Tのベラルーシ音楽コラム
ペスニャルイ
ベラルーシで最も有名なグループ。30年以上もベラルーシの音楽界のトップに君臨しています。 ベラルーシ人なら子どもでも知っているグループ。知らないというベラルーシ人は、偽ベラルーシ人。 ベラルーシのみならず旧ソ連の人はみんな知っているというグループ。 グループ名は「歌人たち」という意味。力入ってます。そしてそれが名前だけではなく実力が伴っている、というところがすばらしいです。
ヒット曲は「春がくるまであと30分」「ヴェロニカ」「アレクサンドルィナ」「ヤーシはクローバーを刈った」「アレーシャ」「懐かしき我が家」「鳥たちの叫び」「白い塔の森」「全ての戦争を通り過ぎて」「グースリ弾き」などなど、多数。 私は「ペスニャルイ」はよく知らないと思っていましたが、よく聴けば聞いたことのある曲ばかり。テレビ番組やCMで使われていて、知らない間に聞いていたんですね〜。
彼らの音楽は一言で言うと「青春」「健全」というイメージ。ひたすらに安心して聞けます。 ベラルーシの大地から沸きあがり、そして空へ飛んでいくような男性コーラス。 感動映画のラストに流れるような曲が多いです。もちろん明るいハッピーエンドのラストシーンです。ちょっと個性のある歌が聞きたい、という人には物足りないかも。でも、ベラルーシのロックンロール、ということですでに個性があると言えばありますね。
そう、このグループはジャンルで言うとベラルーシ・ロックンロールなのです。ちなみにベラルーシ語だけではなく、ロシア語でも歌っています。 ソ連時代はロックなど西側の音楽は「悪魔の音楽」ということで、聞くことを禁じられていました。しかし、ビートルズなどが流行っていたとき、ソ連でも西ヨーロッパに近い地域では、ラジオでロックを受信して、カセットテープに録音したものがまた録音され、若者の間でこっそり出回っていました。
そういった氷河期のような時代が少し過ぎた70年代、結局若者が西側のロックを聴くことを完全に禁止することができないことが分かったソ連政府は 「それなら、ソ連人が歌うロック音楽を作って、若者たちに聞かせればよい。これなら歌詞の内容もチェックできるし、ロックのメロディーが聴きたい若者たちの欲求不満も解消できるであろう。」 と考えを変えました。 そして、政策の一つとして、ソ連製ロックンロール・グループが結成されたのです。それがペスニャルイだったのです。 結成当初、ペスニャルイのメンバーはビートルズを参考にして4人でした。リーダーはしぶい美声の持ち主、ウラジーミル・ムリャ−ビン。もちろんメンバーは全員「国家公務員」。グループ自体も「国営」でした。
さて、民族衣装をアレンジした独特のファッションに身を包み、ロシア語で歌うロックンロール・グループの登場に、ソ連中の若者は熱狂しました。ラジオやテレビでペスニャルイの歌が流れると、みんなラジカセ(当時はこういうものを持っている人も少なかったのですが。)を押し当てて録音しました。
もちろんレコードは飛ぶように売れ、コンサートは大入り満員、日本で言う紅白歌合戦のような歌番組には必ず登場し、さらにソ連各地でツアーコンサートを行い、ソ連国内で行われる音楽コンテストでは、何度も優勝し、さらにはまだ米ソ関係がよくなかった70年代半ばに、アメリカでコンサートをしたという、信じられないようなソ連のグループでした。
ペスニャルイ世代のS夫によると、ペスニャルイは人気が出るにつれて、メンバーの数が増えていき、40人にまでなったときもあったそうです。米米クラブも真っ青です。(なつかしー。) ギターやドラムのほかに、トロンボーンとか、バイオリンなどの担当のメンバーまでおり、「ロックンロールというより、オーケストラみたいだった」そうです。 そのときはステージの端から端までメンバーがぎっしり並び、レコードのジャケットもメンバーの顔がぎっしり並んでいたそうです。 確かに私が知っている範囲では、ペスニャルイのCDジャケットを見ると、CDによって写っているメンバーの数がバラバラです。 しかし、リーダーがウラジーミル・ムリャ−ビンであることは一貫しており、現在は約6名で落ち着いているようです。
さて、そのソ連とベラルーシを代表する歌手、ウラジーミル・ムリャ−ビンですが、2002年に車を運転中事故を起し、重傷となりました。その後モスクワの病院で手術を受けたのですが、2003年1月に亡くなってしまいました。 ソ連の名誉音楽家ということで、まずモスクワでお葬式が上げられ、その後ベラルーシでは国葬となり、ルカシェンコ大統領も参列。葬儀会場には別れを告げるファンが数キロの列を作り、国営放送のニュースでその様子が放映されました。 ソ連崩壊後もペスニャルイは「ベラルーシ国営」のグループだったこともありますが、ニュースを見ながら、ベラルーシ人に非常に愛されている歌手だったのだなあ、と改めて思いました。ルカシェンコ大統領もペスニャルイ世代なので、青春時代聞いていたんだろうな、と思います。
ウラジーミル・ムリャ―ビン亡き後も、残されたメンバーは「遺志を引き継ぎ、グループの活動は続ける。」と話しています。4月には追悼コンサートが行われ、ベラルーシを代表する歌手やグループが集まって、ペスニャルイの歌を熱唱しました。 きっとペスニャルイ自体はこれからもメンバーが交代しながらも続いていくと思います。 でも、ペスニャルイの顔であり、ベラルーシの国民詩人であるヤンカ・クパーラの詩に曲をつけたり、ベラルーシ民謡を現代風にアレンジしたりしていたウラジーミル・ムリャ―ビンがいないのはさびしいですね。 けれど、きっとベラルーシ人の人々の心に中に染み込んでいるムリャ―ビンの歌声は永遠でしょうね。
(ペスニャルイのCDは数多く出ているのですが、画像でご紹介しているのは、ムリャ―ビンが参加しているペスニャルイの最後のCDのジャケットです。2001年発表。)
by ベラルーシのT
Date:2003/06/24(Tue)
07:20
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