ベラルーシの部屋レポート
2005年7月

No.573,4 チロ基金>活動報告>2005年「ビタペクト2」&『放射能と栄養』無料支給・配布運動第33回へ移動しました(2006/9 saba)
 Title:アンケート結果より
お待たせしました!(?)2005年のアンケート結果をまとめました。
http://belapakoi.s1.xrea.com/kekka_05.html
ご協力いただいた皆様、本当にありがとうございました!

かなり大まかな印象ですが、やはり日常生活や社会問題など、生活に身近な話題が関心を持たれているのかなあ・・・という印象を受けました。

それから、問5の「初めてベラルーシを知ったときのイメージ」。これはなかなか興味深い結果となりました。
なんとなく予想した通りになったのですが、やはり、イメージが思い浮かばない、という印象が強いみたいですね。

ちなみに私が初めてベラルーシという国について知ったのは(地図上にそういうところがある、という単なる机上の知識としてではなく、人が暮らしている「国」だと意識したという意味)10年ぐらい前ですが、そのとき思ったのは
「ロシアとポーランドの間の国・・・でなにがあるんだっけ?」という状態でした。今回の結果は自分の体験を振り返っても、なるほどなーと思いました。

問 6 の結果もまたとても興味深かったです。自由回答形式にしたので、私の予想を超える回答もあって、おもしろく読ませて頂きました。
私自身の東欧のイメージとは(書いてるけど)ヨーグルトとコマネチなんですよねー(時代を感じる)・・
それからハンガリー。子供の頃に読んだ「パール街の少年たち」という物語にものすごーく影響を受けています。なかなかこの本おもしろいですよ!(余計なことですが)
それにしてもネガティブなイメージを感じる方が多いんですね。むーん。ただ、こういうイメージって何年か経つうちに変わってくるものなので、私は今はこういうものなのかなーという程度に受け取っています。

例を挙げると(ちょっといい例ではないかも)、ベトナムは私が子供の頃、世界の最貧国と言われ、ボートピープルや、内戦や、難民や、枯れ葉剤や(ベトちゃんドクちゃんとか・・)、共産主義やらあれこれとありましたが、数年前の「ドイモイ」政策によって随分雰囲気も変わりましたよね。ベトナムへ行くのもそんなに難しくなくなったし、実際旅行代理店に行けばベトナム旅行のパンフレットはたくさんあります。私はベトナムもいつか行ってみたいなーと思っていて、それなりに興味をもっているんですけど、今のベトナムって多分沢山の社会問題を抱えながらも、でも観光客向けに開かれたイメージがだんだん出てきているよなーと感じています。一応、ベラルーシは資本主義国でベトナムは社会主義国のはず・・・でも、それぞれの国の現在抱かれているイメージは資本主義と社会主義のイメージとはそれぞれ相反しているように感じます。

そういう意味では、ベラルーシに限らず、東欧はいま時代の過渡期にあると私は感じているので、そのただ中にある国と人々が外から見るとどう見えるか、という今回の結果はとても興味深かったです。

それから、(これも重要なことだと思うんだけど)メディアの情報伝達力の強さ。メディアが「この国はこんな国」と強力にアピールすれば、多くの人がそのように信じてしまうんだなーと改めて感じてしまいました。これってものすごく怖いことですよね・・・

それから、問7でベラ部屋のご感想を載せました。私たちへの感想がほとんどなので、公表する必要はないかなーと思い、書いて下さった方へはありがとうございます、と深く感謝する次第です。
その中で、2,3点ほどお返事したほうがいいかな、と思ったものがありましたので、この場でお返事いたします。

・ベラルーシ人との国際結婚について情報が欲しい
すいません!この国際結婚に関する問い合わせは今までにも何度か頂いていたり、「ロシアンぴろしき」の掲示板で私がときどき回答していたりしたのですが、「ベラルーシの部屋」として何らかのコンテンツをつくって、旅行情報みたいに公表する・・・という可能性は今後限りなく低い、と思います。

