第2回 (1/4) 2003年7月
2003年5月にミンスクで治療を受けたマリーナさん(12歳)とウラジーミル君(10歳)が、再検査のため2003年6月30日から7月2日までミンスクに滞在しました。
その前にまず、不明だった2人の足の病名が分かりました。
日本語で「先天性表皮水泡症」という病気です。
専門の医学用語辞典で調べてくださったOさん、本当にありがとうございました。(^^)
病名が分かったのでそれを頼りにいろいろ調べてみましたが、かなりの難病らしく日本でも地方自治体から患者に対して見舞金の出る特定疾患の一つとして認定されているようです。
難病情報センターのサイトの説明によると、日本での推定患者数は1994年厚生省(当時)の調べで500〜640人だそうです。日本でも珍しい病気なので、人口が日本の約10分の1のベラルーシでは、単純計算ですが、50〜60人しかいない病気、ということになるのでしょうか。
【追加情報】日本では2007年に患者さんの会が発足しています。詳しくは表皮水疱症友の会ホームページをご覧ください(saba)
地方都市であるピンスクの病院がマリーナさんたちを診察して
「病名不明。ゆえに治療法も分かりません。」
と診断したのも、仕方ないことだったのかもしれません。
この病気は4種類の型に分類されています。(単純型、接合部型、優性栄養障害型、劣性栄養障害型)
私は医学の専門家ではないので、よく分かりませんが、マリーナさんたちは単純型のようです。
重症なものになると、表皮だけではなく、食道の粘膜にも異状が起きて、普通に食事がとれなくなったり、爪がなくなったり、指同士が癒着してしまったりし、幼少時に死亡するケースもあるそうです。
日本でもよく分からないことが多く、まだまだ研究中の病気らしく、患者さんのなかには
「中学生ぐらいの年齢になったら治るでしょう。」
と言われて、結局よくならなかったり、
「将来、遺伝子治療が開発されたら、完治できるかも。」
と言われたり、(結局現在では治らない病気、ということ?)とにかく難病のようです。
多くの患者さんは、普段指が癒着しないように、ガーゼを間に挟んだり、包帯を巻いて少しでも何かと接触しないように注意しているそうです。(マリーナさんたちも同様のことをしています。)
また水泡に針で穴をあけて水を出し、抗生物質の軟膏を塗ってガーゼを当てたり、かゆみ止めの薬を飲んだりしているようです。
私の手元にある「家庭の医学」にも表皮水泡症のことは載っていないので、ネット検索してみたところ、ミンスクの医者が、生まれてから10年以上も苦しんできたマリーナさんたちに
「これはまだましなほう。治ります。」
と言ったのが、分かってきました。
参考まで、表皮水泡症にかかった子どもたちの心身のケアをテーマにしたアメリカのサイトをご覧ください。
http://www.ebkids.org/
トップページで顔などに水泡ができた子どもの画像が見られますが、デリケートな方は見ないほうがいいです・・・このサイト・・・。本当にかわいそうです。マリーナさんたちが自分の足を私に見せたがらなかったのが、分かります。
以上が表皮水泡症についてです。
さて今回のミンスク滞在報告の前に、前回の検査後の様子をまずご報告します。
マリーナさん(12歳)とウラジーミル君(10歳)は医者の指示どおり、約3週間薬を服用しました。それにともない、それまで使っていた塗り薬(アイルランドの里親からもらったイギリス製の薬とチロ基金が購入したアメリカ製の薬)は塗布するのを中止しました。
そのとたんに足の具合が悪くなり、二人とも二日間歩くどころか、寝たきりの状態になってしまいました。
せっかくミンスクで処方してもらった薬が効いていないのではないか、とお母さんはびっくりして、ピンスクの医者に相談しました。
これは今まで使っていた塗り薬が、日本ではアトピー性皮膚炎に使う塗り薬で、副腎皮質ホルモン外用薬(ステロイド)だったのですが、長期の使用のため、急に使用を中止したとたん、反動がきて一気に具合が悪くなってしまったのです。※
※「ステロイドのリバウンド」と呼ばれることが多いようですが、調べると、「ステロイド離脱症候群」という呼称もありました。(saba)
こうなることは私は予測していたのですが、てっきりミンスクの医者が「こうなるかもしれませんよ。」とお母さんに説明してくれているんだろう、と思い込んでいたので、お母さんがびっくり仰天した、というのを電話で聞いて、私も驚いてしまいました。
ピンスクの医者は
「それは逆に病気が治る前兆です。」
と説明し、お母さんも少し安心したそうです。
このようなハプニングがありましたが、引き続き薬を飲み続けたところ、だんだんと足の具合がよくなってきました。
そして3週間過ぎたころには、生まれてから10年以上悩まされていた痛みもほとんどなくなり、冷水で足を冷やさないと眠れない、ということもなくなりました。やがて指の間に綿を挟まなくてもよくなり、靴下も1枚だけ履けばいいようになりました。こうして普通に歩ける距離も伸び、お母さんの畑仕事も手伝えるようにまで回復したのです。
そして再検査のため再びミンスクへ来ることになりました。
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Date:2003/07/05(Sat)