ベラルーシの部屋レポート
2006年4月

 Title:タツィヤナ・ムシンスカヤさんの公式サイト


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 以前「ベラルーシの芸術雑誌に『月と日』の記事が掲載されました」という記事を投稿しました。
 ベラルーシで発行されている雑誌「芸術」(2005年11号)の音楽評論欄に「月と日」の記事が掲載されたことと、その日本語訳についてでしたが、その後、この記事を執筆した記者タツィヤナ・ムシンスカヤさん、そして写真を撮影したアンドレイ・スプリンチャンさんの承諾を得て、写真の転載を許可されました。
 せっかくなので記事の日本語訳を作り直すことにしました。(次の投稿をご覧ください。)

 この画像は記事の掲載ページをTがデジカメで撮影したものです。
 またタツィヤナ・ムシンスカヤさんは作詞家、芸術評論家として数多くの作品を発表していますが、その業績が全て分かる公式サイトを教えてもらいましたので、皆様にもお知らせします。
(表記はロシア語と英語表記です。以下のURLは英語表記のほうです。)

http://tam.fromby.net/eng.html

 カメラマンのアンドレイ・スプリンチャンさんからは、他にも「月と日」コンサートの画像を提供してもらいましたので、近いうちにべら部屋で公開します。
 「月と日」コンサートについて詳しくはこちらです。
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/songs/index.html
 でもここで見られる私が撮影した画像は、あまり質がよくないので、プロが撮影した画像を皆様お楽しみに!
by ベラルーシのT
Date:2006/04/01(Sat) 14:22 No.803

 Title:ベラルーシの芸術雑誌に「月と日」の記事が掲載されました


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 ベラルーシで発行されている雑誌「芸術」(2005年11号)の音楽評論欄に「月と日」の記事が掲載されました。
 この記事の内容はネット配信されていません。でも、その日本語訳をここで公開します。
 記事と画像の転載については、記者のタツィヤナ・ムシンスカヤさん、カメラマンのアンドレイ・スプリンチャンさんから許可を得ています。

・・・・・・・・・

雑誌「芸術」(2005年11号)

記事:タツィヤナ・ムシンスカヤ


「『一面の白い花・・・』 ベラルーシ風の日本」

 ズィミツェル・バイツュシュケビッチ(トーダル)は、ベラルーシ語における歌曲という意味においてのベラルーシ歌謡界における、最もロマンチックな英雄だろう。
 トーダルのスタイルはシンガーソングライターとシャンソン歌手の間にあると言える。
 ミュージシャンとして、また歌手としての新作発表の場であるコンサート会場は、満席になることがほとんどだ。

 9月コンサートホール「ミンスク」にてトーダルは、WZ−オルキエストラとともに新しいCD「月と日」を発表した。このアルバムはまず珍しい作品、であるということが評価される。
 コンサートのポスターやCDジャケットにはフランツィスク・スカリナが考案した月と日のマークが記されていた。これは・・・
「スカリナというブランドを表すマークである。しかし、現代においてはこのマークはベラルーシ文化そのものの象徴となっている。」「日本の伝統文化において、このようなデザインの文様は存在しないが、このマークが表す意味は日本人にも分かる。夜と昼。時の流れの輪。」「日本もベラルーシにも、ともに時のサイクルに対する共通する教えがあるのだ。」「500年前にイタリアにいたスカリナがもたらしたマークは、日本の伝統的な詩と現代ベラルーシ音楽文化が融合したCDのジャケットに印された・・・」
 これは「月と日」プロジェクトに参加した画家ミハル・アネムパディスタウの言葉である。

 このプロジェクトを提案したのはミンスクにある日本文化情報センター代表の辰巳雅子。彼女は日本の歌の歌詞をロシア語に翻訳し、さらに詩人のアレーシ・カモツキーがロシア語からベラルーシ語に翻訳して、プロジェクトは実現化へと進んだ。

 日本の詩と日本人の世界観は、地理的には遠いベラルーシの音楽家のインスピレーションの源泉となった。
 これらの作品は異国情緒を醸し出すだけではなく、他の国の文化を探ろうとする人の創造活動の中にあると言える。
 収録曲のうち日本の古謡「さくら」は辰巳雅子によると、実に古い時代に作られた歌だそうで、他の曲、例えば「朧月夜」「茶摘み」「われは海の子」「紅葉」「浜辺の歌」などは、作詞作曲者が分かっているものもあり、大体100年ほど前に作られた歌である。
 「月と日」プロジェクトそのものは、最先端の形を取り入れている。まずコンサート会場では洗練されたデザインのCDの発売も開始された。歌詞カードもついており、日本の歌をアーティストたちといっしょにベラルーシ語で歌うこともできる。
 さらにこのプロジェクトには公式サイトが立ち上げられた。またコンサートでは各界の第1人者が集められた。プロデューサーはトーダル自身。彼の歌に加えて詩人のアダム・グリョーブスが自作の「俳句」を朗読。ステージ上には2枚のスクリーンが設置され、ベラルーシと日本の風景が上演中映し出された。そのテーマと色彩は共通しており、生活と詩が合流することができることが、見ていて分かった。発表された歌は心に響くものだった・・・。