というのも、私はベラルーシ人と結婚したことがないし、Tさんが結婚したのはもう随分前のことで、例えば私やTさんの体験談をネットに載せて公表しても、それが今、通用したり、参考になるか、となると、多分ならないと思うんですよ。
日本の結婚事情はめまぐるしく変化していて、つい先日も親族の結婚式に出たのですが、私が結婚した3年前に比べると随分雰囲気が変わったなあと思いました。アクセサリーは私はずっと真珠、と思っていたのですけど、真珠をつけてきている人は少なかったし、だいたい私自身留袖着なかったし。

多分法的手続きのことについて色々知りたい、という人が多いかなあと思うのですが、法律にからむ問題について、ベラ部屋のような個人サイトを頼るのはちょっと怖いなあと思います。同じ頼るとしても、つい最近結婚されたカップルや専門のプロ(行政書士や弁護士)に相談して、自分でも勉強したほうが断然いいと思います。法律は変わっていきますので昔こうだった、といっても今同じ状況であるとは限りません。私たちの今のネットに登場出来る状況から考えて、状況の変化にすぐに対応できるとはとうてい思えないのです。

旅行情報もかなり古い情報もあり、間違った情報もあります。こちらも無責任な状態になりつつあるのですが、感想を読む限り、古い情報でもお役に立っているようなので、なんとか続けていこう、という方向になりました(ちょっと、あまりにも更新できないので、旅行情報はやめようかなあ・・・と思ったときもありました。個人的に)

そんなわけで、時々「国際結婚について教えて欲しい」というお問い合わせをいただくのですが、私たちも詳しいことはほとんど知らないし、下手に私たちが調べるより、専門のプロに問い合わせた方が確実でしょう、というお返事ぐらいしかできないのです。どうかご了承下さい。

・政治経済や社会に関する問題を多く取り上げて欲しい
そ、そうですね、確かに・・・こういう問題もその国を知る上で大切なことですよね。
リンクページでも紹介していますが、人権問題に比重が置かれていますが、ベラルーシ・ウクライナニュースでこのようなニュースの一端を知ることができます。ご興味のある方はホームページを定期的にチェックしてください。

経済については、実は外務省の関連団体(かな?)が本を出していたり、専門の方がホームページを開かれています。正直いって専門的なことが知りたい方はそっちを読んだ方がいいかなーと思いました。多分専門の方を超える内容のページはベラ部屋では作れない・・・と(私は)感じたので、ベラ部屋の方向としては、政治経済、社会問題については、Tさんの生活に身近なネタで今後も更新していくと思います。今回のアンケートの結果をみても、やたら専門的になるよりは、Tさんの身近なネタが政治経済、社会につながっている・・という感じのほうが支持されるのではないか、と感じました。

これも(ベラルーシの話じゃないけど)別の国のことですが、先日の中国で起きた「反日デモ」の際、ニュースで伝えられることと、実際中国で暮らしている人や留学生がブログで伝える状況とは大きく差があるなあと思ったんですよ。私も今、職場で中国人の人と一緒に仕事しているけど、別に周囲も「反日」とかそういうこと言いませんでしたし(仕事は仕事だし・・)、本人も至って普通でした(仕事だから?)これが全てだとは思いませんが、ニュースでは連日反日反日といってるのに、現実に職場にいったら中国人の人と何事もなかったように普通に仕事している・・というのは、どういうことなんだろう、随分差があるよなあ、と自分でも不思議な気持ちでした。

個人が見聞きできるのってやっぱり本当に一部でしかないと思うんですよ。ベラ部屋も当然その中の一つなので、なんでもかんでもお伝えする・・というのはやっぱり無理があり、「できる範囲」というのがあるんだなあと思います。私もTさんも「できる範囲」を超えて無理してでもベラ部屋をやっていこう、という気持ちはないので、限られたネット接続時間の間で何を伝えるか、となると、やっぱり優先度が自ずと決まってくるんですよね。ですので、状況によあっては、ごめんなさい、これもあれも伝えたいんだけど、ちょっと無理・・・という時があるのですが、どうかご了承下さい。

