第2回 (4/4) 2003年7月
研究所を後にした私たちは、そこから近い日本文化情報センターへ見学に行きました。みんな展示品や絵本を熱心に見て
「とてもおもしろい。家に帰ったら友達にここでどんなものを見たのか話すね。」
と言ってくれました。
【日本文化情報センターで記念撮影】
その後マリーナさんとウラジーミル君のために革靴を買いに行きました。
ウラジーミル君の靴はすぐに買えたのですが、マリーナさんの足に合う靴はなかなか見つかりません。
マリーナさんは足の幅が左右で違うのです。結局、靴屋を4軒回って、やっとちょうどいい靴を買うことができました。
お母さんは
「私たちが住んでいる村には靴はほとんど売られていない。靴を買おうと思ったら、ピンスク市まで行かないといけない。でも、ピンスクにはこんなにたくさん靴屋がないし、種類も少ない。市場に行けば、たくさん売られているが、需要が多いのに供給が少ないので、値段がミンスクより高く、1足6000円ぐらいしてとても買えない。今回ミンスク滞在中にいい靴が買えてよかった。」
と喜んでいました。
【ミンスクで買った新しい革靴。右がマリーナさん、左がウラジーミル君】
やっと靴を買って、お昼ご飯にマクドナルドへ行きました。ベラルーシではマクドナルドがあるのは、ミンスクだけなので、子供たちは絶対に行きたい、と前から言っていました。
「ミンスクでマクドナルドに行ってきた、と言っても、友達は誰も信じてくれないから。」
と子供たちはストローを証拠品として持ち帰りました。
その後ゴーリキー子ども公園(遊園地)に行きたかったのですが、雨が降ってきたので帰宅しました。
私は次の日は独立記念日でめったに見られないパレードもあるし、もう一日ミンスクにいたら、と勧めたのですが、夏場でコルホーズの仕事が忙しいお母さんの都合で、夜行列車に乗って帰ることになりました。子どもたちは
「まだ帰りたくない。明日遊園地に行きたい。」
と駄々をこねていましたが、お母さんには逆らえず・・・。
夕食のとき、ケーキにろうそくを立ててオーリャちゃんの誕生日をお祝いした後、車に乗って駅へ向かいました。市内中心部をぐるぐる回って、独立記念日前夜、特別にイルミネーションで飾られたミンスクの街を見物しました。田舎ではこういう光景が見られないので、お母さんも子供たちも声を揃えて「きれい、きれい。」と感動していました。
そして12時の夜行列車で帰っていきました・・・。
子どもたちの足がよくなり、また放射能値もゼロかずいぶん低くなったことが分かり、本当によかったです。チロ基金の活動資金も無駄になりませんでした。充実のミンスク滞在でした。(^^)
さて、今回の治療支援でチロ基金が負担した費用のご報告です。
交通費(往復4人分) | 18,483円 |
薬代(2人分) | 2,260円 |
放射能値測定代(5人分) | 879円 |
靴代(2人分) | 5,611円 |
食費(4人分) | 1,940円 |
合 計
|
29,173円 |
これらの経費はチロ基金が参加しているバザーの売上金から捻出しました。ご協力してくださった方々にこの場を借りて、厚くお礼申し上げます。
またマリーナさんとウラジーミル君のその後についてご報告しますね。
さて、ここからは悲しい話になるのですが・・・。
以前にも書きましたが、マリーナさんたちのいとこ二人も同じ足の病気にかかっています。
今回、病名もはっきりしたし、有効な治療方法も分かったので、今度はそのいとこたちが同じようにチロ基金の招きでミンスクへ治療に来てもらったら・・・と考えていました。
ところが、マリーナさんたちのお母さんが言うには、そのいとこたちの母親はアル中で、子供の面倒を全く見ようとしない、だからミンスクへ治療に連れてこないだろう・・・ということでした。父親は「いない」そうで、いとこたち(15歳と10歳の男の子)は足が痛いのに、母親は何もしてくれないそうです。
この母親にチロ基金の話をマリーナさんたちのお母さんが、一生懸命話したのですが、真剣に聞かなかったそうです。
この病気が治る薬もすでに分かっていますが、特殊な病気の特別な薬なので、処方箋がないと購入できません。私が適当にミンスクで買って、郵送するということもできないのです。
もしそれができたとしても、15歳と10歳の少年が処方箋どおりにきちんと薬を飲んだりできるか、難しいところです。
マリーナさんたちの話によると、飲み薬の服用は食前や食後や数量など、細かく決められており、お母さんの管理の元でないと、飲み忘れたり間違えたりしてしまうそうです。薬の中には舌下錠もあって、「ものすごくそれが苦かった。でも足を治したかったから、いつもがまんしながら飲んでいた。」そうです。
このいとこたちをどうしたらいいのでしょうか?
私には分かりません。マリーナさんたちのお母さんは、
「あんな母親は、親失格。子供たちはかわいそうだが、どうしようもない。3週間の治療方法は親が管理しないと子どもだけでは無理。一緒に暮らしている者でないと・・・。助けてあげたいが、私は自分の子どもだけで精一杯よ。」
もっともな話です。大体、このいとこたちは父方のいとこで、マリーナさん兄弟からすれば、血の通ったいとこだけれど、お母さんからすれば血のつながりのない甥っ子たちです。(マリーナさんたちのお父さんの妹が、このいとこたちの母親なのですが、兄と妹そろってアル中というわけです。気が重い話です。)
私は「いとこたちをとりあえずミンスクに連れてきて、こっちの病院に入院させて治療するのはどうか?」とも提案したのですが、18歳未満の子どもは親がついていないと、勝手に他の都市で治療を受けたり入院できない法律があるそうです。それももっともな話です。
仕方ないので、マリーナさんたちが結局最後まで使わなかった副腎皮質ホルモン外用薬の残りを、いとこたちにあげておいて・・・と頼んでおきました。
しかし、この塗り薬は一時的な痛み止めにはなるけれど、長期の使用は前述のように、副作用が出たり、急に使うのをやめると反動で具合がかえって悪くなるので、本当は使わないほうがいいのです。
でもどうしようもありません。
そして塗り薬がなくなるたびに、新しい薬を追加であげるのがいいのかどうか、それも迷うところです。どうしたらいいのでしょう?
基金としては何とかしたい、と思っても肝心の親が何もしようとしなければ、基金も何もできません。
微妙に形こそ違え、こういうケースが今までのチロ基金の活動を振り返ってみても、よくありました。
救援活動は、お金さえあれば何でも解決できる、というものではない、ということです。
支援を受け入れる側からも協力的な態度が得られなければ、基金も無力なのです。
いろいろ書きましたが、とにかくこれからも、できることは少しずつでもしていこうと考えています。
今後もどうぞ皆様のご協力、ご理解をお願いいたします。 →NEXT
Date:2003/07/05(Sat)