 プロジェクトはトーダルの働きに負うところが大きい。彼の歌声のイントネーションは柔らかく、その明るい人生観に聴く人は癒される。コンサート会場に来ているのに、湯船につかっているような気持ちにさせられるのだ。

 会場には若い人だけではなく年配者も多かった。感情を込めて、一緒に声を合わせ、熱く歌った。このような盛り上がりを見せたのはアーティストだけの力ではなく、会場が醸し出す雰囲気がそうさせたのではないだろうか。
 観客の多くは実はステージ上に知的な関心を多く寄せていたように思われる。会場に集まった人々はうっとりした、そして満足な表情で聴いていた。巷で流れる軽い流行歌にはない、広くて密な世界を曲と詩が創っていた。
 
 「月と日」プロジェクトのメンバーたちが主張している。
「他の文化をベラルーシ風に変えることはできたが、しかし、このCDに収められた歌は多分に日本風である。」「ベラルーシ人は様々な文明の間で生きている。そしてまた他の文化を自分たちの必要に応じて、適応させ、統合させてきた。」
 このCDを聴いていると突然、日本人の心の中にあるものがベラルーシ人の心の中にもあることに気がつき、驚かされる。二つの国が持つ風景は、ごく普通で、そして近い。アルバムの中にある表現は日本をベラルーシ人が客観的に見たものではなく、詩と音楽という形式の中で感情を具体的に表したものだ。
「一面の白い花・・・これは咲いたさくらの花」
 さくらは日本にだけではなく、ベラルーシにも咲いた。
 

・・・・・・・・・

(註)記事を書いた記者は本文中の抜粋を「ミハル・アネムパディスタウの言葉」「プロジェクトのメンバーたち」としていますが、実際にはアネムパディスタウさんが執筆したCDの解説を抜粋したものです。
 CD解説の日本語訳はこちらです。
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/songs/2005/liner_notes.html
by ベラルーシのT
Date:2006/04/01(Sat) 14:28 No.804

 Title:大統領選挙から2週間
 26日に行われたウクライナの最高議会選挙の報道の影響で、ベラルーシの大統領選挙のニュースは、ひとまず「おしまい」になったようですね。
 こんな記事もありますが・・・。

(共同通信)
http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/kokusai/20060328/20060328a3940.html

 ベラルーシの兄貴分であるウクライナがオレンジ革命の後、混迷している様子を隣で見ているベラルーシの人々。これではますます野党支持派の勢いが失速してしまうでしょうね。

 現在のベラルーシは平常と変わらない状態が続いています。 
 大統領が変わったわけでもないので、まるで大統領選などなかったかのようです。
 拘束された200〜400人と見られる野党支持派の人々はまだ解放されていないようです。解放されたとしてもそのことはベラルーシの国営放送は報道しないでしょう。日本などのマスコミも、もう別のニュースの取材に忙しくなっているので、報道するかどうか。
 マスコミなんかこんなものですよ。

 さて、日本のマスコミが報道していない事柄について、追加で投稿しようと思います。
 まず、野党支持派がデモや行進をして警察隊と衝突して拘束され、欧米諸国がベラルーシ政府に対し経済制裁措置を検討する、と発表したわけですが、そのとたん、ベラルーシの政府支持派の若者が、EU諸国の大使館の前で抗議デモを行いました。
 つまり、こちらは野党支持派ではなく、政府支持派によるデモです。

 ベラルーシにはベラルーシ青年同盟という機関が組織されています。これはソ連時代のコムソモール(共産主義青年同盟)のベラルーシ版と言っていいものです。
 ソ連時代は普通、小学校低学年でオクチャブリャ−タ(ピオネール入団前準備児童)になり、その後ピオネール(共産少年団員)になり、高校生になるとコムソモールに入りました。当時はコムソモールに入らないと、就職が不利になったりその後の出世に響いたりしたため、ほぼ全員が入っていました。
 ソ連崩壊後、これらの組織はなくなったのですが(ロシアの一部地域でピオネールが復活しているケースもありますが、ごく小規模。)ベラルーシでは、コムソモールに当たるベラルーシ青年同盟を数年前に新設しました。

 しかし、もちろん共産主義を学ぶような組織ではありません。一言で言うと現政権を支持する若者が増えるように創られた組織です。(それこそが、健全なる若者の育成の第1歩! というところでしょうか。)
 高校や大学ごとにこの青年同盟があり、定期的に地区会議、市会議、州会議などを開いて他の地域の青年同盟と交流したり、独自にイベントを開催したりしています。しかしコムソモールと違って、就職などに影響しないため、加盟している青年は全体の半分ぐらいのようです。
 ベラルーシではピオネールも復活する動きがあります。もっともこれも別名称になるでしょうね。「ベラルーシ少年少女同盟」とかになるのかな?

