おまけとは、Tさんの旦那さまのページです。
ちなみに、文責はTさんです(^o^)(Tさんしか書けんかも・・・(^_^;) byさば)
本名:ステパン・ブガイチューク。(このサイトではS夫で出てきてますよん)
1959年サハリン生まれ。4人兄弟の末っ子。
意外と日本の近くで生まれている。が、生後6ヶ月でミンスクへ引越し。
以後、ずっとミンスクで暮らす。
両親は生っ粋のウクライナ人なので、本人の体に流れているのはウクライナ民族の
血。でもウクライナ語もベラルーシ語もだめで、ロシア語しか話せない。
ロシア生まれのウクライナ系ベラルーシ人って説明したらいいのかな?
日本人の妻はそんなコスモポリタンな(?)夫を「ソ連人」と言っていじめている。
1966年小学校に入学。1975年中学校を卒業。この間、双子のお兄さんと
ずーっと同じクラスだった。みんなにしょっちゅう間違えられなかったのだろうか?
でも本人たちは二卵性双生児であまり似ていない。
子供時代はサッカー、バスケットボール、サイクリング、何の種類か分からないけ
ど格闘技、重量挙げ、射撃、アーチェリー等、スポーツばかりしていたらしい。いろ
いろやったなかで一番好きなスポーツは射撃だったそう。
こうきくと明るいスポーツ少年みたいだけど、反面、たった一人でじゃがいも貯蔵用
倉庫の中で火薬を調合して、手作りロケットを作っては空に飛ばすという暗い趣味
も持っていた。そのロケットが手の中で爆発して大やけどを負い、入院するというま
ぬけな一面もあった。
1978年、日本でいう工業高校を卒業。専門は木材加工。材料さえあれば、机で
もソファーでも、木でできている物は何でも作って見せると本人は豪語。
高校卒業後、徴兵制度に従いソ連陸軍へ。2年間の兵役義務期間中に金属加工の
専門技術を身につけ、銃兵器の修理を扱う部隊で働く。
(ちょうどこの時ソ連がアフガニスタンに侵攻したが、幸い内地勤務のままだった。
アフガンに行っていたら死んでいたかもしれない。)
徴兵義務終了後も、そのまま残って職業軍人の道へ・・・。
若かりしころの、旦那さん♪ by saba |