- ベラルーシの歴史 -
.
.
.


 今のところ「ミニ歴史」です。
将来、少しずつ詳しくしていって、ミニの名称を返上する予定。(いつになるやら)
気長にお待ちください。

 ベラルーシの歴史については、ソ連崩壊前に書かれた歴史と、ベラルーシ独立後書かれた歴史と、ルカシェンコ大統領になってから書かれた歴史とは、それぞれ内容や書き方が微妙に違うのです。

 しかしソ連時代に書かれた歴史が全部間違いで、独立後書かれた歴史が全て正しい、とは言い切れないのです。まさに歴史は塗り変えられる、です。
また、注意していただきたいのは、ベラルーシの歴史、と言っても、ベラルーシ共和国のとしての歴史は1991年以降なので、10年ほどの長さしかないことです。
ですから、ここでご紹介する歴史は、「現在ベラルーシと呼ばれている地域」の歴史です。以下の年表中にある「ベラルーシで」という表記は全て「現在ベラルーシと呼ばれている地域」と置き換えながら、お読みください

特に西半分と左半分の地域に分割されていた期間が長いことが、ベラルーシの歴史を語ることを難しくしている理由です。
各地域で使われていた言語についても[   ]内で説明してあります。
また、現在のベラルーシ領域には石器時代から人が住んでいましたが、それについては省略。
 
 今読み返してみて、内容が不十分なところがたくさんあると思ったのですが、とりあえず公開します。

・・・・・・・・・・・・・・

859年:年代記にクリビチ人の共同体についての初の記述。このころベラルーシの北部にクリビチ人、南部にドゥリガビチ人、東部にラジミチ人という古代民族が住んでいた。彼らがベラルーシ人の共通の先祖とされている。[古期ロシア語。この言語からベラルーシ語、ロシア語、ウクライナ語が分化する。]

862年:ベラルーシ北部にクリビチ人の町としてポーロツクの存在が年代記に記述される。(現在のポーロツク市)当時はクリビチ人の間で町の権力者(ポーロツク王)を決めていたらしい。[古期ロシア語]

9世紀末:ポーロツクがキエフ・ルーシの支配下に入る。[古期ロシア語]

10世紀中頃:ラグバロドがポーロツク公となる。ラグバロドはスカンジナビアからやってきたと伝えられる。

980年(970年、975年、976年の説有り):ラグバロドの娘ラグネダがキエフ・ルーシ公ウラジーミルと結婚。後のキエフ・ルーシ公、ヤロスラフ賢公などの母となる。

11−13世紀:ポーロツク公国(ベラルーシ北部)、トゥーラフ公国(南部)、ノボグルードク公国(西部)などがキエフ・ルーシの支配下で成立。

1230年代:現在のベラルーシ共和国の領土のうち西半分がリトワニア大公国[初期ベラルーシ語]、東半分がロシア[ロシア語]の支配下に入る。
[リトワニア大公国の公用語が初期ベラルーシ語に定められる。リトワニア人はリトワニア語を持っており、口語として使用し続けていたが、リトワニア大公国の歴史の記述などは初期ベラルーシ語で書かれることになる。]

13世紀ごろ ベラルーシ各地でタタール人との戦いが起こる。

1569年:リトワニア大公国、ポーランド王国と連合。事実上の従属領となる。現ベラルーシの西半分の地域もポーランド王国の支配下に入る。[ポーランド語]

1654年−1667年:ロシア・ポーランド戦争。ベラルーシ領域が荒れ、290万人のベラルーシ人人口が140万人に減少。

17世紀ごろ:モスクワの人口の20%がベラルーシ人だったらしい。ノボデボビッチ修道院に300人のベラルーシ人修道士がいた。

[1696年:口頭以外のベラルーシ語使用が禁止される。]

[1700年:アムステルダムでガルリャシュ・カリピエービッチがキリル文字を書籍用に考案。1708年にピョートル大帝の依頼を受け、図書用のキリル文字を考案。文字改革が行われ、アムステルダム文字、ベラルーシのアルファベットと呼ばれる。現在はカリピエービッチ文字と呼ばれる。]

1700−1721年:北方戦争(スウェーデンとロシア、ポーランド、デンマークなどとの戦争)べラルーシ領内が荒れ、ベラルーシ人人口が80万人に減少。

1795年:第3次ポーランド分割によりリトワニア大公国が解体。現ベラルーシ全域はロシアの支配下に入る。[ロシア語]

1812年:ナポレオンのモスクワ遠征(祖国戦争)の通過地点となる。

1914年:第一次世界大戦勃発。ドイツ軍に占領される。

1917年:ロシア革命起こる。

1918年3月15日:ドイツ軍占領下でベラルーシ人民共和国が独立を宣言。

1918年末−1919年初め:ソ連赤軍によって占領から解放される。

1919年1月:白ロシア・ソビエト社会主義共和国が樹立。[ロシア語。ベラルーシ語解禁]

2月:白ロシア・ソビエト社会主義共和国とリトワニア・ソビエト社会主義共和国が統合される。

7月:西半分の地域がポーランド支配下になる。[ポーランド語]

1921年:リトワニア会談により、西半分の地域がポーランド領になる。[ポーランド語]

1922年:東半分の地域はソ連邦に加盟。[ロシア語]

1939年9月1日:ドイツ軍がポーランドに進攻。第二次世界大戦勃発。約2週間後、ポーランドの混乱に乗じ西半分の地域は白ロシア・ソビエト社会主義共和国に戻される。[ロシア語]

1941年6月22日:ドイツ軍がソ連に進攻。大祖国戦争始まる。間もなくベラルーシ全域がドイツ軍の占領下に置かれる。[ロシア語]

1944年7月:ドイツ軍の占領から解放。

1945年5月:ソ連の勝利。

1986年4月26日:チェルノブイリ原発事故発生。

1990年7月:議会が主権宣言を採択。

1991年8月:主権宣言が承認されベラルーシ共和国として独立。[ベラルーシ語]
12月:独立国家共同体(CIS)が創設。

1992年:独自通貨ベラルーシ・ルーブルを導入。

[1995年:公用語をベラルーシ語とロシア語の二つに制定。]

Name: ベラルーシのT

Date:2003/02/08
.
.
.

Copyright (C) 2003-2004 Belaruski Pakoi All rights reserved.

素材提供: