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地下鉄ネミーガ駅階段事故 No.5

(2000/06/20 by T)

 このような大事故が起きたのは誰の責任か?という問いが翌日から話題になりました。イベント主催者側だったラジオ局は副局長がテレビに出てきて、おわびの言葉を申し分けなさそうに言っていましたが、しかし、被害者に対する補償などはできない・・・とむにゃむにゃ話していました。

 ラジオ局が警備をもっと強化しておくべきだったのに、それを怠ったからいけないのだ、という意見・・・。あんな雨が降ったから、こんな事故が起こったのだ、だから、これは天災であり、被害者には残念だが、文句の言っていきどころはない、という意見・・・。雨が降ることを天気予報で知らせていなかった、ベラルーシ気象庁に責任がある・・・。このような大勢の人が集まることが予想される催しは、メーデーや戦勝記念日の時のように地下鉄は封鎖しておくべきだった。それを指導しなかった政府が悪い・・・。あの日は五旬祭で、宗教上の祭日だったのに、ビールやたばこを振る舞うような 不道徳なイベントを教会の目の前で企画したから、神罰が当たったのだ・・・。 ・・・というような意見まで飛び出す有り様でした。

 結局は被害者や遺族は泣き寝入りのような状態になりましたが、一応、政府は 遺族に特典を出すことにし、まず、住宅の公共費を免除、2000年は公共の乗り物は市内は無料。(でも、地下鉄恐怖症になった人もいそうですよね・・・。) さらに薬品を無料あるいは割引料金で買えるようになりました。これで、慰めになるとは思えませんが・・・。さらに被害者と遺族の会「ネミーガ’99」が発足しました。被害者たちの精神的な ケアが主な発足の主旨なのでしょうが、あの事故を風化させてはいけない・・・。二度とあのような事故が起こってはならない・・・。という願いも込められていると思います。

 しかし・・・。あのような事故が起こるとは誰も予想していなかったでしょう。それにどこを見ても、危ない所だらけです。日本の地下鉄の駅だって、毎日、毎秒、危険にさらされており、どのような事故が起きるか誰も知ることはできないと思います。亡くなった方や怪我をした方、後遺症の残った方は本当にお気の毒ですが、誰かに責任のありかを見出したくても、できない事故だと思います。大事故だったと思います・・・

 でも、私がこの連載で書いておきたいのは、事故そのものでなく、その後、起こったことなのです。

 事故の翌朝、地下鉄の駅は清められ、始発も定刻どおり運転されました。午前中、ルカシェンコ大統領が事故現場に訪れ、階段の手すりに花束を供える様子が何度もその日テレビで流れました。

 その後、死亡者の家族、親戚、友人がぞくぞくと現場を訪れ、花束を置いて行きました。それだけではなく、ろうそくを階段に立てて灯し、祈り、壁に「死者へのメッセージ」を書き始めたのです。一週間後、また教会へミサのため、ネミーガ駅で降りた私は事故現場の階段へ行ってみました。そしてびっくり・・・!

 本当に驚きました。現場の階段、地下通路の壁という 壁に死者へのメッセージ、別れの言葉、こんな事故が起こってしまった怒りと悲しみ、絶望感、等などがびっしりと、書かれていたのです。さらに亡くなった方の写真があちこちに貼られ、その回りに今は亡きクラスメートに捧げる自作の詩や、絵、イコン(聖人画)や十字架、ぬいぐるみ(故人の物?)などがいっぱい飾られていたのです。そして足元にはろうそく、花束、花輪が置かれ、それが1年後の今も絶えることがないのです。

 事故発生後一週間めの日に、目の前にある聖霊大寺院が鎮魂のための儀式を現場で行うことになり、徐々に人が階段の周りに集まってきました。すると、とりみだす遺族が現れて、また混乱になることを恐れたのか、警官がやってきて階段上に立ち、一般人は立ち入り禁止にしてしまいした。それで、私も帰ることにして、その場を去ったのですが、ベラルーシ人の死者に対する姿勢・・・というものを強く感じ、ショックでした。

 日本だったら、このような事故が起きた場合、事故現場に亡くなった方への メッセージをじかに書くでしょうか?私にとっては事故そのものより、残されたベラルーシ人と死者との人間関係(?) を目の当たりにしたようで、もっと大きい衝撃を受けました。次回にもこの「死者へのメッセージ」について書きます。

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