日本の町京都の紹介

すいぶん報告が遅くなりましたが、2月18日に日本文化情報センターの活動として、ミンスク市内にある友好の家にて、京都の紹介を行いました。
 友好の家から京都について講演をしてほしいという依頼があり、京都を紹介するビデオの上映を行いました。会場には約50人の人々が集まりました。
 ミンスクと姉妹都市である仙台や、同じ首都である東京に行ったことがある人はいるのですが、京都に行ったことのあるベラルーシ人はあまりいないようで、友好の家担当者も、京都をテーマにした講演会は今回が初めてだ、と話していました。
 京都出身の人間として、生まれ故郷のことをベラルーシで紹介できてよかったです。

 ・・・と、ここまでは美しい話。ここから先は醜い話となります。(^^;)

 会場となった「友好の家」は直訳するとこういう訳になりますが、日本人にとってもっと分かりやすく訳せば「国際交流会館」となります。つまりベラルーシにおける、他の国々との交流をはかり、また推進していくべき役割を担った、まじめな機関なのです。
 ところが・・・

 2月のある日、突然この国際交流会館アジア諸国・アメリカ部門部長Pさん(女性。別にアジア圏の国の言葉ができるわけではない)から、電話がかかってきました。
「来週、うちの会館で、茶の湯をしてください。」
 ちなみにPさんは2002年にセンターがある第5児童図書館内で行われた茶の湯を実際に見ています。
「あのう、そのとき見てお気づきかと思いますけど、茶の湯は私一人ではできませんよ。」
 と説明しても、何とかして茶の湯をしてほしいと、言うPさんを説得するのに、30分もかかり、結局
「確か京都って古い町だったわよね。あなたどこの出身? 京都? じゃ、京都の紹介してください。」
としつこく言われました。

 どうしてこんなに強引なのかと言うと、結局この友好の家は国立で、国から命じられたノルマというものをとにかく達成しないといけないのです。
 例えば、アジア諸国・アメリカ部門の場合、月に1回、担当地域にある国のどこでもいいから、一つの国をテーマにこういった講演会や催し物をしないといけないのです。
 で、自分たちは何もできないので、しゃにむに何かできる人をかき集め、形だけでもいいから、何かしているわけです。
 そして、自分たちは国の機関で偉いと思っているのか、講演会をしろと言われた側はありがたく思え、といった態度なのです。ソ連時代の意識が全く抜けていないのです。
 (こんな方法ではなく、よその団体や企業が国際的な催し物を開催するときの会場にして、場所代を取るだけの方法にすればいいのに、といつも思いますけどね〜。)

 はっきり言って、育児やその他の以前から予定していた仕事などで忙しいうえ、講演料なんて、一銭もくれないのが分かっていたので、断りたかったのです。
 しかし仕方なく、目に見える資料もなく、ずっとロシア語でしゃべり続けるのはしんどいので、ビデオ上映を中心にさせてくれるなら、承諾する、ということになりました。
 Pさんはそれでいいと言ったのですが、私が
「ただし、日本とベラルーシでは録画の方式がちがうので、日本で録画したビデオを再生できるビデオでないと映りません。あらかじめそちらのビデオデッキが使えるかどうか確認しておいてください。」
と頼むと
「分かりました。」
という返事が返ってきました。

 しかし翌日になってもPさんからは何の連絡もきません。翌々日、こちらから電話をして尋ねました。何せビデオが映らないと、講演の方法を大きく変更しないといけないので、早めに把握しておかないと、そのしわ寄せはこっちにくるのですよ〜。
 ところがPさんは「まだ調べていない。」・・・・・。
 そして、映るかどうか調べるため、日本で録画したカセットを貸してほしい、使いの者を寄越すから・・・という返事。その使いの者とやらはその二日後ようやく現れ、カセットを借りて行ったのでした。その後は先方からは何の連絡もなく・・・。

 結論から言うと、友好の家にあるビデオデッキでは、日本で録画したビデオは映らなかったのです。
 それで、Pさんは、センターのある図書館の館長に電話して
「前に図書館で催し物があったとき、日本のビデオが映っていたでしょう? だから図書館のビデオデッキを貸してください。」
 図書館にとっては高価な備品であるビデオデッキを館長は貸したくなかったのですが、必ず講演会の翌日に返却すること、運搬には友好の家側の車や運転手を使うこと、つまり、図書館側の手を煩わせない、また使用時以外は、必ず金庫に入れて、盗難にあわないようにすること・・・といった条件の下、貸すことを承諾しました。