今はネットが進化してベラルーシに関するホームページも増えてきました。各人がそれぞれの特色を生かした優れたホームページを公開しているので、ぜひみなさんには色々と観て頂いて「それぞれの視点からみたベラルーシ」を少しでも感じて頂けたら・・と思います。

さて、長くなりましたが、参考までに2003年と2002年のアンケート結果もまたアップしましたので、ご興味ありましたら比較がてらみてみてください。
2003年アンケート結果
http://belapakoi.s1.xrea.com/kekka_03.html
2002年アンケート結果
http://belapakoi.s1.xrea.com/kekka.html
by さば(管理人)
Date:2005/07/03(Sun) 19:30 No.575

 Title:仙台国際交流協会広報誌の最新号ががネット上で読めるようになりました
 No.567の投稿でお知らせしましたが、仙台国際交流協会の広報誌『SIRA WIND(さいらういんど)』7月1日発行の第55号にて「芭蕉の詩」が公開されました。内容は下記HPにPDF方式で公開されました。

http://www.sira.or.jp/japanese/top.html

 ご興味のある方、ぜひご覧下さい。他のバックナンバーもこのHPからアクセスできます。ベラルーシのみならず、他の国々のことも知ることができ、とても勉強になりますよ。
 仙台国際交流協会の皆様、本当にありがとうとうございました。
 仙台とミンスクが姉妹都市でよかったとしみじみ思っています。
by ベラルーシのT
Date:2005/07/04(Mon) 00:23 No.576

 Title:2005年 夏のユーラシアバザールのご報告
 先日このベラルーシの部屋レポート(No.571)でご案内しました『2005年 夏のユーラシアバザール』(日本ユーラシア協会大阪府連主催http://www011.upp.so-net.ne.jp/jes)のご報告です。

 このバザールにはヨーロッパ輸入雑貨店「VESNA!」http://vesna-ltd.com/が参加し、ベラルーシの民芸品や雑貨、文房具、ベラルーシ民族音楽CDなどを販売しました。その売上金は全額、チロ基金の活動資金として還元されます。

 スタッフの方々のご報告によると、今回はいろんな種類の商品が売れたそうです。(個人的にはベラルーシ音楽や芭蕉の詩のCDが売れたのがうれしいです。)
 今回も大きな売り上げがありました。チロ基金にとってはとても大切な活動資金です。
 ベラルーシの商品をお買い上げくださった皆様、本当にありがとうございました! この場を借りてお礼申し上げます。
 売上金は今後の基金の活動のため、有効活用させていただきます。
(チロ基金の活動について詳しくはこちらをご覧下さい。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/index.html

 そしてベラルーシの商品を通し、少しでもベラルーシの文化に触れていただき、興味を持ってくださったら、本当にうれしいです。(^^)

 日本ユーラシア協会大阪府連の皆様、「VESNA!」のスタッフの皆様、いつも大変なご苦労があると思います。
 スタッフの方々やお買い上げくださった方々のおかげで、チロ基金の活動が継続できていること、いつも痛感しています。ご協力くださった皆様、これからもどうぞ末永くよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
 また次回のバザール(12月)のご案内もこのベラルーシの部屋レポートでさせていただきます。
by ベラルーシのT
Date:2005/07/13(Wed) 21:12 No.577

 Title:アンケートへのご協力ありがとうございました
 大変遅くなりましたが、アンケートにご協力くださった皆様、本当にありがとうございます。
 お礼が遅くなって申し訳ありません。率直なご意見を聞くことができました。これからのべラ部屋の内容に反映させていきたいと考えています。でも気長〜に、そして暖かく見守ってくださいね。
 現在は、仕事に家事に育児にチロ基金の活動・・・と忙しくて、ゆっくりPCの前に座っていられる時間がありません。
 そんな中、チロ基金の活動報告は最優先事項ですので、できるだけ、早めに投稿しています。それはやはり、基金の活動を支えてくださっている方々に、活動内容の報告をする義務があるためです。
 このような理由で、皆様が知りたがっているベラルーシそのものの内容の投稿が後回しになってしまい、申し訳ありません。私自身も残念に思っています。
 