 さて、今回の欧米諸国の大使館前でのデモはベラルーシ青年同盟が行ったのですが、彼らは現ベラルーシ国旗を掲げ
「経済制裁に反対!」「友好関係を保とう!」
と訴えました。
 見方によってはベラルーシ政府に圧力をかけるような国は、出て行け、とも取られかねない抗議デモです。
 もちろんベラルーシ青年同盟が自主的に行った抗議行動ということになっていますが、政府から行動を起こすよう指示があったのかもしれません。ただ参加者の数はごく少数(50〜100人ぐらい?)でした。 
 
 さて、大統領選より市民生活にとって、もっと重要なニュースが飛び込んできました。

(朝日新聞)
http://news.goo.ne.jp/news/asahi/kokusai/20060401/K2006040101190.html

 ロシアがベラルーシへ輸出しているガス価格の値上げを打診し始めた、というニュースです。
 親ロシア派のルカシェンコ大統領が再選したら、「値上げ交渉をする環境が整ったと判断」され、もし野党候補が当選していても、ロシアから離反し親欧米路線を取るから、と値上げされる。
 結局どっちに転んでも、ロシアはガス価格を値上げしようと思っていたわけですね。
 やれやれ。2007年の冬がどうなることか・・・。

 ベラルーシ人の中には、これはアメリカの陰謀だ、という声もあります。
 つまり、今回の野党支持派のデモがうまくいかなかったので、アメリカがロシアのガス会社に賄賂を渡し、ベラルーシ政府に対してガスの価格の値上げ交渉をするよう唆す。
 この問題をベラルーシ政府がうまく回避できず、実際にガスの値段が上がって、ベラルーシ経済に影響が出たり、またガスの供給が止まったりして、ベラルーシ国民が凍えてしまう、という事態に陥ったとする。こうなると野党派が声高に叫ばなくても、民衆は責任のありかを大統領に向け、あっという間に政権崩壊に繋がる。
 ・・・というシナリオをアメリカは描いている。ベラルーシを通っているガスのパイプラインが止められてしまい、西ヨーロッパへのガス供給が滞ったとしても、アメリカは痛くも痒くもありません。
 ガス会社に賄賂を渡すほうが、今回の野党支持派の若者にアルバイト料を渡すより、政府転覆には効果がある・・・という見方です。

 もちろん、これはあくまでベラルーシ人の推測であって、実際はどうなのか、全く分かりません。でも確かに親ロシア派のルカシェンコ大統領が再選して、ロシアのプーチン大統領が真っ先にお祝いコールをしたのに、両国の友好関係に水を注すようなことをロシアのガス会社が言い出したのか、ちょっと不思議です。
 もし、親欧米路線の野党候補が当選したら、ウクライナのように「はい、来月の1日からガス止めますよ。」というめちゃくちゃな要求がロシアから出されることは明白でした。そうなるのがいやで、ルカシェンコ大統領に投票した人もたくさんいると思います。それなのに・・・。
 とにかく今年1年のルカシェンコ大統領の外交・経済面での手腕が問われるでしょう。
by ベラルーシのT
Date:2006/04/02(Sun) 13:22 No.805

 Title:大統領選挙・その後
Tさんが投稿された記事について補足します。

エネルギー関係でロシアからベラルーシへの何らかの動きがあるとは思っていたのですが、こんな早くとは思ってなかったですねー。私はルカシェンコさんが当選すれば、ロシアから何らかの形で「裏側からおめでとう」の動きがあると思っていたのですが、それはもっとニュースにならない形で、あとから「実はあのときああだった」的なニュースとして報じられるのかと思ってました。

ロシアのエネルギー関係の会社は最近国有化が進んでいるので(国有化ということはプーチンさんの影響力大ということ)、アメリカの介入する余地は少ないかもしれません。ただ確かに、この時期の値上げはちょっとへんですよね。

陰謀説大好きの田中宇さんがちょっと前にウクライナとロシアのガス値上げの顛末について、記事を書いています。

続・ウクライナ民主化の戦いのウソ
http://tanakanews.com/g0120ukraine.htm

さて、ここに書かれているように、ベラルーシでもガス取引にまつわるペーパーカンパニーが出来て、その利益の流れが不透明になるのか、それとも、ロシアがベラルーシのガスパイプライン会社を買収して、そこから不透明な利益が流れるのか、どうなるか不明ですが(そういうのが将来起こるとしても、少なくとも日本のメディアは報道するまい)、プーチンさんがウクライナのようなやり方をベラルーシに適用する可能性はあるんじゃないかと思います。
プーチンさんが、エネルギー資源という強力な武器を背景に何らかの力をふるわないということはない、と思います。今後。それは日本に対しても同じことじゃないかな?

