核被害者追悼ミサ (2)

2000年9月24日

 聖シモン・聖ヘレナ教会では、このミサに合わせて2000年9月25日から10月15日まで教会内に「20世紀の核の悲劇展」を開催していました。画像はその会場の様子です。

 日本側から提供された原爆投下後の広島や長崎の惨状を写した写真、被爆者が描いた絵、そしてベラルーシ側からは、チェルノブイリをテーマに活動している写真家や画家の作品が展示されていました。

 広島や長崎の原爆投下については、ベラルーシ人は知識として知っていても、これほどむごいものだとは知らなかったのではないでしょうか?  教会のミサに参列した後、何気なく孫の手を引いて展示会を覗きに来たおばあちゃんが、原爆の熱線で真っ黒焦げになった死体の写真の前で凍り付いていましたよ・・・。

 私もベラルーシ人の友人、知人にこの展示会のことを宣伝しておきましたが、こういう写真が苦手な人は覚悟してから見に行った方がいいかも・・・と前もって言ってしまいました。

 しかし、これほど大掛かりに原爆をテーマに扱った展示は、ベラルーシで初めてでしょう。とても有意義な展示でした。

 ただ・・・日本からの展示品にほとんどロシア語(あるいはベラルーシ語でもいいのだけれど)の説明がなく、不満が残りました。これでは広島で写した写真なのか、長崎なのか、原爆投下後すぐの写真なのか、爆心地の近くなのか、とにかく全く分かりません。

 また、会場内に係員がおらず、画像でも分かるように展示物の写真が外れて落ちているのに、それを教えたくても教えられず、教会も人手不足なのかと思ってしまいました。

  入場は無料でしたが、勝手に展示品の写真や絵をカメラで撮影しまくっているベラルーシ人もいたし・・・。 この教会所属の展示品ならいいけれど、日本から出品された展示物を撮影する許可を出す権利は教会側にないと思うんですけど・・・。
とにかくそれらのことをききたくても、尋ねる相手が会場内にいないので困りました。

  このような展示会運営上の細かい点は横に置いておくとして、私の感想は・・・
「広島・長崎・チェルノブイリ」と三つ並べてよく核廃絶の象徴に唱えているけど、「広島・長崎」と「チェルノブイリ」は全く別物だということです。
  この展示会場で原爆はつくづく兵器だと思わされました。戦争時、とにかく効率よく短期間に大量に人が死ねばいいと願われ、開発されたモノです。原爆投下後、何十年もたってから放射能障害で亡くなる人のことは、投下した側の計算に入っていなかったはずです。しかし、原発は兵器ではありません。人を殺そうと思って建設などされません。人々の生活のため電気を供給するシステムです。「平和な核、安全な核」と呼ばれています。

 核兵器は人殺しの道具だから反対、戦争は反対、というのは易しいし、そう思っている人は多いことでしょう。でも原発については賛成の人も反対の人もいます。反対の人も「じゃあ、電気のない生活に戻ってください。」と言われると困るでしょう。「戦争反対」は大きな戦争を経験して懲りた人類が得た考え方です。戦争に対する研究や考えも固まってきています。つまり、戦争とは何なのか人はだいぶ理解しています。

 けれど、原発についてはまだあまり理解が進んでいません。まだ未知で未解決で過渡期の問題なのです。チェルノブイリ原発事故はこの問題について、人に考えさせる最初のきっかけになりました。

 もし、この事故が起こらなかったら、この10年間で世界中でもっとたくさんの原発が建設されていたはずです。

 それにしても、原爆や原発事故で亡くなった方は、何のために死ななければならなかったのでしょうか?  後遺症に苦しんでいる方は、なぜ苦しまなければならないのでしょうか?

 この展示会を見て感じたことはいろいろあるのですが、それらを一言で言ってしまえば、核兵器は熱く、短い間に人を殺そうとし、原発事故は冷たく静かに、でも長い時間をかけて人を弱らせ、殺してしまう・・・。ということです。ああ、どっちも私はいやだなあ。・・・これが私の感想です。

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