 アンケート結果そのものの感想ですが、私もさばさんの感想と同じです。
 ベラルーシ旅行に関しては、べラ部屋の「旅行」ページは参考程度になさってください。状況が本当に流動的なので、現地に住む私も全て把握しきれません。
 旅行のことは日本国内の旅行会社に問い合わせてください。
 国際結婚のこともそうですが、餅は餅屋で、それを専門にしており、商売にしている方々にご相談下さい。

 それにしてもさばさんのところへ、そんなに問い合わせのメールがたくさん来ているのでしょうか?
 私のところには来てないですねえ。「管理人さば」という肩書きのせいかな?
 ご存知の方のほうがずっと多いと思いますが、ベラルーシに住んでいるのは、私「ベラルーシのT」のほうで、さばさんではありません。ましてや、さばさんが日本在住だけどベラルーシの一大専門家というわけではありませんので、ご質問のさいにはご注意ください。
 (HNを「ベラルーシのT」から「ベラルーシ在住のT」とか「ベラルーシに住むT」などに変更しようか、と真剣に考えてしまいました。)(^^;)

 それから、「政治のことを取り上げてほしい。」というご要望ですが、ルカシェンコ大統領が大統領の座を去らないうちは、どうかご勘弁ください。長くベラルーシに住みたいです。(^^;)

 とか言いつつ、批判めいたこともこのHPに書いたりしていますが、私はルカシェンコ大統領が日本などで報道されているような、どうしようもない大統領だとは思っていません。

 日本で初めて、ベラルーシの大統領とやらはキテレツだ、といったことがマスコミに報道されたころ(その後、このキテレツという言葉の部分が「独裁」「ヨーロッパの金正日」に変化していった・・・)日本の雑誌にベラルーシの記事を書いてほしいと頼まれたことがあります。
 そのとき私はルカシェンコ大統領が100%おかしい、といった報道をするのは間違っている、実はこれこれこういう事情がベラルーシ側にあって・・・という内容の記事を書きました。
 しかし、原稿を送った後、その雑誌側からは今日の今日まで何の連絡も来ていません。
 掲載されたのかどうかも連絡なし。もちろん原稿料なんてもらっていませんですよ。(T_T)

 原稿料ゼロで、しかも没になったのかどうかも連絡してこない、というような雑誌に記事を書くより、原稿料ゼロでも確実に人様に読んでもらえるHPのほうが、ずっとずっと素晴らしい情報ツールですよ。
 そんなわけでベラ部屋はできるだけ長く続けたいと思っています。
 後で振り返ってみて、なかなか更新できなかったという時代があったな(←今。)(^^;)と思われるようなときがあっても、皆様、怒らず気長に見守ってください。
 (いつもこればっかりですみません。)

 ところで、アンケートの質問6「あなたが持つ東欧のイメージ」のご回答がおもしろかったですね。「東欧のイメージ」=「アレクセイ・イグナショフ」という答えが出てくるのがすごい。質問が「ベラルーシのイメージ」なら分かるんですが。「幻術的」とかね。(^^;)
 いまだに「共産主義」というイメージがあるのもしょうがないのかな? とも思います。
 ちなみに私が持つ東欧のイメージは「お城」!
 特に「古城がたくさんあるところ」です。
 
 それから「東欧」という言葉ですが、昔は「チェコスロバキア」「ブルガリア」「ポーランド」といった辺りを指していましたが、東欧諸国がEUに加盟した後、それらの国の人々は「東欧」と呼ばれるのを嫌い「これからは中欧って呼んでくれよ。」と言っているそうです。
 「じゃ、東欧はどこになるの?」と彼らに尋ねると、ベラルーシ、ウクライナ、モルドバの3カ国しかないそうです。
 (こういう見方をすれば「東欧のイメージ」=「アレクセイ・イグナショフ」という回答も実に東欧的なイメージになりますね。)