それから、田中さんの記事のなかで取り上げられていた「政府系でない独立系の人権団体」BHHRG(The British Helsinki Human Rights Group  http://www.bhhrg.org/)内でベラルーシの選挙に関する記事が出ています。写真もみられますよん。

"Why did voters in Belarus reject the "Denim Revolution"? "
http://www.bhhrg.org/CountryReport.asp?CountryID=4&ReportID=264
今回の選挙、「デニム革命」って名前がついていたんだ・・・・・・・・・(その由来は??野党側はデニム着用義務があったから?)
うーんと、私、そんな英語の読解力ないけど、この記事は最後のほうで「自分たちは12年間ベラルーシで選挙ウォッチをしているけど、西側のジャーナリストや政治家がいうほどの状況ではないから、しばらくは静観してベラルーシの状況に無理に介入しない方が良いのではないか」ということを書いているように思ったんですけど。間違ってたらすいません・・(指摘してください)

選挙監視団体はその団体にどこの政府の息がかかっているかで、言うことが変わってくるので(欧米系の団体だったら「選挙に不正があった、欧米と仲良くする候補はそのために苦戦している」、というし、ロシア系の団体だったら「選挙に不正はなく、ルカシェンコ氏は公正な選挙を経て大統領になった」という傾向がつよい)どこの政権の影響も受けないで活動しています、と明言しており、かつ、継続的に12年間もずっとベラルーシの選挙ウォッチを行ってきた団体の言うことはなかなか説得力があるなあと思いました。

この記事以外にもベラルーシ関係の記事はいくつかあり、読んでみるとなかなかおもしろいことかいてますよ。
(私も英語力があるわけじゃないので、全部理解した、というわけではないのですが、少なくとも、今までの報道とは角度が多少ちがうな、と思いました)
by さば(管理人)
Date:2006/04/02(Sun) 16:03 No.806

 Title:デニム革命(?)
 さばさんの投稿にあった「デニム革命」について。
 私は「ジーンズ革命を起こす」と野党が命名しているのを聞きました。結局「青色革命」にしたかったようです。ウクライナはオレンジ革命、グルジアはバラ革命、キルギスがチューリップ革命・・・
 ・・・なので、青あたりになるんじゃないか、と思っていたベラルーシ人が多かったのですが、ジーンズ(デニム)は何なんでしょう?
 デモ参加者は絶対ジーンズ着用、というお触れが出ていたわけではないですし。

 ただ、選挙前に「新しいシーンズがほしい!」というスローガンと全員デニム姿の小学校低学年生の集合写真が印刷された、大き目のシールが町のところどころに貼ってありました。
 しばらくして、野党支持派が貼った政府批判キャンペーンの一つだったんだな、と分かりましたが・・・。
 意味の分からなかった人、私だけではないはず・・・。
 どっちにせよ、「革命」は起きませんでした。

 個人的にはアメリカナイズされているような「ジーンズ」なんていう名称ではなく、もっとベラルーシらしい名称にしてほしかったです。
 ちなみにベラルーシではジーンズは昔と違って、そのへんでいくらでも買うことができます。ソ連時代はジーンズっていうと「アメリカ」「資本主義」「自由」「お金持ち」というイメージがありましたが。(S夫は若い頃、何とかようやく手に入れたジーパンを盗まれたことがあります。別にビンテージじゃないですよ。) 

 ベラルーシをジーンズも買えないような貧乏国だと日本人の皆様、勘違いしないでください。
(^^;)
by ベラルーシのT
Date:2006/04/03(Mon) 13:57 No.808

 Title:日本文化情報センターの活動 第24夜間学校でのテーマ発表会 その1


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 3月23日にミンスク市立第24夜間学校で日本についてのテーマ発表会が行われました。普通は私が一人で公演をすることが多いのですが、今回はちょっと違いました。 
 しかし、そのご報告をする前に、今回初めてベラルーシの夜間学校に行き、教職員の方々からお話を伺うことができましたので、まずベラルーシの夜間学校についてご紹介したいと思います。

 ミンスク市内に夜間学校は8校あり、第24番学校はセンターがある第5児童図書館のすぐ近くにあります。ベラルーシは少子化が進み、2年前に一つの幼稚園が閉鎖され、第24番学校が現在その建物に移転して使用しています。
 全校生徒は約400人。通学部と通信教育部のクラスがあり、また前者は始業時間に合わせて第一部と第二部に分かれています。テーマ発表会を行ったのは第二部の生徒さんたちでした。

 年齢は16歳からで、年齢制限はありませんが、ほとんどの生徒さんが16歳から25歳ぐらいまでの年齢に該当しています。
 ほぼ全員が就業しながら通学していますが、ベラルーシの公立高校は授業料が無料で、入学試験も事実上ないのに、夜間学校があるのはなぜなのでしょう。
 日本だと、経済的に事情がある、普通の高校に通学したくない、あるいはできない、若いとき教育を受けられなかったので、年齢的にはすでに若くはないが高卒の資格を取りたい、と言う人が夜間学校に通っている場合が多いと思います。
 ベラルーシの場合、残念ですが、窃盗や傷害などの犯罪を犯し、少年院に入っていたので、出所した後、教育を再び受けるため、夜間学校に通うことになったという生徒がほとんどです。特に男子生徒のほとんどはそうなのだそうです。
 しかし彼らは現在は更正して、昼間はまじめに働き、夜は勉強しているそうです。

