ゴメリ州モズィリ市(1型)糖尿病児童協会への支援活動

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第2回−2  2005/10/30

 

この画像はモズィリ市糖尿病児童協会の事務所で写しました。ここで詳しいお話を聞くことができました。
 モズィリ市糖尿病児童協会は2004年に発足し、2005年現在32人の子どもが所属しています。7月に初めて副会長さんにSOS子ども村でお会いしたときは28人だったのに、3ヶ月で4人も新しい会員が入会しています。つまり新しく糖尿病を発病した子どもが4人も現れた、ということです。
 さらに生後1ヶ月の赤ちゃんが糖尿病を発病しましたが、モズィリの病院では対応できない、ということで、ミンスクの病院へ転院したそうです。この赤ちゃんは入会していませんが、モズィリに戻ってきたら、入会する可能性があります。
 現在の会員の最年少者は4歳で、一応児童協会であるため、18歳までを対象にしていますが、18歳以上でも学生の場合は会員になれます。

 会費は一ヶ月に約100円で、モズィリ市役所清掃部の建物の1室を借りています。安い部屋、つまり狭い部屋しか借りることができませんが、ここにオフィスがあります。定期的に子ども達と保護者が集まって、交流しています。主に糖尿病についての勉強会、意見交換、質疑応答、他の都市にある糖尿病児童協会との交流などです。ときどきピクニックに行ったり、クリスマスパーティーをしたりして、楽しく遊んでいるそうです。
 
 協会にとっての最大の問題は、やはり医薬品が高価で家計の大きな負担になっていることです。
 インスリンは国から無料で支給されていますが、それを注射するための注射針は患者側の負担になっています。
 会長のデルノフスカヤさんのお話によると、数年前子どもに必要な針などが手に入らず、病院に何とかしてほしいと訴えたところ、何もない、と言われました。さらに
「第2次世界大戦のときのことを思い出してください。当時は針どころら包帯も何もなかったんですよ。それでも人間は生き延びてきたでしょう?」
と言われたそうです。(そんなこと言い訳にしなくったって・・・。)

 そして娘さんが発病して10年になるのですが、このうち2年間はこのような「何もない」状態だったそうです。
 どうしてたんですか? と尋ねたら、とにかくさまざまな人のつてを頼って、ロシアなど外国に行く人を見つけては、頼んで注射針などを買ってきてもらったそうです。
 
 デルノフスカヤさんは自ら、モズィリ市役所に陳情書を書いて訴え、さらにゴメリ州庁にも訴え、ついにはルカシェンコ大統領にも陳情書を送ったそうです。
 モズィリ市役所からは返事が来て、市営プールを無料で使えるようになったそうです。(それもいいけれど、肝心な注射針などのほうが必要不可欠ですよね。)

 ドイツの救援団体にも手紙を出したそうですが、返事はまだ来ていません。
 赤十字から血糖値測定器を援助してもらったことがあるそうですが、定期的な援助というのはどこからも来ていません。
 モズィリは放射能汚染地域であるため、学校に外国から救援物資が届くことがあるのですが、そのときに残った救援物資(おもちゃやぬいぐるみなど)をもらったりしているそうです。
 きちんとした外国からの援助はチロ基金が初めてだ、というお話でした。(しかしチロ基金も定期的な援助は残念ながら約束できません・・・。できるだけ継続したいですが・・・。)

 3400本の注射針は32人の子ども達の間で分けますが、一人あたり大体100本ずつ渡せます。本当は使い捨てにするのが望ましいのですが、何回も消毒して再利用するため、100本あると半年はもつそうです。
 簡易検査試験紙は450枚渡してきましたが、1日に3枚から6枚使うため、一ヵ月半でなくなってしまいます。意外にこの検査試験紙が高いのが、悩みの種です。針と違って、再利用はできませんし・・・。
 お母さんたちは、「1本をハサミで半分か3等分して、数を増やす。」と話していましたが・・・。

 保護者の方々の気の遠くなるような努力。病気をかかえながらも、しっかりした顔立ちの子ども達に会うことができて、モズィリへ行くことができてよかったと思う反面、こちらも気が遠くなるような感じがしました。
 1日も早く糖尿病が完治できるような方法が見つかり(膵臓のランゲルハンス島B細胞 の移植手術をすれば、完治するそうですが、ベラルーシではこの手術はまだ行われていません。)注射針などの援助が必要でなくなる日がくることを願ってやみません。

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辰巳雅子
Date:2005/11/03(Thu)