第4回 2007年4月
2003年からチロ基金は表皮水泡症という難病の子どもマリーナさんとウラジーミル君に治療支援活動を3回に渡り行いました。今までの支援活動について詳しくは第1回よりご覧ください。
3回目の支援となった2006年2月、
「結局、先生やお母さんと話し合った結果、気温が上がる時期になると症状がひどくなるため、それを予防する意味で、4月に再び診察を受け、再発予防案を考えることになりました。」
・・・とご報告しました。ところが・・・
2006年4月になる前に、お母さんから電話があり、2人とも歩くことができないほど水泡ができてしまったと連絡がきました。ひどくなる前にそうならないよう、予防策を講じておこうと考えていたのですが、それよりも早く再発してしまったのです。小さい子どもだったら、抱っこしてでもミンスクへ連れてこようと考えたでしょうが、大きくなったので、もう無理です。
仕方がないので2006年4月のミンスクでの診察は見送ることになりました。チロ基金から渡したマメ用絆創膏を貼り、ユースキンAを塗って夏の間我慢していたそうです。
そして再び冬になって症状が軽くなりました。しかしまた気温が高くなると再発するので、2007年こそは絶対4月に予防策を授けてもらおうと、今回の支援を計画しました。
その打ち合わせのため3月に連絡を入れると、マリーナさんたちのお父さんが急死したと知らされました・・・。お父さん(この人も表皮水泡症患者でしたが、成人後は軽減しました。マリーナさんとウラジーミル君が発症したのは、お父さんからの遺伝によるものです。)は2年ほど前から心臓病を患い、入退院を繰り返していたのですが、今年に入ってからは自宅で療養していました。ところが突然自宅で倒れ、意識を失い、お母さんが心臓マッサージをしたり、人工呼吸をしたり、ニトログリセリンを飲ませようとしましたが、そのまま子ども達の目の前で亡くなってしまったそうです。
10分後には村の医師オリガ先生が駆けつけましたが、もう手遅れで、40分後には救急車も着ましたが、死亡を確認しただけでした。享年40歳でした。
このようにベラルーシではチェルノブイリ原発事故の後、働き盛りの男性が心臓病や血液の異常で、突然死するケースが急増しています。
(オリガ先生については「ビタペクト2」&『放射能と栄養』無料支給・配布運動 ピンスク地区ソシノ村 第1回と第2回にも登場しています。)
当然ですが、子ども達は毎日泣いているとお母さんは話していました。しかし、泣いてばかりいても仕方がありません。4月のミンスクでの診察は予定通り進め、子ども達の気分転換も兼ねることにしました。
そして4月3日に皮膚病専門病院の専門医K先生に診察の予約を入れ、ミンスクへ来ることができました。表皮水泡症患者ではありませんが、お父さんが亡くなって一番泣いているという10歳の末っ子オーリャちゃんもやって着ました。
春になってマリーナさんは両足に5、6個ずつの水泡が、ウラジーミル君は1個できていました。
K先生は一目見て
「これは靴が当たったからです。靴擦れです。」
と説明しました。
マリーナさんは水泡が出ていないときは、学校のバスケットボールクラブで活躍し、地区大会で優勝したそうです。ウラジーミル君もテニスを始めたら、地区大会で優勝し、末っ子のオーリャちゃんもダンスクラブで1位になっているそうです。
スポーツをするとき、靴の中で足が動くのが再発の原因だと、K先生は話していました。しかしだからと言って運動を全然しないのは育ち盛りの子どもにいいことはありません。しかも幼少時とちがって足の状態がよくなって、スポーツができるようになって子ども達は大喜びしているのに・・・。
(画像は診察中のK先生とマリーナさんとウラジーミル君です。)
Date:2007/04/14(Sat)