 そして現在の夜間学校は女子生徒の割合が過半数と多いのですが、その理由を聞いて驚きました。女子生徒のほとんどが子どもを持っているのだそうです。つまり中学生や高校生で妊娠し、出産するとベラルーシではそれまで通っていた普通の学校から、夜間学校へ強制的に転校させられるのです。
 ベラルーシでは男女とも18歳になると親の同意なく結婚できます。例外的に女の子で14歳以上、しかも子どもがおり、夫となる人が18歳以上の場合は結婚できる場合もあるそうです。
 既婚か未婚かは別として、18歳以下の未成年が、出産すると以前通学していた学校には通学できなくなり、自宅から最も近いところにある夜間学校に籍を移されます。
 そして子育てしながら、あるいは育児も仕事もしながら、夜間学校に通うことになります。
 と言うことは・・・
「私は夜間学校を卒業しました。」
と言うとそれだけで、前科がある、あるいは10代でママになった人なのか、と思われてしまう、ということですよね。それってかえって差別に繋がらないのだろうか? と私が先生に尋ねると、逆に日本の場合はどうなっているのかきかれました。

 日本では普通、中学生が出産してもその子どもが公立の中学校に通っていた場合は、除籍されたり転校させられたりすることは絶対にない。高校も基本的に同じ。(本人が中退したい、と希望した場合はもちろん別。高校側に妊娠したら退学を勧めます、という校則がある場合は自主退学を「促される」可能性もあるけれど・・・。) 
 普通は休学して、来年から年齢では1歳下の学年の生徒と再び学び始める。もし、本人が希望して高校を中退したとして、また復学を希望する場合は高校の入試を再受験して合格すれば1年生からやり直しができる。他の高校でも受験できる。しかし絶対に夜間学校に入らないといけない、という法律はない。

 ・・・と日本の事情を話すと、ベラルーシ人の先生はこのような意見を述べました。
「ベラルーシでは普通の中高校に『お母さん』は絶対通学できないのです。強制的に夜間学校に集められます。しかし、それでいいと思います。というのも、日本の方法だと、子持ちの高校生がそうではない普通の高校生を机を並べることになります。出産を経験するとそういう女の子は精神的に大人っぽくなります。しかし、周りの子どもはそれが分からず、冷やかしたりする。今まであまり顔を合わしたことのない1歳年下の生徒に囲まれて、浮いてしまい、いじめられたりする。
 また子どもを持っている若いお母さんに刺激され、今までそんなことを考えたことのなかった他の女子生徒が、『私も若くしていろいろ経験してみたい。』と思うようになるかもしれない。」
(つまり、未成年のママが他のティーンエイジャーに影響を与え、未成年ママの数がさらに増えてしまう、ということですね。未成年ママが増えるのはまだいいんですが、それより中絶の数が増えるのを防止するのが狙い、ということも言えるでしょう。日本でもそうですが、十代の妊娠は中絶で終わることが多いので。
 夜間学校は16歳以上となっていますが、それ以下の年齢の子どもが出産した場合は小学校や中学校はどうなるんですか? と質問したら「そういうケースは非常に少ない。普通は出産まで至らない。中絶するか流産してしまう。もし生まれたとしても、親権放棄して子どもは孤児院に送られてしまうことが多い。」のだそうです。) 
「しかし、夜間学校に通えば周りは自分と同じ境遇の女の子たちばかりです。育児の情報交換をしたり、家庭や職場の愚痴を言い合って慰めあったり、勉強を助け合ったり。似た者同志なので、お互いの悩みを共感でき、周囲から浮き上がることなく、友達がたくさんできます。精神的に落ち着き、成績の向上にも繋がります。」

 この先生の説明にも私は納得してしまいました。ベラルーシと日本とどちらが本人にとっていいのか、差別にならないのか、意見はさまざまだと思います。どちらにせよ、一長一短ありますよね。
 ちなみに第24番学校の卒業生たちの成績は、ミンスク市内の夜間学校の中で最上位で、大学進学率は20%だそうです。学校ではちゃんと進路指導をしてくれます。ただ、大学入学時にすでに就職している場合がほとんどなので、入学する大学も夜間部である場合が多いそうです。
 それから日本の夜間学校と違って、ベラルーシの夜間学校は体育の授業がなく、クラブ活動もないそうです。
 だから、もともと幼稚園だった建物を夜間学校にしてしまうことができるんですね。
 ベラルーシ人の先生は
「体育の授業はあるほうがいい。せめて教室の一つを改装して、ジム施設のようにしたらどうか、と提案しています。」
と話していました。

 このような話を聞き、夜間学校へやってきたわけですが、女子生徒はどこからどう見てもみんなごく普通の女子高校生にしか見えず、
「本当にこの人たち、ママなの?」
と思いました。
 男子生徒もみんなそのへんにいそうな、普通の高校生と同じに見え、とても前科のある人たちには見えませんでした。
 
 その前に1月にセンターで開催された着物展に、校外学習で20名ほどの生徒さんが来てくれたのですが、みんなすごくまじめで、行儀がよくて、質問は活発にするし、絵に書いたような優等生ばかりに見えました。
 その後、発表会に招待されたわけです。画像は夜間学校で地理の教鞭を取っているセルゲイ・ゲオルギエビッチ先生。
 発表会は地理の授業の一環として行われました。
 会場となった教室にはその他の先生方も参加し、発表会の様子はビデオに録画されました。
 教室の壁には日本文化情報センターから貸し出したポスターや日本地図が貼られ、生徒さんたちの手作りの日の丸もベラルーシの国旗と並べて飾られました。
 (しかし、ベラルーシの国章の隣に天皇家の家紋が飾られているのは、日本人は笑ってしまいますよね。(^^;) でもこれも、生徒さんたちが一生懸命作ってくれたんです。)  
by ベラルーシのT
Date:2006/04/04(Tue) 12:51 No.809

