日本を代表する俳人、松尾芭蕉。学校でも習ったし、有名な句は日本人の生活の中に入り込んでいるような身近な気持ちを私は以前、持っていました。 しかし、アンナ・コロトキナ作曲「芭蕉の詩」に収録されている35の句のうち、ロシア語で聴いて、すぐ元の句が分かったのは、辞世の句の一つだけでした。
収録する句を選んで、順番を決めたのは、コロトキナさんです。コロトキナさんは日本人ではありませんから、ロシア語訳された芭蕉を読み、自分の感性を基にして句を選んだわけです。 ですから、日本人なら誰でも知っているような「古池や蛙飛び込む水の音」といった有名な句が入っていないからといって、この作品が松尾芭蕉らしくない、と批判はできないわけです。 さて、あまり有名ではない句(私が知らない句、といったほうが正しいですね。)(^^;)ばかりが選ばれたのですが、元の日本語の句が分からないと、日本人視聴者には、作品の内容がよく分かりません。そこで、ロシア語に翻訳された句をもう一度日本語に訳し直して、元の句を探す作業を行いました。 しかし、それが大変な作業だったのです。 例えば、有名な句(せめて私自身が知っている句)であれば、ロシア語訳をぱっと見て、「五月の雨」「最上川」という単語が分かれば、「ああ、『五月雨を集めて早し最上川』だな。」とすぐ分かります。ところが、35句のうち、34句までが私の知らない句であったため、元の句探しは大変でした。 しかも、芭蕉翁は1万ほど作品を残しており、その中から、単語と意味をてがかりに元の句を探すのは、ずいぶん時間がかかりました。この作業のため、この2つのサイトに大変お世話になりました。 ・芭蕉DB
・芭蕉庵ドットコム
日本文化情報センターにも松尾芭蕉の日本語資料があるにはあるのですが、全作品は網羅していないので、上記のサイトには本当に助けられました。ああ、インターネットってこんなとき、なんて便利なのでしょう。 しかし、探し物が便利になったとはいえ、苦労の連続でした。というのも俳句のロシア語訳は複数のロシア人翻訳家が翻訳しているのですが、やはり俳句を翻訳するのは至難の業で(俳句の英語訳と同様、ロシア語でも3行詩形式で翻訳されます。)意訳したり、省略したり、付け加えたりしている場合があり、元の句がすぐに分からなかったのです。 すごい誤訳もありました。辞世の句「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」はロシア語で「焼け野をかけ廻る」になっていました。(^^;) (「芭蕉の詩」ではちゃんと「枯野」と訳した句を朗読しています。) でも、さすがに「焼け野」になっていても、有名な句はすぐに分かりますね。というより、私自身がいかに、芭蕉の句のことを知らないかを思い知らされました。 さらにはホトトギスと郭公を昔は区別せず、どちらも「カッコウ」にしていたそうです。そんなことも、無学な私は知りませんでしたよ。 詳しくは「芭蕉DB」内のこちらに説明してあります。
私と同様そんなことを知らなかった、ロシア人翻訳家は句の中に出てくるホトトギス(郭公と書いてあるが、本当はホトトギスで、そう読まないといけない。)を全部「ククーシカ」(ロシア語でカッコウのこと)に翻訳していました。 上記サイト内で「えーと、カッコウが出てきて、それから梅の花も出てきて、意味も通る俳句? 該当するのがないよ〜」と何回検索したやら、分かりません。後になって「ホトトギスと梅の出てくる俳句」で探したら、すぐに分かりました。
とにかく苦労はしましたが、大変勉強になりました。これで少しは芭蕉の俳句の世界への理解が深まった・・・かな。(^^;) では、前置きをこれぐらいにして、「芭蕉の詩」に収録された35句をご覧下さい。もちろん朗読された順番に並んでいます。
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<「芭蕉の詩」収録作品>
花に明かぬ嘆きや我が歌袋 命なりわづかの笠の下涼み 富士の風や扇にのせて江戸土産 詠むるや江戸には稀な山の月 枯枝に烏のとまりたるや秋の暮 忘れ草菜飯に摘まん年の暮 夜ル竊ニ虫は月下の栗を穿ツ 柴の戸に茶を木の葉掻く嵐かな 無常哉脂燭の煙破れ蚊帳 影は天の下照る姫か月の顔 藻にすだく白魚やとらば消えぬべき 時鳥正月は梅の花咲けり 朝顔に我は飯食う男哉 鶯を魂にねむるか矯柳 花にうき世我が酒白く飯黒し
(間奏)
霰聞くやこの身はもとの古柏 元日や思えばさびし秋の暮 この海に草鞋捨てん笠時雨 油氷りともし火細き寝覚め哉 旅烏古巣は梅になりにけり 蝶の飛ぶばかり野中の日影哉 秋を経て蝶もなめるや菊の露 花みな枯れてあはれをこぼす草の種 起きよ起きよ我が友にせん寝る胡蝶
(間奏)
東西あはれさひとつ秋の風 初雪や水仙の葉のたわむまで 酒のめばいとど寝られぬ夜の雪 月雪とのさばりけらし年の暮 萩原や一夜はやどせ山の犬 まづ祝へ梅を心の冬籠り 盃に泥な落しそ群燕 花を宿に始め終りや二十日ほど このほどを花に礼いふ別れ哉 旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 稲妻を手にとる闇の紙燭哉
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補足の説明ですが、「無常哉脂燭の煙破れ蚊帳」と「油氷りともし火細き寝覚め哉」の2句は、松尾芭蕉の作であるかどうか、はっきりしていない句です。詳しくはこちらをご覧下さい。http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/zongihen/Defaul.htm
ちなみに一つ目の間奏では打楽器の音で、火事を表現しています。つまり芭蕉庵が消失したことを表しており、朗読者のソトニコワさんはここで、舞台上に置いてある椅子に座り、顔を両手で覆います。 そして、間奏後すぐの「霰聞くやこの身はもとの古柏」で「庵は焼けてしまったが、私自身は変わっていませんよ。」という句が朗読されるわけです。 各句の解説は上記サイト内で読むことができますので、ぜひアクセスしてみてください。
みなさん、ご自由に「芭蕉の詩」の世界を味わっていただければいいのですが、私自身としては最後の3句「このほどを花に礼いふ別れ哉」の次に「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」が来て、これで終わりではなく、最後に「稲妻を手にとる闇の紙燭哉」という句を選んできたコロトキナさんのセンスに感心しました。 私などは 「ああ、辞世の句(厳密には病床の句ですが。)だなあ。もうこれで終わりか。」 なんて思ってしまうのですが(もっともベラルーシ人は「旅に病んで」の句が辞世の句とは知らないので、日本人と同様「もう終わりか。」とは感じないと思います。)そこで「稲妻を」の句が出てくると、非常に鮮やかなイメージがぱっと目の前に浮かんで消えていきますね・・・。
それにしても、35句も朗読しているソトニコワさんは本当にすごい。日本語でも私は35句も俳句を順番どうりに暗唱するなんて無理。 しかもロシア語だと3行詩形式だから、全部で105行の詩をソトニコワさんは暗記したことになるのです! さすがオペラ歌手。歌が上手でも記憶力もよくないとこの職業はできない、と改めて思わされました。
Date:2005/06/05 辰巳雅子
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