 かつての東欧の人々も「東欧=共産主義」といったマイナスなイメージを払拭したくて、自ら中欧国を称し始めたのでしょうね。
(ベラルーシも「旧ソ連で〜す。」ではなく「東欧国です。」と堂々と言えるわけですね。よし、これからは私もそうしよう。)

 それにしても、EU加盟を目指しているウクライナが本当に加盟したらどうなるのでしょうか?
 また「東欧の国」が一つ減るんでしょうか?
 そうこうするうち、東欧は「ロシア1カ国」だけになってしまう未来が来るかも。(^^;) 
by ベラルーシのT
Date:2005/07/16(Sat) 09:14 No.578

No.579 旅行情報にまとめました。(2006/6 saba)
 Title:旅行情報&長期滞在者情報<緊急事態が発生した場合>改訂版
長期滞在者情報 <緊急事態が発生した場合>

 長期滞在、と言っても1年ほどの人から私のような永住予定者まで期間はさまざまだと思います。
 万が一(?)ベラルーシで戦争や紛争、内乱、天災、原発事故などなどが起こった場合は・・・。
 以下は在ベラルーシ日本大使館が、ベラルーシ在住日本人のために作成した緊急事態対処マニュアルを要約したものです。

・平素の心得

 緊急事態の発生などにはかかわらず、3ヶ月以上ベラルーシに滞在するときは、在ベラルーシ日本大使館に在留届を提出しておきましょう。住所や電話番号が変った場合も連絡を。日本へ帰国するときや第3国に引っ越してベラルーシを離れるときも大使館に一報を。長期間ベラルーシを離れる場合も連絡をしたほうがいいです。
 ついでに日本の家族に大使館の電話番号なども知らせておきましょう。いざというとき安否の確認など問い合わせしやすいと思います。(下記参照。)
 また普段から貴重品はすぐ持ち出せる所に保管し、非常食、医薬品も常備しておきましょう。
 情報収集のためのラジオ、また乾電池、懐中電灯、ろうそく、マッチなども準備。
 パスポートには日本国内連絡先のほか、血液型も記入しておくとなお完璧です。

・緊急事態が発生したら

 緊急事態が発生したとしても、すぐあわてて避難しないといけないとは限りません。
 まずは自宅待機する場合もあります。これらの指示は大使館から電話連絡がきます。電話回線が使えなくなった場合にはNHK国際放送などFMラジオを通して連絡される場合があります。
 緊急事態発生後、無事である場合は(無事でない場合もですが;)その旨、大使館に連絡を。他の日本人の安否を知っている場合はそれも大使館に伝えておきましょう。
 自発的に帰国あるいは第3国へ退避する場合も、大使館に知らせてからにしましょう。
 もし、日本大使館が退避勧告を出した場合は早急にベラルーシ国外へ退避してください。最低パスポートだけは持参しましょう。
 普通、空路で避難することになりますが、これは各自で一般商業便を利用してください。状況によっては一般商業便の運行がなくなる場合や、座席が確保できない場合も起こりえます。その場合は臨時便やチャーター便を利用することが考えられますが、片道エコノミー正規料金の支払いが必要となります。でも後払いOKなので、とにかく乗ってしまいましょう。
 またベラルーシの場合、陸路で避難することもありえます。これについて日本大使館から指示があれば、それにしたがってください。
 もし大使館に集合し、日本人全員がまとまって避難することになった場合は、すぐに集合場所へ。
 ここまで読んで怖くなった人も、「大丈夫さ」と思った人もいると思います。ま、何が起こるか分からないのが人生ですね。(^^;)
 特別な緊急事態が起こらなくても、医薬品を常備しておくのは当然といえば当然です。
 それから、ベラルーシでは私の経験では1年に1回ぐらいの割合で停電が起こるので、ろうそくなどは我が家では常に置いてあります。
 断水もときどき起こります。(どうしても必要なときは水の出る所まで取りに行きます。)
 ・・・という意味では、ベラルーシではしょっちゅう非常事態が起こっているのかもしれないのでした。(^^;)(ベラルーシは地震はないですが・・・。)
 最後に私から上記マニュアルに付け加えておきたいベラルーシ版緊急事態としては・・・