 Title:日本文化情報センターの活動 第24夜間学校でのテーマ発表会 その2


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 発表会までに各生徒にテーマが与えられて、それぞれが調べてレポートにまとめてきました。
 
 各テーマはこのとおりです。
「天皇制」「経済・技術」「教育制度」「地理」「武道」「着物」「芸者」「男女平等問題」「日本人の美的感覚」 
 これらのテーマを自分たちで調べて、順番に発表しました。中には手作りの表やスクラップ状に写真を集めた手作りのポスターを掲示して説明する人もいました。発表の内容に間違いや補足するところがあれば、私が説明を補いました。
 また発表ごとにセルゲイ・ゲオルギエビッチ先生が生徒に鋭い質問を投げかけたりして、非常に中身の濃い発表会でした。最後には日本文化センター所有の「日本の世界遺産」のビデオをみんなで見ました。
 
 ちなみにもう少し発表の中身について詳しく書くと・・・
「天皇制」→「現在における天皇制度、ならびに日本社会での最大の問題は跡継ぎがいないことです。」→(私から秋に皇族の数が一人増えるので、跡継ぎ問題はなくなるかも。と補足説明。)
「経済・技術」→「天然資源に恵まれない日本が戦後、経済大国になった理由の一つは、勤勉な国民性にあります。」セルゲイ先生は「日本人に見習ってみなさんもまじめに働きましょう。」(私はあまり勤勉な日本人ではないので、恥ずかしくなりました。)
「教育制度」を発表した生徒さんは、非の打ちどころのない説明をしました。受験戦争や塾、いじめの問題まで発表しました。(聞いていた生徒さんたちは、ちょっと引いていました。)(^^;)
「地理」→「現在ロシアと領土問題がある島は九州です。」と発表し、セルゲイ先生にすぐ否定されていました。(^^;)
「武道」→主に相撲について発表。柔道や空手についても説明していましたが、なぜか合気道のことは知らない、と言っていました。
「着物」→1月に日本文化情報センターで行われた着物展に行って、見聞きしたことをそのとき撮影した写真を交えて発表。
「芸者」→「芸者について誤解しているベラルーシ人が多い。生徒はみんな16歳以上だし、誤解を解くためにもぜひこのテーマを。」と言うセルゲイ先生の希望により選ばれたテーマ。芸者と聞いて、ちょっと笑ったりした生徒さんもいましたが、担当の女子生徒が「芸者とは『芸術の人』と翻訳でき、厳しい修行を積まなくては一人前になれません。」と発表したら、みんな感嘆していました。
「男女平等問題」→「日本人の男性が帰宅するとその上着を脱ぐのを妻が手伝います。」(最近はそういうことをする夫婦も減っているでしょうが・・・)これを聞いたベラルーシ人はみんな驚いていました。ベラルーシでは逆なので。
「日本人の美的感覚」→石庭など、ヨーロッパ人が考え付かない発想をする感覚について。 

 よく公演会に招かれて、学校に行きますが、生徒側から「日本について事前に調べておきました。」という発表会には出席したことは今までなかったので、とても感動しました。
 1時間20分にわたる発表会でしたが、騒いだりする生徒は一人もおらず、みんな興味津々で、他の先生方も
「本当にすばらしい発表会でした。今日一日で日本について多くのことを知ることができました。」
と高く評価していました。
 私にとっても大変勉強になる発表会でした。提案してくれたセルゲイ先生、本当にありがとうございました。準備が大変だったと思いますが、生徒さんたちの日本への理解がとても深くなったと思います。これこそ国際理解への道の一歩。また機会がありましたら、この第24番夜間学校での授業に協力したいと思っています。
(画像は発表する生徒さんです。)
by ベラルーシのT
Date:2006/04/05(Wed) 12:54 No.810

 

No.811 チロ基金>活動の記録>「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第44回」へ移動しました(2009/5 saba)

 Title:日本文化情報センターの活動 第2回生け花展


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 4月14日はセンターがあるミンスク市立第5児童図書館の創立40周年にあたる記念日でした。
 第5児童図書館は1966年に開館し、15年前に現在の建物に移転しました。
 この創立40周年を記念して、館内ではこの1週間さまざまな催し物が開催されました。センターでも、4月9日から14日まで生け花展を開催しました。
 画像はそのときの様子です。実際にはもう一つちょっと離れたところに別の展示があり、全部で12の作品を生けました。テレビ局が取材に来たり、近くの小学校や幼稚園からも団体の入所者があり、総数210名の方々に見ていただきました。
 
 せっかくなので平行してテーマ展示は「花祭り」(4月8日はお釈迦さまの誕生日なので)つまり、仏教をテーマにしました。
 しかし、今月はベラルーシはカトリックとスラブ正教の復活祭があるので、異教の話をベラルーシ人にしても、盛り上がりませんでしたが・・・(^^;)
 もちろんベラルーシ人に対して仏教の布教活動はしていませんよ。(^^;)
 
