チェルノブイリ被災児マリーナさんとウラジーミル君の治療支援活動

第2回 (2/4)    2003年7月

 前回は列車で日帰りという強行スケジュールでした。というのも、そのときは病名もはっきりしていなかったので、感染しないという保証がなく、私はうちに泊まってほしかったのですが、長期滞在情報内のマタニティ・レポートと出産レポート にも登場する外科医兄弟のお兄さんのほう、Dr.Sから
「床を通じてもし自分の子どもに感染したら、どうするのか?」
と止められて、さすがに私も、「うちに泊まってください。」と言えませんでした。
 しかし、今回は病名もはっきりし、感染はしないと分かったので、2、3日ゆっくりミンスクに滞在してもらうことになりました。

 ちょうど、S夫がブレストでアーチェリーの試合に出ることになり、大体方向が同じなので、ブレストからピンスクへ寄って、マリーナさんたちをピックアップしよう、ということになりました。
 そして6月30日、お母さんとマリーナさん、ウラジーミル君、そして末っ子のオーリャちゃん(7歳)がS夫の運転する車で4時間かけて、ミンスクにやってきました。
 とりあえず、その日はゆっくり休んでもらいました。
 オーリャちゃんには足の病気はありませんが、今夏休みなのと、3日以上もお母さんと離れているのはさびしくていやだ、ということで、一緒にミンスクへやってきました。オーリャちゃんは2月にもお母さん、マリーナさん、ウラジーミル君と一緒にSOS子ども村で保養の滞在をしています。

 また車の乗り物酔いをしていないか、心配していましたが、今回はみんなとても元気で、ミンスクに到着しました。
 足が痛くなくなったマリーナさんとウラジーミル君は、前回のつっかけと違い、先の開いていない普通の靴を履いてきました。

【今まで先の開いた靴しか履けませんでしたが、治療のおかげで、スニーカーや先の開いていない普通の靴が履けるようになりました】

【今まで先の開いた靴しか履けませんでしたが、治療のおかげで、スニーカーや先の開いていない普通の靴が履けるようになりました】

 今までは足の裏全体と足の指の先が常に腫れていて、ちょっとでも砂などが靴に入ると水泡が破れて膿が出る、という状態でしたが、
「それが治った、今はときどき足が痛いだけ。」
と子供たちはとても喜んでいました。
 今までは嫌がって素足を見せようとしませんでしたが、今回は「こんなによくなった。」「きれいな足になった。」と靴下をぬいで写真を撮らせてくれました。

右がウラジーミル君の足で、左がマリーナさんの足

【右がウラジーミル君の足で、左がマリーナさんの足です】
 ウラジーミル君のほうはもともと程度がひどくなかったせいか、腫れや水泡の跡もほとんど残らず、きれいに治っていました。

マリーナさんの足。側面の部分です。水泡の跡がまだ残っています

【マリーナさんの足。側面の部分です。水泡の跡がまだ残っています】
 マリーナさんのほうは、まだ少し跡が残っています。それでも腫れや水ぶくれのような異常は見られず、ほとんど治っているようです。私は
「まだちょっと跡が残ってるね。」
と言ったのですが本人からすると、以前の常に足の裏が腫れている状態からすれば、
「これはもう治ったも同じ。きれいな足になったわ。」
ということでした。

  マリーナさんの足の裏。腫れていたのが治っています

【マリーナさんの足の裏。腫れていたのが治っています】
 確かにまだ少し皮がむけているような状態になっていますが、腫れや水泡のようなものはもうありません。

 さて、翌日7月1日、皮膚病専門病院へ再検査に行きました。前回の検査時には
「3週間後よくならなかったら、検査入院しましょう。」
と言われていましたが、今回医者に診てもらったところ
「ああ、随分よくなりましたね。もうちょっとです。」
と診断され、みんなで喜びました。
「これからは、このスプレー剤を1日に3回塗布するだけでいいです。」
と新しく処方箋を出してもらいました。
 さっそく薬局でそのスプレー剤を2人分4本購入しました。(薬代はチロ基金が負担しました。)
 たぶんこれでもう再検査にこなくてもいいだろう、ということでしたが、念のため一ヵ月後、電話で状態を知らせてほしい、と医者に言われました。
「これは非常に珍しい病気なので、医者として経過が大変興味深いのです。」
という話でした。
 
 こうしてみんなで喜んでいたのですが、医者はマリーナさんとウラジーミル君が履いている靴を見て言いました。
「その靴はよくありませんね。特にスニーカーは足によくありません。ゴムの部分が皮膚に悪影響を与えるのです。このような靴を履いていると、病気の再発を招いているようなものです。ごく柔らかい革の靴を履くようにしてください。スニーカーを履いてもいいのはスポーツをするときだけで、履く時間も1日に2時間以内にしてくださ
い。」
 お母さんは
「私たちが住んでいる村には、そんな高級な革靴は売っていません。それにそんなお金がうちにはないんです。せっかくつま先の開いていない、普通の靴が履けるようになったと喜んでいたのに、また病気が再発したらどうしよう・・・。」
と言いました。

 今回はゆっくりミンスクに滞在してもらったので、いろいろ話が聞けたのですが、この家族は5人兄弟です。田舎の村に住んでいて、お母さんはコルホーズの管理局で農作物の管理をしています。仕事の後は自分が所有する畑で毎日夜10時まで働いています。
 コルホーズからもらう給料は夏場は約70ドルで、平均的なベラルーシ人の給与をもらっていますが、冬場は農閑期で仕事がないので、給料は10分の1の7ドルになってしまいます。
 お父さんもコルホ―ズで働いていますが、少ない給料を全部ウオッカにつぎこむようになり、二人の子どもが足の難病で長年苦しんでいるのに、そのようなことは妻に任せっきりで、自分は何もしなかったため、とうとう3年前に離婚してしまいました。

 5人の子どものうち上の2人は18歳以上ですが、まだマリーナさんたち18歳以下の子どもが3人おり、父親もいない、ということで、ピンスク多子家庭協会にこの家族は登録されています。そして国から18歳以下の子ども1人につき約10ドルの養育手当てを毎月もらっています。
 
 このような経済事情なので、「足の病気が再発しないように、本革の靴を買うように。」と言われても、買うお金がないのです。
 それで、靴代はチロ基金が出すから、ミンスクにいる間に買いに行きましょう、という話になりました。

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辰巳 雅子
Date:2003/07/05(Sat)

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