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1999年5月30日にミンスク市にある地下鉄ネミーガ駅出口で大規模な将棋倒し事故が発生しました。当時の状況、及び1年後の状況を文章と写真でご覧ください。

地下鉄ネミーガ駅階段事故 No.1

(2000/06/13 by T)

 第1回は、この事故のことを知らなかった、という人もいらっしゃると思いますので、 事故当日の様子を、現地に住む私(T)からの証言を交えてお知らせします。

 1999年のべラルーシは異常気象で、50年ぶり、あるいは100年に1回かと言われる猛暑でした。特に5月に入ってから一滴の雨も降らず、ベラルーシで夏の訪れを知らせる雷をともなった夕立がないまま、真夏のような暑さが連日続いていました。

 5月30日は日曜日でした。私はほぼ毎週日曜日、結婚式を挙げた聖霊大寺院へミサに通っています。ミサは朝と夜と1日2回あるのですが、私は大概、朝のミサに行くことにしています。この教会は丘の上に建っており、その足元に地下鉄の入り口が2個所あります。 このうち、西口が事故現場となった地下鉄「ネミーガ駅」の入り口です。

 教会へは東口のほうが近いので、私はそちらから、地上に出て教会へ行きました。その日はちょうど、「五旬祭」というスラブ正教の祭日に当たっており、ミサにも、普段の日曜日より、人がたくさん来ていました。

 ミサの後、西口の目と鼻の先に住んでいる友人の家へ遊びに行きました。昼ご飯をご馳走になっていると、暑さのため全開になっている窓の向こうから賑やかな音楽が流れてきました。何だろうと思っていると、友人が
「今日の夕方、もうちょっと行った先のスポーツ会館前の広場でイベントがあるのよ。」 と教えてくれました。そのイベントはタバコ会社が主催で、ロックグループをよんで青空コンサートをするらしい、ということでした。それで、広場ではやぐらを組んでステージを作り、今はまだ時間が早いので、BGMを流して、道行く人に「夕方ここでイベントがありますよ。」 と宣伝しているようでした。

 午後5時ごろ、私はその友人の家を出て、その賑やかなBGMを聞きながら、西口を通って、地下通路に入り、それから地下鉄に乗って家に帰りました。その時は、もちろんその3時間後にその地下通路で、イベントに参加したベラルーシの人々が50人以上も押しつぶされて死んでしまうなんて、夢にも思っていませんでした。

 夕食の後、例の断湯の時期だったので、職場から帰ってきたS夫とお湯を沸かし始めました。暑い日だったので、行水ではなく、本格的なお風呂に入りたくてたまらず、鍋にお湯を沸かしては二人で風呂桶にためるという作業を繰り返していました。それから、冷めないうちに大急ぎで順番にお風呂に入り、相手のすすぎ用のお湯を運んであげたりしていると、とても疲れます。お風呂がすんで、あー疲れた、と二人でビールを飲んでいると、急に空が暗くなり始めました。そして、ベラルーシの夏の訪れを知らせる、雷をともなった夕立が降り始めたのです。その雨脚は今まで降らなかった分を、まとめて雲が地上にぶちまけているような、滝のような雨でした。

 S夫とは
「一ヶ月ぶりの雨だなあ。畑じゃ、野菜が喜んでいるだろう。今の時期、雨が降らないと じゃがいもの収穫に響くからねえ。」
「これで、少しは涼しくなるかな。」
等と話していました。夕方8時頃のことでした。  

 そのうち、何回か雷が鳴った後、私が住んでいる団地は停電になってしまいました。 そうなるとテレビも見られないわ、何もすることはないわ、お湯を沸かすのに疲れたわ、で、「もう、寝よ。」と9時前にさっさと、私とS夫は布団にもぐりこんでしまいました。

 その夜、事故現場となった地下鉄西口と、ミンスクの病院は大混乱が朝まで続いたことを 私たちは全く知らなかったのです。

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