 生け花展のほうは大好評でした。4月になってもベラルーシは天気が悪くて、新緑の季節にはほど遠い風景が広がっています。なのできれいな生け花を見て「癒された。」というベラルーシ人が多かったですね。

 しかし、今のように花が自然に咲いていない時期に花材を花屋だけで求めると、予算がオーバーしてしまい、ちょっと苦しいものがあります。次回は森の中で(ただで)花を摘んできて、生け花展がしたいです。
(第1回生け花展ときも同じこと書いてます・・・。2005年5月の過去ログをご覧ください。このときは5月なのに寒かった、とあります。次回の生け花展はいつにしましょうかね・・・。) 
 http://belapakoi.s1.xrea.com/logs/2005/index.html
by ベラルーシのT
Date:2006/04/15(Sat) 22:47 No.812

 Title:26日はチェルノブイリ事故の日
今から20年前の今日、当時はソ連、現在はウクライナ領内にあるチェルノブイリ原子力発電所で爆発事故が発生しました。

私は当時の大騒ぎを今でも覚えていますが、現実に20年過ぎた、ということは現在の高校生以下のひとたちは生まれる前の出来事であり、現在大学生の人たちも、生まれていないか、記憶にないか、あとで知ったかということになります。

私にとっては、その「時の流れの重み」が事故から20年経った、ということを一番強烈に感じてしまいます。


さて、この日に毎日新聞の記者さんが、先月の大統領選挙で野党候補者として立候補したミリンケビッチ氏の婦人へインタビューを行っています。

http://www.mainichi-msn.co.jp/photo/news/20060427k0000m030031000c.html

「政治的チェルノブイリ」とはなかなか凄い表現だ、と思いました。

ここ数日、チェルノブイリ事故から20年関係の記事はありますが、先月大統領選挙があったことが忘れ去られそうなので、こういうときこそ、忘れちゃいけない、と思います。
by さば(管理人)
Date:2006/04/26(Wed) 20:16 No.813

 Title:チェルノブイリ原発事故から20年


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 日本でも、いや世界中でチェルノブイリ原発事故発生から20年のニュースや特別番組を報道していましたね。ベラルーシでも国営放送は26日、ほぼ1日中関連番組を放送していました。
 各地でも追悼式典が催されたのですが、私が気にしていたのは、先月の大統領選の影響です。
 野党勢力は4月26日にまた反大統領集会を開くと宣言していました。
 毎年4月26日にはチェルノブイリ原発事故の犠牲者追悼集会が行われています。しかしそれはあくまで追悼集会で、反政府集会ではありません。
 ロシアや日本の報道では、今年の集会に5000人集まったとありますが、実際にその数が本当だとしても、全員が全員「反政府」の人間とは限らない、とお考えください。
 日本の報道では「野党指導者のミリンケビッチ氏が拘束された。」とあり、理由を集会の一部が未許可だったから、とありますが、つまり反政府集会が未許可だった、ということです。
http://news.goo.ne.jp/news/asahi/kokusai/20060427/K2006042703100.html?C=S
 知り合いで昨日「追悼集会に今から行く。」という人がいましたが、この人はあくまで追悼集会に行ったのであって、反政府集会へ行ったわけではありません。

 さばさんがリンクを貼ったミリンケビッチ夫人のインタビュー記事、読みましたが現政府に対して「政治的チェルノブイリ」という表現で批判するのって・・・。
 チェルノブイリ原発事故の犠牲者や遺族、今も病気で苦しんでいる人たちに失礼じゃない? と思いました。
 そういうあなたは今まで、どういうことをしてきたのか? チェルノブイリ原発事故に対して何か支援するなりしたのか? とききたいです。

 チェルノブイリ原発事故が今も大きな影響を人体や環境に与え続けていることは、日本でも報道されていることですか、ここでは取り上げません。
(普段行っているビタペクト2と「放射能と栄養」のコピー配布の報告文などを読んでいただけたら、と思います。)

 残念なのはチェルノブイリ原発事故への対策が、非常に難しいことです。被害は何カ国にも何百万人にも何世代にも広がっています。
 事故を起こした4号炉に石棺をかぶせていますが、老朽化していて、さらにそれを覆う石棺を造らないといけない。しかし現在チェルノブイリ原発があるウクライナには自力で第2石棺を造る経済力がない・・・。(抜本的解決方法を採らないかぎり、また数十年したら、今度は第3石棺を造らないといけなくなるのではないでしょうか。いたちごっこです。)

 ルカシェンコ大統領は「ベラルーシが原発を持てば世界の対応が変わる。」と発言して、「また暴言吐いてる、あの独裁大統領。」と思われているようですね。

http://news.goo.ne.jp/news/asahi/kokusai/20060427/K2006042701290.html

 しかし、これも見方を変えれば、こうなります。
 ベラルーシが自国で自国の消費分の発電ができれば、ロシアからのエネルギーを輸入しなくて済むようになり、自立できる、そしてエネルギー問題つまり経済問題から脱却し、豊かな国になれるかもしれない、という観測からきた発言なのです。 
 私個人としては、原発よりももっと安全な発電所を建設してほしいですけどね。