・放射能漏れ事故

 ベラルーシには原発はありませんが、国境を越えてすぐのところにチェルノブイリ原発などがあります。事故が起こった場合、風向きによってはベラルーシに放射能が飛んでくる場合もありえます。
 放射能もれ事故のニュースを聞いたら、まずデマでないかどうか、人体に影響を与える放射能量かどうかを確認しましょう。危険を感じた場合は、とりあえず屋内に入ってドアや窓を閉め、待機してください。
 本当に危ない場合は大使館から指示がきますので、それにしたがいましょう。
 ちなみにベラルーシ国内の放射能汚染地域は外務省から注意喚起地域として指定されています。行くのは禁止されていませんが、食べ物や飲み物に各自注意するよう、通達されています。
(まあ、ベラルーシだけが放射能漏れ事故が起こる国、というわけではないのですが、ベラルーシ政府が速やかに情報公開したり避難命令を出すかどうか信用がないですからねえ。)

・反政府デモ

 1年に何回か反政府デモが町の中心部で起こります。場合によっては交通機関が一時的に閉鎖されることもあります。
 当然ですが、野次馬感覚で反政府デモを見に行ったり、デモに参加している群集の中に紛れ込んだりしないようにしましょう。機動隊が出動した場合、反政府の人間と間違えられ、けがをさせられたりしても損なだけです。また外国人が反政府デモに参加していた、ということで、国際スキャンダルに発展したり、政治的なことに利用される可能性もあります。(大袈裟ではなく)
 ただ、デモが行われたとしても、平常の生活は変わりません。交通機関が全面閉鎖になる、商店が閉まってしまう、買いだめパニックが起こる、夜間外出禁止令が出る、電話回線がパンクする・・・というようなことは起こりません。みんな全く普通に生活しています。
 反政府デモについては日本のマスコミも報道するときがありますが、それを知って日本の家族が不要の心配をしないように、このことを前もって伝えておくほうがいいでしょう。
 とにかくデモには近寄らなければ、それで大丈夫です。


(連絡先一覧)

・在ベラルーシ日本大使館

住所:ミンスク  パベジーチェレイ大通り 23番 8階
郵便番号 220004
(最寄りの地下鉄はネミーガ駅あるいはフルンゼンスカヤ駅)
電話:203−62−33、203−60−37、203−44−81
FAX:221−21−69
開館時間:午前10時から午後6時まで。(休憩時間:12時30分から2時まで)
土日祝祭日休み。
(営業時間外でも上記の電話に連絡すれば、留守番電話で日本語が通じる緊急連絡先の電話番号を案内しています。)

・外務省海外安全相談センター(国別安全情報等)
  住所:東京都千代田区霞が関2-2-1
  電話:(代表)03-3580-3311(内線)2902
・外務省領事局海外邦人安全課(テロ・誘拐に関する問い合わせを除く)
  住所:東京都千代田区霞が関2-2-1
  電話:(代表)03-3580-3311(内線)5140
・外務省 海外安全ホームページ: http://www.mofa.go.jp/anzen/
by ベラルーシのT
Date:2005/07/25(Mon) 20:10 No.580

No.581 チロ基金>活動報告 日本語能力試験受験希望者のための交通費負担 へ移動しました。(2006/10 saba)
No.582 チロ基金>活動報告>2005年「ビタペクト2」&『放射能と栄養』無料支給・配布運動第31回へ移動しました(2006/9 saba) No.583 チロ基金>活動報告>ゴメリ州モズィリ市糖尿病児童協会への支援活動第1回 へ移動しました(2006/10 saba)
 Title:ベラルーシの歴史改訂版
 ベラルーシの歴史 簡易版で
http://belapakoi.s1.xrea.com/gh/history.html