 そして友好の家で働く運転手が図書館にやってきて、ビデオデッキを借りて行き、講演会自体は終了しました。
 Pさんは、「明日必ず返しますから。またこんなふうに講演会をしてくださいね。」と私に言いました。

 しかし、翌日になっても、翌々日になってもビデオデッキは返ってきません。「運転手が忙しい。車が空いていない」というのが友好の家側の理由です。
 2月18日に講演会があったのですが、「金庫に入っているから大丈夫。」とPさんは言い続けるばかりで、26日になってもビデオを返さないので、私と館長もさすがに頭に来て、こうなったら自分たちで取りに行こう、と話しました。しかし、それも大変なので、結局車が運転できる私の夫が、取りに行くことになりました。
 夫が友好の家に到着すると、Pさんは不在。しかしビデオデッキを他の職員から返してもらいました。
 それを図書館に運んで、やれやれと思っていたのですが・・・何といっしょに借りていたリモコンを忘れてしまっていたのです。
 夫はリモコンも借りていたとは知らなかったのです。

 再び館長はPさんに電話をして、リモコンを返すよう頼むと「金庫に入っているから、心配しないでください。」
 館長が「私が4日取りに行きます。」
 Pさん「いえいえ、こちらから使いの者をやって、返しますから。」

 しかし、いつまでたっても使いの者は図書館に現れません。
 そして3月になり、12日再び夫が友好の家に行くことになりました。その前に私から友好の家に電話をしました。しかしPさんは再び不在。他の職員に「3時ごろ、リモコンを取りに行きますから、Pさんに金庫から出して、すぐ返すようにしておくよう伝えてください。」
「え〜リモコン? そんなものは借りていないと思いますけど〜。」
 
 ほんと、友好の家って最低。
 
 友好だの国際交流だのと言いながら、他の施設の備品を使って自分たちのノルマを達成し、上司からは誉められ、借りたものは返さない。
 自分たちは給料(国民の税金)をもらっておきながら、実質的な仕事をした講演者には、講演料も出さず、お茶一杯すら出さず、さらには恩を仇で返すようなこの態度。
 ゆゆゆ許さん!!! 

 さて夫が友好の家に到着するとPさんがいました。
 そして「金庫の中にはありません。」と言ってなぜか金庫を開けようとしない。
 さらに地下の倉庫や、会場になったホールの窓際に行って(講演があってから3週間以上もたっているのに)
「ここにあるかしら? ないわねえ〜。」
と言うのです。

 挙句の果てには
「リモコンって何ですか?」
と逆に質問してきました・・・・・。

 Pさんって・・・・・小学生? 

 いや、こんなこと言うと本当の小学生の方々に失礼ですね。
 夫は
「リモコン? それはですねえ、ビデオデッキを遠くから操作できるものですよ。そう、大きさと形は筆箱ぐらいかな。そしてたくさんの小さなボタンがついています。」
と説明し、
「ま、なくしたのなら、なくした、と直接図書館にご自分で伝えてください。そして弁償について、どうするのか決めてください。どちらにせよ、私の妻(辰巳)は二度と、友好の家と係わり合いを持たないでしょうね。さようなら。」
と言って帰ってきました。

 すでにその時点で館長も「友好の家とは図書館は今後二度といっさい関わらない。」と言って
おりましたが・・・。
 そして土日を挟んで15日の月曜日、友好の家から「使いの者」が図書館にやってきて、リモコンを返しました。
「すみません。金曜日は金庫を開けることができなかったんです。」
と言い訳していました。(嘘ばっかり)

 まあ、リモコンが戻ってきて良かったですが、結局一ヵ月後にやっと全部貸した物が戻ってきたので、図書館はとても迷惑、そして本当に不愉快な思いをしました。
 ビデオデッキとリモコンは戻ってきても、友好の家との関係は修復しません。

 とにかくこんないいかげんな「国際交流会館」とは思ってもいませんでした。情けない。
 もう二度とあそこには行きません。
 名前ばっかりで、友好関係が保てない、お役所施設です。はあ、やれやれ。
 今回もまたずいぶんと社会勉強になったのでした。(^^;)

辰巳雅子
2004/03/18