 それから「ソ連崩壊後、ベラルーシは非核国家となったが、今の私ならそんな決定はしない。」ともルカシェンコ大統領は発言していますが、ここで言う非核の核とは原発ではなく、核兵器のことです。
 ソ連崩壊後ベラルーシは国内にあった核兵器を全てロシアに返したのですが、この決定についてはベラルーシ国民の間でも賛否両論があります。(今さらロシアに「やっぱり元通り返して。」と言っても、返ってくるわけはありませんが。)
 
 また汚染されている南部地域の住民定着促進についてですが、どうなのでしょう。
 健康被害が出るので、危険で浅はかな政策だと、野党は非難しています。反面、現実問題として住み続けている人もいます。そういう人々のために住みやすい住宅や医療施設を新しく建設するのは、必要なことであるようにも思えます。
 基準を大幅に超えた高放射能汚染地域には今も人は住んでいません。(希望して住んでいる人も少数ながらいますが、それは例外とします。)
 しかし、そこまでは汚染されていないけど、一応汚染地域という場所に住んでいる人は何百万人といます。その人々全員を別の地域に移住させるのは不可能です。
 現実問題として今住んでいる人が、これからも住み続けることを前提とした対応を早く採らないといけません。  
「被災地復興で世界からの支援は限られている。我々は自力でこの地に人が住めるようにしなければならない。」
という意見が大統領の口から出るのも理解できます。
 ただ、外国からの援助がベラルーシの国境を越えにくい法律にどんどん変わっていっている事実を何とかしてほしいですね。金銭はもちろん古い衣料でも、外国からの支援が非常に受けにくい現法律は改正していただきたいです。

 先日ニュースを見ていたら、ベラルーシ科学アカデミーのとある学者が、原発から出る核廃棄物の処理時間を驚異的に短縮する方法を開発した、と報道されていました。
 この方法が実用化され、さらに大規模な処理場をベラルーシ国内に建設したら、ヨーロッパ中の原発から出る核廃棄物を、簡単に処理できるようになるのだそうです。
 もちろん処理作業費用をヨーロッパの各国からもらいます。誰もが嫌がり、押し付けたい核のゴミを引き受けるのですから、みんな喜んでお金を払います。つまりベラルーシが儲かり、お金持ちの国になるということです。
 ベラルーシ国内の核廃棄物処理場でもしミスがあり、放射能漏れ事故が少々起こっても平気、平気。どっちみちすでに放射能汚染されている土地なんですから、そのうえちょっとぐらい漏れたって、どうってことない。それより核廃棄処理技術を経済復興の柱として、外貨が集まるようにしましょうよ・・・というのがお上の思惑のようです。
 日本人の皆さんはどう思われますか?
 そのうちヨーロッパの各原発から、長距離輸送の特別仕様トラックが列をなしてベラルーシへどんどん核廃棄物を搬送してくる光景が見られるようになるかもしれません。
 その通り道に当たる国(例えばポーランド)の幹線道路脇で、「危険なゴミを途中で漏らすな!」というプラカードを掲げた市民団体がデモ行進する・・・という光景も見られるようになるかもしれません。

 こういう技術を開発する能力が人間にあるのなら、もっと安全な発電所を建設する能力があっていいと思うんですが・・・。
 幸いベラルーシではビタペクト2という放射能を体内から排出する働きを持つ食品が、ベラルーシ人の手によって開発されました。
 このような技術を開発した人々、技術屋ではないけれど懸命に援助活動している人々がいることも、ベラ部屋を読んでくださっている方々には忘れてほしくない、と思います。

 4月22日SOS子ども村内でチェルノブイリ被災児の保養活動を続けているSOS母子ソーシャルセンターが創立10周年を迎え、記念式典が行われました。いつもこのセンターを通して、保養滞在している子ども達にビタペクト2などを配布しているのですが、記念式典に招待され行って来ました。SOS子ども村を設立したオーストリアをはじめ、多くの国からの援助がチェルノブイリの子ども達を支えていることが分かりました。
 ベラルーシ側の子ども達もチェルノブイリをテーマにした劇を上演しました。会場はSOS子ども村に隣接する子ども腫瘍病院のホールだったのですが、入院中の子ども達も招かれて劇や歌を見ていました。点滴を受けながらチェルノブイリをテーマにした劇をどんな気持ちで見ていたのでしょうか。
 SOS母子ソーシャルセンターの職員さんたちは10年間の功労が認められ、ベラルーシ政府から表彰されていました。(大統領からサッカーボール10個が寄贈されました。)
 表彰するのはいいけど、もっと外国からの援助を受けやすい体制作り、法改正を今の政府にしてもらいたいと思いました。
 
 (画像はベラルーシ人の子どもたちによるチェルノブイリをテーマにした演劇の1シーンです。黒いマントを来た人物が事故の惨劇、放射能の恐怖、人々の不幸を表現しています。劇の最後ではもちろん故郷の自然や幸福の復活を子ども達が演じていましたが・・・。)
 
by ベラルーシのT
Date:2006/04/28(Fri) 18:19 No.814