 ベラルーシの歴史を簡単にご紹介しています。徐々に詳しくしていく予定ですが、今回少しだけ詳しくした年表を公開します。
 (さばさんへ。いつでもいいので上記のページの改編をお願いします。)

 まだまだ簡単内容ですね〜
 ベラルーシの歴史を知るのは私にとってはとても楽しいことなので、将来はがんばってもっと充実させたページにしようと考えています。
by ベラルーシのT
Date:2005/07/30(Sat) 23:31 No.584

 Title:ベラルーシ歴史年表
(ベラルーシ歴史年表)

6−8世紀ごろ:バルト系民族が居住。その後スラブ系民族が流入し、各地で集落を形成し、農耕を行っていた。

859年:年代記にクリビチ人の共同体についての初の記述。このころベラルーシの北部にクリビチ人、南部にドゥリガビチ人、東部にラジミチ人という古代民族が住んでいた。彼らがベラルーシ人の共通の先祖とされている。当時使われていた言語は古期ロシア語という古語で、この言語からベラルーシ語、ロシア語、ウクライナ語が分化したと考えられている。
[古期ロシア語。この言語からベラルーシ語、ロシア語、ウクライナ語が分化する。]

862年:ベラルーシ北部にクリビチ人の町としてポーロツクの存在が年代記に記述される。(現在のポーロツク市)当時はクリビチ人の間で町の権力者(ポーロツク公)を決めていた。
[古期ロシア語]

9世紀末:ポーロツク公国がキエフ・ルーシの支配下に入る。
[古期ロシア語]

10世紀中頃:スカンジナビアからやってきたと伝えられるラグバロドがポーロツク公となる。ベラルーシの歴史で初めて具体的に登場する人名である。

980年(970年、975年、976年の説有り):ポーロツク公国がキエフ・ルーシ公ウラジーミルの軍に攻められ、壊滅的な被害を受ける。ラグバロドの娘ラグネダはウラジーミルと結婚。後のキエフ・ルーシ公、ヤロスラフ賢公などの母となる。

11−13世紀:ポーロツク公国(ベラルーシ北部)、トゥーラフ公国(南部)、ノボグルードク公国(西部)などがキエフ・ルーシの支配下で成立。

1230年代から14世紀後半にかけて:現在のベラルーシ共和国の領土のうち西半分がリトワニア大公国[初期ベラルーシ語]、東半分がロシア[ロシア語]の支配下に入る。
 リトワニア大公国の公用語は初期ベラルーシ語と定められる。リトワニア人はリトワニア語を持っており、口語として使用し続けていたが、リトワニア大公国の歴史の記述などは初期ベラルーシ語で書かれることになった。

1237−1241年:ベラルーシ各地で来襲したタタール人(モンゴル帝国)との戦いが起こる。しかしタタール人による本格的な支配はなかった。

1558−1583年:リボニア戦争。(リトワニア大公国とロシアの間で起こった戦争。)ベラルーシが戦場となる。

1569年:リトワニア大公国がポーランド王国と連合し、事実上の従属領となる。現ベラルーシの西半分の地域もポーランド王国の支配下に入る。ポーランド化が進められる。[ポーランド語]

1654年−1667年:ロシア・ポーランド戦争。ベラルーシ領域が荒廃し、290万人いたベラルーシ人人口が140万人に減少。

[1696年:リトワニア大公国の公用語がベラルーシ語からポーランド語に代わる。口頭以外のベラルーシ語使用が禁止される。]

[1700年:アムステルダムでガルリャシュ・カリピエービッチがキリル文字を書籍用に考案。1708年にピョートル大帝の依頼を受け、図書用のキリル文字を考案。文字改革が行われ、アムステルダム文字、ベラルーシのアルファベットと呼ばれる。現在はカリピエービッチ文字と呼ばれる。]


1700−1721年:北方戦争(スウェーデンとロシア、ポーランド、デンマークなどとの戦争)ベラルーシ人人口が80万人に減少。

1795年:第3次ポーランド分割によりリトワニア大公国が解体。現ベラルーシのほぼ全域は帝政ロシアの支配下に入る。その後ロシア化が進められる。[ロシア語]

