いていったのですが、これを塗ると足の痛みが治まるそうで、1日3回塗っているそうです。
 アイルランドの医者は治療できたのに、どうしてベラルーシの医者は「病名不明」としか判断してくれないのか、よく分かりません。
 さらにマリーナさんたちのいとこも同じ病気にかかっているそうです。
 
 お母さんはこの塗り薬を買おうと、あちこちの薬局で探したのですが、どこにもなかったそうです。私も見せてもらったのですが、それはイギリス製の薬でした。
 とりあえず、チロ基金はこの塗り薬を購入できないか調べることにしました。
 結局、分かったのはこのイギリス製の塗り薬は、ベラルーシ国内での入手はまず不可能。
 そこで、同じような効果が期待できるアメリカ製の塗り薬をチロ基金の活動資金で購入し、マリーナさんたちに郵送しました。(薬代980円 郵送料62円 合計1042円)
 その後お母さんから電話がかかってきて、
「弟のほうには効いているが、姉のほうは塗ったところがひりひりすると言っている。いとこたちはイギリス製の薬ほどではないが、効いていると言っている。」
ということでした。どうしてこのような差があるのかは分かりません。

 ところでこの薬は日本ではアトピー性皮膚炎の治療に使う副腎皮質ホルモン外用薬として使われています。
 つまり、長期間にわたってこの薬を使用するのは、あまり望ましくないのではないか? チロ基金からお金を出して、この塗り薬を買い続けて、送り続けるよりも、根本的治療が必要なのではないか? ・・・と考え、電話でお母さんを説得し、ミンスクの専門病院で精密検査を受けてみることを勧めました。
 もちろんそれにかかる経費はチロ基金持ちです。
 お母さんも
「もちろん、痛みを抑える薬を一生塗り続けるより、完全に治して健康になるほうがいいです。」
と言い、この治療支援運動が始まることになりました。 
 
 5月26日の夜ブレスト州ピンスク地区にある家をバスで出発して、30分後、最寄の町ピンスクへ。そこから約8時間寝台列車に乗り、27日の朝6時半にミンスクに到着しました。
 私は駅へ迎えに行ったのですが、前にSOS子ども村でこの子どもたちが保養のため滞在しに来たときにミンスクの駅に着いたとたん、マリーナさんは心臓の具合が悪くなり、意識を失いかけたそうで、今回また何かあったらどうしよう、と心配していました。

 マリーナさんは列車の中で足を水で冷やしながらミンスクまでやってきました。しかし、特に大きな問題はありませんでした。
 その後車で市内へ。ところが、移動中二人とも乗り物酔いを起して、病院へ行くまでのあいだ、5回停車して道ばたで吐いていました。

 途中、長期滞在情報内のマタニティ・レポートと出産レポート にも登場する外科医兄弟のお兄さんのほう、Dr.Sと合流しました。
 今回、地方からやってくる子どもたちのため、効率よく病院を回れるようにDr.Sに頼んで、予約を入れてもらっていました。
 まず皮膚病専門病院へ。そこでも「病名不明」と診断されたら、どうしようとみんな心配していました。
 Dr.Sのおかげで、2人の皮膚病に関して権威のある医師に診察してもらいました。その結果
「これは非常に珍しい病気です。でも治りますよ。」
と言われました。みんな大喜び! さらには
「これはまだ、病状が進行していないほうです。もっとひどくなると、治癒は不可能。足の指が壊死状態になって、切断するしか方法がなくなります。足の指の間に綿を挟んでおいて正解でしたね。こうしておかないと、時間が経つにつれて、指どうしが癒着してしまうところでした。」

 生まれてからずっと10年以上苦しんで、ずいぶんひどい状態だと思っていたのですが、実はそうではなかったのです。

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辰巳 雅子
Date:2003/05/30(Fri)

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