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地下鉄ネミーガ駅階段事故 No.7

(2000/06/22 by T)

 事故が起こってちょうど1年めの5月30日午後8時、現場のすぐ近くにあるスラブ正教の教会である聖霊大寺院が事故現場で、また28日にはベラルーシのカトリック教会においては総本山である聖シモンと聖ヘレナの教会で、鎮魂祭が行われました。  

 ベラルーシテレビは遺族、被害者、関係者をスタジオに集めた討論番組を放映しました。 その時、整備に当たっていた警官3人が証言者として登場し、さらに遺族からの質問に答えたりというシーンもありました。   被害者の18、19歳ぐらいの女の子が、
「怪我をして、助けを求めているところへ、救急車がやってきた。それには看護婦が乗って いたので、助けてください、と言ったのにもかかわらず、その看護婦は、この救急車は 死体運搬用で、怪我人を運ぶためのものではない、と答え何もしてくれなかった。その救急車には3人の遺体がまず運び込まれたが、その後、なかなか出発せず、その 看護婦は救急車のそばで遺体の番をしているようにただ立っていた。彼女の目の前で 私が血を流してうめいているのに、簡単な応急手当すらしてくれなかった。」
という証言をしていたのが印象に残りました。官僚的というか、頭が固いというか、ソ連的というか・・・。

 気分の悪くなる話が続いたので、別の角度から見た話題も書こうと思います。   まず、事故の後、3週間ほどで、事故現場のそばに慰霊碑が建てられました。呑気なベラルーシ人とは思えない素早さ! 慰霊碑は赤褐色の大理石で作られた階段状の段の上に青銅のバラとチューリップが 数十本、下方に花を向けて配置されている・・・というデザインです。(私はこの慰霊碑は生々しい感じがして、実は嫌い。)

 事故発生後、1週間目に現場へ行ったとき、「死者へのメッセージ」から少しだけ 離れた所に紙が貼ってありました。
「この事故で精神的打撃を受けた方へ。心理カウンセラーに相談しましょう。電話・・・。」

 この心理カウンセラーは公立の機関のものでした。(もちろん無料)   こんなに早く遺族や被害者の心理ケアをしてくれるとは・・・。   呑気なベラルーシ人とは思えない素早さ! (^^;) これには感動してしまいました。  

 1年経った今でも、助かった人の中には、電気を消したところでは一人で寝られない、 夢に事故の時の様子を見て、その時の恐怖を忘れることができない、という人がまだまだたくさんいます。この心理カウンセラーの相談窓口は今でも受け付け中だそうです。

    ハイティーンだった一人娘を事故で亡くした両親(ということは40歳ぐらい?)が どうしても、代わりの子どもがほしくなり、今年5月の初めに赤ちゃんが生まれたそうです。 しかも、また女の子。これはベラルーシの新聞で読みました。  

 最後に。   私にとっては、この階段事故は、事故そのものよりも、その後残された、つまり 生きている人々が、亡くなった方に向かって表現した「死者へのメッセージ」のほうがより、印象的、衝撃的でした。それを消したりしないミンスク地下鉄側の姿勢にも、感動しました。  

 日本でこのような事故が起きた場合はどうでしょうか?   山の上で、遭難した方がたくさんいた場合は慰霊碑を建立したりすることはありますが、地下鉄の階段ではどうでしょうか?   他の地下鉄利用客の通行の邪魔になるから、と足元の花束やろうそくは片づけられてしまうのではないでしょうか。 壁に油性マジックで書かれた「メッセージ」も、落書き扱いにされて、消されてしまうのではないでしょうか。  

 ともかく、ベラルーシ人が死者に対し、どういう姿勢をもって向かい合っているのか 見せ付けられました。またベラルーシ人が死をどう考えているのか、少しは窺い知れたような気もします。私にとっては、どれもとても難しいテーマですが・・・。

 次は事故現場の写真です。現場はいつも人がいっぱいいて、1年前に比べるとさすがに減りましたが、「メッセージ」を熱心に読む人や、泣いている人もいる場所なので、カメラを向けるには勇気が要る場所でした。

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