2003年「ビタペクト2」無料支給運動

2003年活動記録
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ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村

第11回

 

 遅くなりましたが、12月9日にビタペクト2と「放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村での第11回目の配布を実施しましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト2を19個、「放射能と栄養」のコピーを9部を渡しました。
 またSOS子ども村の子どもではありませんが、先日甲状腺に異常があるというミンスクに住む友人に1部渡しました。

 これで今まで配布したビタペクト2は合計421個、「放射能と栄養」のコピーは382部となりました。
 (のべ人数、そして単純計算ですが、421人分のビタペクト2、そして382家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。)

 画像はSOS子ども村の職員からビタペクト2を実際に手渡しているところです。


 職員のターニャさんが確認しているのは、ベルラド研究所で体内放射能を計ったときの結果です。この結果(放射能が多いか少ないか)によって、ビタペクト2を渡すか渡さないか決めています。

 さて、今回もお母さん達にお話を伺いました。今日は何だか人が多いなあ〜と思って見回すと、いつもは二人のお母さんが、三人いました。
 普通は2家族が保養にやってくるのですが、以前ここで保養をしたある家族(お母さんと7人の子供)が、お母さんと娘さん(8歳)の二人だけで、SOS子ども村に来ていました。
 この娘さんは心臓の中の壁に穴が開いていたため、2年前に手術をして、人工の壁を作り、穴をふさいだのですが、除脈(脈がときどき遅くなる)が起こったため、検査のため、急遽ミンスクに来ることになり、SOS子ども村の保養グループと合流しました。
 検査の結果、医者からは脈の状態以外に問題はないため、薬を処方されました。
(え、それだけ? と私は思ってしまいましたが。)
 そしてちょうど明日モズィリ市の家へ帰ることが決まったところへ、私が正規の保養グループの分だけビタペクト2を持って来たのです。
 このお母さんと娘さんは、正規の保養グループでないため、ベルラド研究所で放射能の測定をしていません。
 お母さんは残りの6人の子どもを家に置いてきてわざわざミンスクへ来たのに、薬さえ飲めばいい、と簡単に医者に言われて、がっかりしたようすでした。
 娘さんも顔色が悪かったです・・・。
 気の毒になってきたのと、3日間ほどしかSOS子ども村に滞在しないのに、そこへ私がやってきたのも、何かのご縁かもしれないと、この家族の分、(お母さんと7人の子供たち)8個を追加で渡しておきました。

 さて、正規の保養グループについてですが、この2家族もゴメリ州モズィリ市から来ていました。
 文章にすると分かりにくいので、表で説明します。

Aグループ 【家族構成】 【体内放射能値と備考】
  aお母さん (7ベクレル)
<4人の実子>
  (1)15歳の長女 (喘息を持っている。14ベクレル)
  (2)13歳の三男 (持病は特になし。12ベクレル)
  *19歳の長男 (年齢が合わず今回保養に来ていない。肝炎を患っている) 
  *次男 (年齢が合わず今回保養に来ていない。健康。)
<5人の子どもを母親代わりで引率>
  (3)女の子 (生まれつき心臓が弱い。18ベクレル)
  (4)女の子  (持病は特になし。13ベクレル) 
  (5)男の子 (事故で片方の視力が弱い。28ベクレル)
  (6)男の子 (本人は健康と言い張っていた。22ベクレル)
  (7)男の子 (持病は特になし。21ベクレル)

 

Bグループ 【家族構成】 【体内放射能値と備考】
  bお母さん (26ベクレル)
<5人の実子>
  (1)16歳の長男      (勝手に足の骨の一部が成長する病気にかかり、6年前余分な骨を手術で削り取った。その後は朝ときどき痛む程度。13ベクレル)
  (2)13歳の長女 (慢性胃炎。28ベクレル)
  (3)12歳の次女 (6年前足に良性腫瘍ができたが、投薬により治癒。16ベクレル)
  (4)5歳の三女 (健康。17ベクレル)
  (5)4歳の次男 (ほとんど1年中風邪を引いている。34ベクレル)
<2人の子どもを母親代わりで引率>
  (6)男の子 (14歳。慢性内耳炎による難聴。21ベクレル)   
  (7)男の子 (12歳。1年前突然視力が低下。22ベクレル)


 以上のように、それぞれ7人ずつ子どもを連れた2人のお母さんが保養滞在していました。
 ビタペクト2を開発生産しているベルラド研究所の規定にしたがい、体内放射能値が体重1キロあたり、15ベクレル以上だった場合、ビタペクト2を渡しています。(年齢は3歳以上。)
 今回は11個を渡しておきました。そのため3家族合計で19個を渡したことになります。
 また「放射能と栄養」のコピーも9部渡しておきました。

 やっぱり何か病気を持っている子どもが多いです・・・。特別に持病がなくても、年中風邪を引いていては、たまったものではありません。(一度風邪を引くと、なかなか治らず、治ったと思ったら、また次の風邪を引く、の繰り返し。)

 Aグループの(1)15歳の女の子は、年齢の割りに背が高かったですが、文字通り「折れそうなほど」痩せていて、あまり元気がありませんでした。 
 Bグループの(6)の難聴の男の子は、炎症が進行しないように定期的に抗生物質の注射を受けているそうです。
 Bグループの(1)の16歳の男の子は、勝手に足の骨の一部が伸びてきたのですが、その話をしたとき、他の子ども達は
「放射能のせいで3本目の足が生えてきたんだ!」
とからかっていました。本人も「ミュータントになりかけた。」と笑っていました。
 放射能汚染地域にすむ子ども達の間では、こういった話はごく普通に笑い話にしているのかもしれません。

 この子ども達は保養に来ているのであって、治療のため滞在しているのではありません。基本的には、滋養のある食事を摂って、規則正しい生活を送り、ゆっくり過ごすこと、またビタペクト2が入らない子どもでも、補助栄養剤(総合ビタミン剤)をもらって飲んでいます。
 食事は食堂などで出されたものを食べるのではなく、SOS子ども村から食費が出され、週に2回車に乗って、市場へ行き、食料品を買います。何を買うかは原則的に自由ですが、必ず肉類、週に1回は魚が出せるように、魚を買います。また野菜や果物、特にドライフルーツを毎日食べるように指導されています。
 買ってきた食料品と、食費に使ったお金は、厳しくチェックされます。そして必要であれば
「もっと果物を買ってください。」「支給された食費はできるだけ余らないように使ってください。」
といった指導を受けます。
 お母さん達は
「ここにいると子ども達にいつもお腹いっぱい食べさせてあげることができる。」
「3週間といわず、もっといたいわ。」
とみんなそう言っています。

 ただ持病のある子どもは、滞在中、病院で詳しい検査を受けられたらいいのにな、と思いました。
 今回は自分のお母さんと一緒に来ている子どもとそうでない子どもがいて、お母さんと一緒の子どもは、はしゃいでいる子が多かったのですが、そうでない子は、遠慮しているのか、おとなしい子が多かったです。
 でも、竹とんぼや折り紙には、みんな目を輝かしていました。その生き生きした表情を見て、とてもほっとしました。

 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、またバザーなどで諸経費(折り紙用の紙や、交通費など)を捻出してくださった皆様、竹とんぼを手作りで1本1本作ってくださった方に、この場を借りてお礼申し上げます。

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辰巳雅子
          Date:2003/12/13(Sat)