1812年:ベラルーシはナポレオンのモスクワ遠征(祖国戦争)の通過地点となる。

20世紀初頭:ロシアでの社会主義運動の高まりに連動して、ベラルーシでもベラルーシ人による政治活動が増加する。

1914年:第一次世界大戦勃発。ベラルーシ西部地域がドイツ軍に占領される。

1917年:ロシア革命起こる。

1818年3月3日:ソビエト・ロシアがブレスト・リトフスク条約に調印し、ベラルーシの一部を含む領土の権利を放棄した。

1918年3月25日:ドイツ軍占領下でベラルーシ人民共和国が独立を宣言。

1918年末−1919年初め:ソ連赤軍によって占領から解放される。それに伴い、ソビエト・ロシアによる支配が始まり、ベラルーシ人民共和国は実質上消滅。

1919年1月1日:ソビエト・ロシアにより、白ロシア・ソビエト社会主義共和国が樹立。
[公用語はロシア語。ベラルーシ語使用は解禁]

1919年2月:白ロシア・ソビエト社会主義共和国とリトワニア・ソビエト社会主義共和国が統合される。(リトベル共和国の誕生。)

1920年4月:ポーランド軍が侵攻。ポーランド・ソビエト戦争始まる。リトベル共和国の瓦解。

1921年3月:ポーランドとソビエトのリガ条約調印により、ベラルーシの西半分の地域がポーランド領[ポーランド語]になり、東半分は白ロシア・ソビエト社会主義共和国[ロシア語]に定められる。

1922年:東半分の地域(白ロシア・ソビエト社会主義共和国)[ロシア語]がソ連邦に正式に加盟。

1939年9月1日:ドイツ軍がポーランドに進攻。第二次世界大戦勃発。約2週間後、ポーランド国内の混乱に乗じ、ポーランド領だったベラルーシ西半分の地域は白ロシア・ソビエト社会主義共和国領域に戻される。さらに一部のポーランド地域が白ロシア・ソビエト社会主義共和国に組み込まれる。[ロシア語]

1941年6月22日:ドイツ軍がソ連に進攻。大祖国戦争始まる。間もなく白ロシア・ソビエト社会主義共和国全域がドイツ軍の占領下に置かれる。戦時中国民の4人に1人が死亡。[ロシア語]

1944年7月:白ロシア・ソビエト社会主義共和国各地の都市がドイツ軍の占領から解放される。

1945年5月9日:ソ連の勝利。大祖国戦争の終結。

1945年8月:白ロシア・ソビエト社会主義共和国に組み込まれていたポーランドの一部地域がポーランド領に戻される。(現在のベラルーシ領の国境が決定。)[ロシア語]

1945年6月:白ロシア・ソビエト社会主義共和国が国連に加盟。

1965−1980年:ピョートル・マシェロフが第1書記を務める。(事実上の白ロシア・ソビエト社会主義共和国の元首)

1979年:ソ連のアフガニスタン侵攻。多数のベラルーシ人兵士戦死者を出す。

1986年4月26日:チェルノブイリ原発事故発生。事故当時、風下に当たった白ロシア・ソビエト社会主義共和国は甚大な被害を受けた。

1990年7月27日:ベラルーシ最高会議が国家主権宣言を採択。

1991年8月25日:国家主権宣言をベラルーシ最高会議が承認し独立宣言。[ベラルーシ語]

1991年9月19日:正式国称をベラルーシ共和国に改称。

1991年12月:独立国家共同体(CIS)が創設。ソ連が崩壊し、ベラルーシ共和国の独立も決定した。

1992年:独自通貨ベラルーシ・ルーブルを導入。

1994年:現大統領ルカシェンコが大統領に就任。

1995年:新国旗と新国章の制定。(現国旗と現国章)ロシアとの統合を目指す政策が強化されている。[公用語をベラルーシ語とロシア語の二つに制定。]
by ベラルーシのT
Date:2005/07/30(Sat) 23:36 No.585